無名のフリーライターだった父。それでも私が同じ仕事を選んだ理由
私はいま、編集プロダクションで編集者&ライターとして働いている。新卒で入社した会社で営業として4年間働いた後、2020年5月に転職。憧れだった編集者&ライターになった。
私が編集者&ライターに憧れたのは、父の影響を受けたからだ。
私の父はフリーライターだった。コロナが誕生する何十年も前から在宅勤務で、いつも部屋にこもって雑誌の文章を書いていた。父から直接聞いたわけではないけれど、成人向け雑誌(要はエロ本)に載せるクイズやコラムを執筆する仕事をよくしていたらしい。思春期のわたしは、性に関する話が大嫌いだった。でもそんな時期でさえ、エロ本の文章を書く仕事をしていた父に全く嫌悪感はなかった。
文章を書く仕事をする父は、わたしの憧れだった。どんな雑誌であっても、世に出回る文章を自分の父がつくっていると思うと、すっごくワクワクしたから。普段はずっと家で働いている父は、たまに芸能人を取材するため外出していた。そして時々CDや生写真などを持って帰ってきてくれた。正直、子どもの私が大喜びするようなお土産はなかった。でも芸能人に会えるようなスゴイ仕事をしている父が、わたしの密かな自慢だったのだ。
ただ、家計は厳しかった。出版不況もあり、フリーライターの父の収入も減っていたらしい。いつしか母はパートを2つ掛け持ちするようになった。そしてある日、いつも父が文章を書いている机の上に、記入済みの履歴書とシワシワのタウンワークを発見した。数日後、どこかの小売店でアルバイトを始めたときいた。偏屈な父が接客業をする姿を想像すると、悲しくなった。
「出版社には就職しない方がいい」「ライターなんて稼げない」
私が就職を考える時期になると、母は口癖のように言っていた。お金で苦労している母の言葉は重い。「そんなことない」って反論したかったけど、何も言えなかった。
その後、父はガンを患って亡くなった。
父は成功者にはなれなかった。収入は高くなかっただろうし、有名なフリーライターになれたわけでもない。ほとんど無名のまま亡くなってしまったのだから。
それでも、父は「好きなこと」を仕事にし続けた。
出版不況で収入が減った時も、生活のため60代でアルバイトを始めた時も、父はフリーライターとして働き続けた。どんな時も、部屋で文章を書く父の背中は誇らしげに見えた。きっと文章を書く仕事が好きだったはずだ。最後は病状が悪化して仕事を辞めざるを得なくなったけれど、フリーライターとして人生を全うした父を娘として誇りに思っている。
部屋で父が文章を書く姿を見てきて、いまの私がある。編集プロダクションに転職し、新卒で働いていた頃よりも年収は下がった。ボーナスだってそれほど多くない。会社もわたしもどうなるか分からない、先行き不透明な状態だ。
それでもフリーライターだった父のように、苦労してでも「好きなこと」を仕事にし続ける人生でありたい。いまも、これからも。
父は、わたしが編集者・ライターになる前に亡くなっている。同じ仕事に就いたと聞いたら、何ていうだろう。
「地獄へようこそ」とか、不吉なこと言うかもな。
どこか嬉しそうに笑う父が、頭に浮かんだ。