フォトジャーナリズム、【その問いの前で】
先だって帰国休暇で実家に帰省した際、外は大雪で吹雪いていた
背景にはコロナとインフルエンザ
そういうわけで自室の書棚を時間をかけて整理していると、懐かしい一冊が出てきた
【ピュリッツァー賞の写真集】
この一冊はもちろんよく覚えていて、1999年、つまりわたしが大学生の頃に、当時の天神三越で開催された同展を訪れ、その帰りに買い求めたものだ
フォト・ジャーナリズムの最高の栄誉である同賞は、ロイターの通信網を使い、英語のキャプションがついて全世界に配信されるが、そこでは言語は、あくまで副次的なものにすぎない
なぜならピュリッツァー賞を受賞する写真は、一切、言語の説明がなくても、【何が起こったのか】を視覚だけで鮮明に、そして鋭く問いかけることができる、やはり特別な力を有した写真に他ならないからだ
それだけに強烈に記憶に焼きつく写真が多い
そして改めてこの写真集を読み返していると、いくつか気がつくことがある
1999年当時はわたしはまだ20歳の大学生に過ぎなかった
その年齢を成人男性としての「起点」として考えると、この一冊に収められた数葉の写真をまるでトレースするかのように、その後の若い時代を送っていることに気がつく
伝説的なジャーナリスト、沢田教一のヴェトナム戦争の悲惨さを捉えた一枚には、当時最も強い衝撃を受け、その後ヴェトナム戦争を中心にその歴史的背景を調べ、20代の後半にヴェトナム縦断の旅に出た最初のひと蹴りとなり、結果的にそれは30代の大部分を過ごしたホーチミンの記憶に繋がっていくことになる
他にも17歳で夭折した暗殺者の山口二矢の人生の鋭い完結性、ダラスにおけるオズワルドの暗殺、スペインの内乱、紛争、戦争、貧困ー
気になったことはまず調べ、ついには「そこへ行ってみようか」という爆発的な行動力を身につけていくことになる
もちろんそれら全ての土地を訪れたわけではない
この一冊がいわゆる【人生を変えた一冊】などと大げさなことを言うつもりは全くないけれど
しかし20歳当時のわたしにとっては、やはり重要な一冊であったことには間違いない
確実にその後の人生において、大小様々な示唆と暗示、そして読書傾向までもをこの一冊から与えられているのだ
そしてー
この写真集の序文を掲げているのは最も影響を受けた作家の沢木耕太郎
沢木さんの著作は、わたしは正確には25歳から読み始めたことは記憶に間違いないので、20歳当時のわたしはその重要性にはまだ気づかず、序文に書かれている内容に関しても十全に理解することはできなかったはずだ
それは読解力というよりはむしろ、感応する精神を持ち合わせていなかったと言い換えてよい
そこに書かれているのは、結果的に歴史的な一枚を撮影することになった運命の撮影者たちの苦悩ーときに人間性までもが世界中から痛烈に批判されることになる撮影者たちに鋭く迫った序文
【その問いの前で】ー
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