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目から耳から作品が胸に迫ってくる〜永遠のミュシャ〜

眼から耳から作品が胸に迫ってくる〜永遠のミュシャ〜

今日はeチケットを取りながら、年末年始は流行病にやられ、なかなかいけなかった展覧会に行ってきました。

「グラン・パレ・イマーシブ 永遠のミュシャ」

場所は、渋谷のヒカリエホール

久しぶりの渋谷は、あまりに人が多いことにただただびっくり‼️

ヒカリエ


駅から通路で直結の
ビル


エレベーターで9階に上がり、まずはロッカーがあったのでジム活リュックをイン!



入り口でeチケットを見せると画面に◯を描き、
操作すると画面にスタンプが現れ、、、。

ちょっと定刻を過ぎたけどホールらしきところに入るように案内されると、


壁一面に映像が映し出され、




みんな絨毯の上のクッションに座っているので、
1番後ろで体育座り。


フラッシュは禁止だけど、写真撮影、動画も2分までOKと、かなり寛大な展覧会。




とにかく、ミュシャの作品が壁一面に映し出され、

作品の一部をアニメーションにしてズームした繰り返したりして、今できあがっていくような感じで次々と映し出されていました。


この初めての体験に思った以上に絵が私の中に入り込んでくるような感覚になりました。


✳︎ざっくりと人物
ミュシャは1860年、当時ハプスブルク家のオーストリア領、現在のチェコスロバキアで生まれ、美術学校を経てパリに渡り、舞台の仕事をしながら、ポスターを描いていました。


故郷ボスニアのみずみずしい植物の輝きと聖母マリア像の慈愛あふれる美しさがミュシャの美の目標でした。

ミュシャは信仰熱心な家族のもと教会の聖歌隊に入って活動していました。


ミュシャの美しいポスターはパリ中を埋め尽くしました。
が、ある時自分が本当に描きたいのは、祖国に何かを残すことと気づき 
スロバキア地方の血と汗にまみれた力強い独立の歴史「スラブ叙事詩」を描こうとします。



それは自治独立と領土を守るための血と汗にまみれた紛争でした。

でもミュシャは理想を掲げて自分なりの戦いを継続していきました。


最後にミュシャのことば
「私の作品は破壊ではなく建設に、そして橋を架けることに向けられていたのです。

というのも、私たちはみな人々が近しくなるという希望を抱いて、それは人々が互いに分かりあうほどに容易になるでしょう。」
公式ガイドブックより

✳︎ミュシャが影響を与えたと思われるもの
1960年代にミュシャの影響を受けたと思われる作品、山岸涼子先生の「花とゆめ」表紙

なんか見たことある〜!

と、いうことは1960年生まれの私はミュシャ作品に出会う前にこの絵に出会っていた!






(感想)
✳︎好きな作品



どの作品も物語があるようで選べないのだけれど、強いてあげれば「夢想」です。

女性のバックが花がリング状になっていて曼荼羅のよう。

その前で花の髪飾りをつけた、パフスリーブの女性が、読みかけの画集から目線を上げて微笑んでいる、一枚。

✳︎展覧会を通じて
 ミュシャといえば美しく可憐な植物とゆたかな曲線からなる女性像、という印象しか持っていなかったけれど、

故郷のためにその辛い人々の歴史を絵画で後世に伝えようとした、

理想を持って芸術という武器で人生を駆け抜けていった人だと知りました。

どんな時もどんな小さな事でもいい、誰かのために何ができるか考え続ける人でいたい、ミュシャの作品とその人生哲学に触れたよい1日になりました。


✳︎今日のスイーツ


一足先に来た娘のおみやげ


「ビスキー・オ・ショコラ」
サクサクした中にほんのり甘いチョコが美味しい。

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