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「誰でもいい」は誰でもよくない

さみしかった非リア充時代、わたしはチャットに度々逃げ込んでいた。誰でもよかったから、わたしを特別扱いしてほしい、と思っていた。

チャベリというチャットサービスがあり、ニックネームを登録すれば、個人情報の登録はせずにチャットに参加できる。年代や住んでいる場所、目的ごとにたくさんの部屋(チャットでの交流の場)が分かれ、好きなところに入室できる。中学から高校のとき、すきをみては家のパソコンでチャットルームに入室していた。

部屋を選ぶとき、たいてい大勢いる部屋を選ぶ。私と話してくれる人がいる可能性が高いからだ。しかし時には入室時には盛り上がってて、話に全く入っていけないことがある。寂しさを紛らわすために来てるのに、さらに寂しくなってしまうのだ。 

だからわたしは、女らしい名前にしていた。「ゆき」とか「♡ゆき♡」、「ゆき♪」のような女っぽさを出す稚拙な創意工夫を行っていた。そうすると、時々男(らしきアカウント)から個別メッセージがくる。個別メッセージは、ほかのメンバーからは見られず特定の人にメッセージを送れる機能だ。このメッセージがほしくて、チャットをしているようなものだった。

チャットをするとき、個別にじっくり話してくれるなら誰でもいいと思ってた、本当に。だけど、大抵だんだんやりとりが面倒くさくなっていた。メアドも教えたくないし、エロトークに持ち込もうとするのもうんざりしていた。「誰でもいい」と思ってたくせに、気づくと中途半端な状態でチャットを退室していた。

さみしさから「誰でもいい」って思っても、本当は誰でもよくない。自分が好きだと思えて、相手からも自分のことを本当に理解しようと思ってくれる人じゃないと、いくらチャットで個別メッセージが送られてきても意味がない。「誰でもいい」は本当は誰でもよくない、ということに気づかなければずっと満たされることはないんだと思う。

※ちなみにこの記事は「 #熟成下書き 」として、長年下書きにたまり続けてきたものだ。

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