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箱根駅伝は無情だ。でも、そこがいい。

会社の同期は、箱根駅伝の選手だった。箱根駅伝の応援を通して同期の存在を思い出し、急に彼の走る姿を見てみたくなった。(トップ画の選手は同期ではない)

同期の名前をGoogleで検索すると、大会記録や走り姿の写真がいくつか出てきた。同期は今でも小柄で痩せているけど、現役時代はさらに痩せていた。そして苦しそうな表情をしている。会社での同期は、意味もなく変顔をしたり、出し物にもよく駆り出されるような明るいタイプだ。毎日営業として残業しているとはいえ、こんな険しい表情を見るのは初めてだった。

同期がどんな走りをするのか気になったので、YouTubeから出場大会の動画を見つけ出した。しばらくすると、同期が映った。腕時計を確認しながら駆け出す同期は、今のひょうきんな営業マンからは想像もできないほど凛々しい顔の「駅伝選手」になっていた。

同期は、スタート時もゴール時も15位前後だった。10位以内のシード権から外れており、動画にもあまり映っていなかった。普通に観戦していたら見逃してしまいそうなところで、同期は走っていた。順位や速さが遅れていようと、同機は必死に頑張っていた。

その時、思った。駅伝を見るとき、私は1位~10位など早いチームばかり見ていたと。番組でも当然早いチームを多く取り上げるので、当然と言えば当然だ。ただどんな順位でも1人ひとりが一生懸命走っている。周りと比べて遅れていても、1位の選手と変わらない尊さがある。間近で箱根駅伝を見ていながら、全ての選手が持つ尊さに気づけていなかった。

長距離走などの個人競技は、いつも無情だ。チームプレーなら、ピンチの時は他のチームメンバーが助けてくれる可能性がある。一方個人競技は、どんなに苦しい状況でも、自分の身体を動かさないと先に進めない。バテバテでも、けがをしても、足をつっても、自分自身でどうにかしないといけない。しんどい時には絶望だ。

ただ自分が頑張ればどうにかなるケースもあるので、希望でもある。絶望も希望も自分ひとりで背負い込む、それが個人競技の魅力なんじゃないかと思う。

どんな状況でも決められた距離を個人が必死で走らないといけない。走る辛さも苦しみも全部自分で背負って、足をすすめなきゃいけない。その努力の尊さに、順位は全く関係ない。

実は、駅伝を出た同期とは挨拶する程度の仲でしかない。駅伝に出て実際どうだったのか、今駅伝の話題を振っていいのか、なぜ駅伝と無縁の会社に入ったのか、今は走っているのか……同期のくせに何も知らない。部署も違う同期とは、話す機会すらほとんどないだろう。ただいつか、いつか話す機会があったら、駅伝の話を軽くしてみたい。


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