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「無駄な時間」は存在しない

無駄な時間を減らして、効率化を目指した方がいいらしい。

たしかに1日の中に、無駄な時間はいくらでもある。満員電車で身動きが取れないとき、会社の朝礼をきいているとき、退勤した時のエレベーターの中、そして家を帰ってからYouTubeをみるとき。あのとき、私は本当に何も考えてない。大して好みでもないサイトや動画に食いついて、意味もなくループして、「そろそろやめよっかな……」と思うときには23時を過ぎている。こういった無駄な過ごし方は、疲れて早く寝たいときほど多発する。

あのムダにした時間があったら、何ができたんだろう。文字単価換算の記事に手を付ければ、少なくとも数百円は稼げる。本を読めば知識が増える。運動すれば体力がつくし、たまったメールも片づけられる。部屋に積まれている洋服と雑誌も、もう少し整えられるだろう。「効率化」をした先には、きっと余裕やお金が待っている。だから無駄な時間は消さないといけない。

でも、本当に無駄な時間は「無駄」なんだろうか?

わたしは無駄な時間はこの世に存在していないと思っている。なぜなら、「無駄な時間」とよばれるものは本人の考え方次第だからだ。甲子園に行けなかった野球部での日々を「無駄だった」と思う人もいれば、「最高の青春だ」と思う人もいる。家でダラダラみるYouTubeの時間が「無駄」な人もいれば、「人生が変わった!」人もいる。絶対的な無駄な時間はなくて、考え方によっては意味のある時間に変えられると思っている。

たとえば青春18きっぷ。鈍行で首都圏→関西に行くのも10時間弱かかる。傍から見れば「新幹線乗ればいいのに」と思うほど、果てしなく無駄な時間に思えるだろう。でも私にとっては「無駄」じゃない。その十時間で読みたい本を読破できるし、近くに座るJKの他愛もない会話が聞けるし、都内では見れない自然の景色が見られる。あの時間を「無駄だ」と決めつけて眠ってしまえばそれまでだけど、「何か意味があるに違いない」と思って探していれば、何かしら意味のあるものに出会える。だから、無駄な時間は存在しないと、そう思っている。

最近転職や仕事に関する本を読む中で、「自分が将来成し遂げたいことは何だろう?」と考えるようになった。どんな仕事をしたいのか、どうありたいのか……。そう考えていた時、「無駄」って言葉がおりてきた。わたしはきっと、この先も「無駄」を愛して生きたい。いや、そもそも「無駄」はないと思っているから、「無駄に意味を付ける」の方が正しいかもしれない。人が「無駄」というものに価値があると信じて、人とちょっと違う人生を歩んでみたい。いずれ変わってしまうかもしれないけど、ひとまずは「無駄に意味を見つける」を目標に頑張っていきたい。

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