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恋人は狭所恐怖症

私と彼氏は似ている。見た目がどうかはわからないけど、あらゆることにおいて好みが似ている。

おいしいと感じるごはんの味、かっこいいと思う俳優、おもしろいと思う映画、お金のかけどころ、笑いのつぼ、どれもけっこう似通っている。一緒に過ごす時間が増えていくにつれて、ますます中身が似てきた。

これは微笑ましいようで、ちょっと危ないことだとも思っている。

「私たち、似てるね」とにこにこしているだけなら問題ない。でも、何かに対して意見が別れたときに、「え?なんでそっち選ぶの?ふつうこっちでしょ?」みたいに感じてしまうようになるとアウトだ。

どんなに似ていても、自分以外はみんな別の人間だ(こんなタイトルの歌があったね)。自分と意見が違って当たり前のはず。

なんだか偉そうなことを言ってるけれど、じつは私、過去の恋愛で一度失敗したことがある。それも手痛い失敗を。

当時の恋人と私の価値観はあまりに似ていた。同じだったのは性格だけじゃない。なんと生年月日と、さらには血液型までぴったりおんなじだったのだ。19歳だったころの私がそれを「運命」と思い込むのに、さほど時間はかからなかった。

実際に二人の価値観はすごく似ていたし、似ているからこその幸福な思い出もたくさんあった。

だけど結局は、お互いのことをきちんと「他人」として大事に扱うことができなくなって、別れてしまった。二人の意見が違ったとき、どう打開策を練ればいいのか、どう歩み寄ればいいのか、その方法が見つけられなくなってしまったのだ。

「私はこう思うのに、なんであなたはそう思わないの!?」
「俺はこうしたいのに、なんでぽんずはそれができないの?」

そんな水掛け論ばかりくり返してた気がする。

相手には相手の考えがある。だって別の人間だもの。そんなシンプルな事実さえ、見えなくなっていた。

話を今に戻そう。今、彼氏と私の価値観はすごく似ている。

だけど決定的に1つ違うところがある。彼は狭所恐怖症なのだ。恐怖症というと大げさかもしれないけれど、とにかく天井が低く狭い場所が苦手だそう。対する私は、狭いところや囲われたところが大好き。

たとえばドミトリーのカーテン付きベッドなんかは、彼にとっては地獄で、私にとっては天国。小さなトンネルや狭い洞窟も、私にとっては心踊る場所、彼にとってはげんなりする場所。

そういう場所を見つけるたびに、お互いの反応を見てはふたりで笑っている。

私「わ、ここ最高!」
彼「うわ、ここ無理だわ」

ふたり「だろうねぇ」

どんなに似ていても、やっぱり違う人間だから。それを忘れないことは相手に対する最大の敬意だし、違う生きもの同士だからこそお互いが必要なんだと思う。そのことを思い出させてくれる彼のニガテに、私はとてもありがたく思う。

今日も私は部屋の薄暗い隅っこでキーボードをパタパタしているし、同居人は明るいソファのうえでケラケラとお笑い動画を見ている。

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片渕 ゆり(ぽんず)
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