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知らない自分に気づいた時
これは、昭和の終わり頃私が子どもを育てながら、仕事を継続する覚悟をすえるエピソードだ。
当時の私は小学校の学級担任だったけれど、職場が遠かったので、家の近くの職場に転勤したばかりだった。
主人は時々ドサッと料理の作りだめをしてくれたけれど、日頃はほぼ一人で家事育児をこなしていた。とにかく時間が足りない。
そんな時、ある研修会に参加した。
私は学級担任から、難聴言語障害の通級の担任になっていた。「個別指導だから、楽でしょう」なんて以前の知り合いから声をかけられることもあったが、それは素人の浅はかさだ。
個別でやるということは、一人ずつ評価して一人ずつ毎回、保護者や学級担任に面談や連絡帳で伝えていくと言うことなのだ。
だから、言語や聴覚はもちろん認知面の検査もできるようにならなくては、いけない。いくつもの分厚いマニュアルと、漢字とカタカナの専門用語を頭に入れておかないと、担任間の会議でついて行けないし、会議の資料も作れない。
私は大学で専門課程を専攻したし、実習もしたが、現場は立ち止まり思考する余裕はない。それ以上に日々新しいことを覚えなくてはいけない。
それを思い知ったのは、ある研修会だった。100人以上入る会場だった。私は先輩でこの業界では同期のTちゃんと隣り同士に座った。
講師はある大学病院のO先生。言語障害の構音障害の分野では学会をリードするお一人だ。
先生の細身の身体からやや高めながらも、明瞭かつ力のある声が発せられた。
皆さんは、これから言語障害の治療をなさろうという方々ですよね。
まず治療しようとするからには、
何かどのように障害になっているのか、判断、評価することが必要になります。
では、この音声を聴いてみてください。(記憶は曖昧ですが)
1.きりぎりす。
2.さくら
3.さざんか
4.マグマ
などを言っているらしいけど、
こもったような音、キリキリするような音、鼻に抜けるような音が入り混じって、さっぱりわからなかった。
私は顔面蒼白だった。奈落の底に突き落とされたような思いだった。
とりあえず、休憩時間に隣の席のTちゃんに、
私、全然違いがわかんなかった。
と、言うとTちゃんも、
私もだよー。
と、
ここから自分は何も知らない、何もできない、
無知の知だ。
それを自覚をすることで、私のこの仕事への覚悟が決まった。
いつかきっと、この音声を聞き分け、治療できるようになりたい。
と、私の中のエンジンがかかった瞬間だった。