見出し画像

レイク・チューリッヒ | ラッパーズ・ウィル、無人の大聖堂






Rappers Wil
Zürich
Switzerland









レイク・チューリッヒ | 03
ラッパーズ・ウィル、無人の大聖堂








1


このヨーロッパ大陸への、バックパックを背負っての小さな旅で学んだことのひとつが、「教会」と「大聖堂」の違いだった

それを教えてくれたのは、ここチューリッヒ在住の中学校が同じだった女性の同級生で、そのときわたしたちはラッパーズ・ウィルの大聖堂へと続く石の階段を一歩一歩ゆっくり登りながらも、彼女は丁寧にこう教えてくれた

「大聖堂」には必ず司教がいて、「教会」は必ずしもそうではないの。
英語で「大聖堂」は"Cathedral"だけど、元々のラテン語の語源は
"Cathedra"なの、意味はわかる?

全くわからなかった


わたしの貧しい知識では大聖堂も教会も等しく”Church”で、”カテドラル”という単語は聞いたことだけはあったが、もちろんその意味までは考えたこともなかった

"Cathedra"は元々、「司教が座る椅子」という複合的な固有名詞だから、それがそのまま現代にまで通じ、つまり「大聖堂」、カテドラルには必ず司教がいて、教会は必ずしもそうではないの。
わたしもそこまで詳しくはないけれど、中世の教会は祈りを捧げるという目的というよりも、人々が集って情報交換や物々交換をする、一種の社交場や公民館のような役割だったと何かで読んだことがある。

この話を、わたしは自分でも意識して真剣に耳を傾けて聞いていた


彼女の方も知識をひけらかすわけでもなく、自分が持ち得ている知識を同級生であるわたしに分けてくれるような、静かで、そして簡潔な説明だった

彼女はこう続けた

きみはヴェトナムを経て、次にヨーロッパで働くつもりならば、こうした知識は必ず必要になってくるよ。なんせヨーロッパの人々はたとえわたしたちのような異国の、それも異教徒であったとしても、教会に足を向けない人にはなかなか心を開いてくれないからね。このことは覚えておくといいよ。


2


息を切らしようやく頂上に辿り着くも、しかし、ここラッパーズ・ウィルの大聖堂では、入り口の手前にあった詰所にも無人で人の気配は一切なく、わたしたちが木製の巨大な扉を開けたときには内部に司教は不在だった

扉は一切、施錠されていなかったので、もしかしたら近くに散歩にでも行っているのかもしれない
あるいは、今日の御勤めを終えて酒場で一杯引っかけているのかもしれない

中は巨大な空間だったが、冷たい空気に満たされ人の気配は全くしなかった


3


わたしは前方に進みながらも高い吹き抜けの天井を見上げ、この暗く美しい、そして静かで独特の雰囲気をもつ空間に早々に魅せられ早速、肩から下げていた一眼レフのキャップを外すと、それとほとんど同時に、真横にいた彼女のスマートフォンが鳴り出した

彼女は画面を眺めドイツ語で何かを呟くと、わたしに向かってこういった

ごめんなさい。職場から電話がかかってきていて、ちょっと長くなると思うけど、いい?

もちろん、と答え、次にわたしはカメラを指さしてこれから館内を撮影をすると意思表示を伝えると、彼女は頷いて通話解除の操作をしながら聖堂の中央付近の木製のベンチに座り話し始めた


4
PARIS
Dist 6
サンジェルマン・デ・プレ教会


チューリッヒに入る前に過ごしたパリでの日々において、結果的に40日余りを過ごしたということもあり、いわゆる高名な観光名所も数多く観てきた

何しろ、パリはいうまでもなく世界一の観光都市なのだ
どこへ行き、まずは何から観ようと考えるだけでも、人によってはあるいは数日はかかるのかもしれない

ある日わたしは、ほとんど目的をもたずにぶらぶらとほっつき歩いていると六区のサンジェルマン・デ・プレ教会にぶつかり、何も考えずに中に入るや否や、即座に度肝を抜かれることになった

このパリで最古の教会も御多分に漏れず「観光名所」であることは間違いないのだが、エッフェル塔や凱旋門、オペラ座や三大美術館などと比べるとその知名度は著しく低下するに違いない

なぜならば当時わたしが、ほとんど丸二日はこの教会に通い詰めてカンヅメとなり、撮影や、それに疲れてベンチに座ってぼんやりと物思いに耽っていたり、文庫本を広げていても、そこに観光客の姿はほとんどなく、地元の人間と思える主に老齢の男女が静かに祈りを捧げている光景しか見ることができなかったからだ


5


そうした人々の、神に対して祈りを捧げる静かな姿は、それだけでも間違いなく美しかったが、それをこのいわゆるロマネスク様式の荘厳な建物の内部で、同じ空間内で一時的ではあれ、共有させてもらえるということは、この旅においても格別に贅沢だったひとときとしてわたしには記憶されている

建築自体がもつ、いわば「様式美」についてはわたしは素人同然なので語ることができない
せいぜいが、ロマネスク様式よりかは、「ヨーロッパの黒い森」を意味するといわれるゴシック様式に個人的に惹かれはするが、しかしだからといって専門書で積極的に調べたり、あるいは当地に直接赴いて撮影しようとまでは到底思えない

しかしこの時サンジェルマン・デ・プレ教会の内部で感じたことは、それは
様式美だけではダメなのだ、、、、、、、、、、、、という、「渇き」にも似た痛切な思いだった

建築と、その構造が生み出す空間には間違いなく固有の美が内在しているということは素人のわたしにも理解できるが、少なくともこのわたしにとっては、それだけでは駄目なのだ

その空間に誰と一緒にいるか、、、、、、、、、、、、、ということが決定的に重要なことであり、その重要さに比べれば、実は「様式美」などはあくまで副次的なものに過ぎないとわたしには言い切ることができる


6


このラッパーズ・ウィルの大聖堂の建築様式はわたしにはわからなかった

ただチューリッヒ市内の中心地の、巨大なチューリッヒ湖を挟んだほとんど対岸に、まるで孤立するかのように中世から建っている静かで、歴史的なとても濃い雰囲気が立ち込めている聖堂だということがわかっただけだ

わたしは立ち止まり、さざ波のように聞こえてくる彼女のドイツ語の会話を目を瞑り、集中してしばらく聞いてみたが内容はさっぱりわからなかった

もちろん、その行為は彼女の会話の内容を知りたいというわけではなく、ただなんとなく、目を閉じて真剣に集中すれば聞き覚えのある単語のひとつくらいはあるかも知れないと思いつつも、全く駄目だった

大きなため息をひとつつき、わたしは再びカメラを構えて聖堂内を撮影していると、壁側に二階に通じる木製の階段を見つけ興味本位で上にあがってみることにした


7


二階部分は、一階の祭壇部分に向けて壁に沿ってスロープが走る、いわば円形劇場のような構造をもっていて、単一の木製の、背もたれに聖書を納めることができる、いわゆるチャーチ・チェアがかなりの数、整然と並んでいた

一階に入りきれなかった人々がこうして二階のチェアに腰かけて、神か、あるいは自分自身の内面に向けて祈りを捧げているのだろうか

もちろんそこも無人だったが、長年、それも数百年に渡って壁や通路、チェアに沁みついたような人の気配や、祈りの残滓、その霧のような無数の小さな雫が、ぼんやりと中空を漂っているような気さえした


8


9


わたしの両親はおそらくは大多数の一般的な日本人と同様に仏教徒であるのだが、わたしたち三人の子供は当時カトリックの幼稚園に入ることになった

もちろん、だからといって両親が急にキリスト教に改宗したというわけではなく、あくまで実家の近くにあった幼稚園が、ほとんど地域に数か所しかなかったという消極的な理由が背景にあったものだと思われる

その遠い記憶はわたしにはいくらか残っていて、小さな森、というよりかは林に近い鬱蒼と茂る緑の中に幼稚園の教会があり、毎週土曜日の午前中には白く塗られた窓側の席で、まだ若かった母と二人で祈りを捧げた記憶がある

それとは別に、明確に記憶に残っている当時の出来事として、幼稚園のいわゆる「お泊り保育」の夜に撮影された写真が実家には数葉残されていて、小さなホールの中央でわたしを含めた幼い園児たちが横並びに整列し、その上方にはおそらくは書道に腕前のある先生が書いたと思われる

心の清いひとたちは幸いである

という、間違いなく聖書から引用されたであろう簡潔な一文が掲示され、それが当時の教育の賜物なのかあるいはその写真が直接的な記憶の明示となったのかまではわからないが、わたしは主にヨーロッパのこうした教会に入ったときにはそのフレーズを想起したり、たまには口で呟くようになっていた

それはわたしが聖書を通読したことがない何よりの理由からであり、ほとんど唯一知っている一文がそれで、こうした大聖堂とわたしを繋ぐか細い、唯一の接点が、実はそれだけしかないということが逆に浮き彫りになる

だからというわけではないが、わたしは結果的にこうしてカトリックの幼稚園に進ませてくれた両親の当時の決断には今でも深い感謝の念をもっていた

加えてこの感謝の気持ちは、おそらくはわたしの妹は、間違いなくわたしより強く抱いていて、妹の娘たち、つまりわたしの2歳と4歳になる可愛い盛りのふたりの姪も同様に、妹の決断でカトリックの幼稚園に進ませ、いわゆる「食前の祈り」を舌足らずの言葉で、それでもはちゃめちゃに元気いっぱいに唱えている動画を異国に居るわたしに送ってくれるのだ

妹のそうした教育方針にわたしたちが卒園したそのカトリック幼稚園の影響がないはずがなく、わたしたち兄弟の遠い幼稚園での記憶と経験よりも、最終的に、そして集約的に、姪たちの「食前の祈り」の動画に繋がったその確かな一点において、わたしは受難の生涯を送らざるをえなかったとされるイエス様に対して、今でも心からの深い感謝の念を抱いてしばし祈りを捧げたくなるのだ


10


11


わたしは二階を壁沿いに歩き、引き続き気になった調度品や、望遠レンズを用いて一階の中央の巨大な祭壇を撮影したりしていた

手摺から身を乗り出すと、一階の中央部分の椅子に同級生の彼女が座って電話している姿を認め、そのときに特に深い考えはなかったのだが、彼女を視界の隅に捉えることができるような位置で二階の半円周の通路を歩き続けた

この大聖堂に入ってからどのくらい時間が経過したのだろう
一時間には満たないはずだが、三十分は過ぎているような気さえする

外気温はさらに低くなり、無人のこの大聖堂にはもちろん暖房設備などなくわたしは動き回っていたのであまり寒さは感じなかったが、階下の彼女は大丈夫なのだろうか

二階から声をかけようかとも思ったが彼女はまだ通話中で、聖堂内に唯一こだまし、反響する彼女の流暢なドイツ語を聞きながら、わたしは彼女のちょうど真後ろに位置する二階のチェアに腰かけて足を投げ出して休め、周囲を見渡し、再度気になった調度品を見つけては撮影し、それを全て済ませたあとは、ただぼんやりとしながら、階上から彼女の背中を見つめ続けていた


12


過ぎていく緩やかな時間と、冷気を帯びた極めて冷ややかな空気の中で、まずは実際的に今後はどのようにしてここチューリッヒ滞在を続けていくかを考え続けた

昨夜は僥倖にも彼女の自宅に泊めてもらったが、今夜からは宿を探さなければならないだろう
バックパックは彼女の自宅に預けたままだったが、後日引き取りに行くことにして、今夜は市内のホテルでも取ろうか

彼女とはあと一度か二度、週末の休日に合わせて会いに行き、そこでまたゆっくり時間を設けて、少しだけ親密な会話ができれば今はそれでいい


しかしここチューリッヒはパリのように長期滞在することはできないだろう


世界経済の変動をほとんど一切受けないとされる、”最強通貨”のスイス・フランの脅威、だからミネラルウォーターが一本400円の、すさまじい世界

しかしこのわたしには、こうした環境下でも二週間程度であればスイスに滞在可能な必殺の知恵を、パリで、実はすでにある人物に授けてもらっていた

そう、ここはやはり正式に”千亜希ちゃん方式”を採用し、長期滞在の体制を整え、階下にいる同級生の彼女と過ごす時間をもう少し作ることにしようか


13


わたしがパリで長期滞在したゲストハウスには、当時20代中頃の日本人女性の管理人が常駐していた


名前は”千亜希ちゃん”

この宿の管理人は主にバックパッカーとしてやってくるゲストのチェックイン時の説明やチェックアウト時の部屋の立ち合い、そしてその他に宿を宣伝するためのブログの執筆というのが主な業務で、その報酬に金銭は一切発生しないが、宿泊費無料、そして毎日の手作りの夕食、週末だけにオーナーからゲストに提供されるワインも無料となるなかなか魅惑的な内容でもあった

そしてその千亜希ちゃんも、もちろんその来歴はバックパッカーにその端を発し、その途上でいつしかスイスの雄大な自然、特にグリンデルヴァルドに魅せられ、地元である北海道で非正規労働でお金を貯めては旅を繰り返し、その中でスイス在住でドイツ系の恋人と巡り合い、この宿で管理人として生活をしながら日中は宿の業務の合間に主に独学でドイツ語を学び、週末になるとスイスの恋人の家に遊びにいってはデートを兼ねた、ドイツ語の発音に磨きをかけるという、いわば彼女固有の、確立された留学スタイルだった

わたしはそのゲスト・ハウスの「長期滞在組」でもあったので、この千亜希ちゃんとはほとんど毎日顔を合わせて様々な話をした

あるときは近所のスーパーへの買い出しにも同行したり、散歩の途中で街角でばったり会った際は近くのカフェでケーキを食べたり、そして彼女の宿命の義務のひとつでもあるハウスのブログ執筆に際しては



ネタがねぇー
ネタがねぇーよぉ



と、悲鳴にも似た雄たけびをあげながら共用のデスクトップの前で毎日頭を抱えていたので、わたしは夜に、その日の昼間に市内で撮影してきた観光地や食事の画像を提供して一緒に文面を考えたりもしたが、彼女はその率直で素直な性格をそのまま投影させたかのような、実に健康的な文章を書くことができるので、わたしの助力などは余計なお世話に過ぎなかったに違いない

そしてある夜、共有スペースの炬燵こたつで、わたしが近所のスーパーマーケットでユーロ・コインだけで買えるような安価なワインを数本とクラッカーを一箱用意して、向かい合って二人でしみじみと晩酌しているときにわたしはこれから一旦パリを離れてスイスに入り、中学校が同じだった同級生に会いに行くつもりだと話すと、千亜希ちゃんは大きな両目を芝居がかったように意図的に細め、妖しく、そしてにんまり笑ってこういった


その同級生って・・・女性なのかなぁ?
それも25年振りだとぉ?
ほうほうほう。
ロマンスの匂いしかしないんですけどー。


しかし彼女のいうその「ロマンス」の舞台がチューリッヒだと話すと、千亜希ちゃんは、嗚呼、よりにもよってチューリッヒかぁ・・・と世にも嘆かわしい深いため息を吐き、チューリッヒについて、だから長期滞在向けの、いわば”スイス攻略”とも呼べる即席の講義をわたしに披露してくれた


千亜希ちゃんはいった


スイス=チューリッヒは、わたしの「スタバ指数」ではグランデ・サイズで約1,200円もする世界最悪レヴェルの物価の高さなのです。
何もかもが異常に高くて、その威力は日本人をも震え上がらせています。
MacDonaldも恐ろしい価格設定なので絶対に近づいちゃダメです!

そしてチューリッヒにはここのようなゲストハウスがたったの一軒しかなくしかもかなりの高額で、にも関わらずそこしかないので常時予約が埋まっているはっきりいってバックパッカーを容易に受け入れる街ではないんです。


わたしはだんだん目の前が暗くなってきた


千亜希ちゃんは自分のラップトップを炬燵の上で起動させてこう続けた


でも大丈夫!わたしがその同級生の方とゆっくり過ごすことができる
神業的なプランを教えてしんぜよう。



14


彼女が教えてくれた「神業的プラン」とは、つまり
「チューリッヒを拠点とするな」ということであった


彼女は画面にGoogle Mapを呼び出してスイスを拡大し、鉛筆立てから赤のボールペンを手に取りそれでスイスのある地方都市を指し示した

わたしが画面をのぞき込むと、そこにはLauzannuローザンヌというフランス国境に近い、どこかで聞いたことのあるような地名があり、すぐにそれが国際的なクラシック・バレエの、世界的な「聖地」だとされている街だと思い至った


千亜希ちゃんは続けた


別にローザンヌでなくてもいいけれど、要するにフランス国境に近い地方都市を狙って拠点にするんです。もちろん通貨はスイス・フランで物価は高いけれど、チューリッヒよりかは何割か安いはずだし、それでもキツかったら国境を越えてここフランスに戻れば、それはすなわちユーロに早変わり!

だから逆にフランス側のスイス国境に近い、例えば大都市のLyonリヨンを拠点にしてチューリッヒに、いや、彼女に「攻め込む」のもひとつの戦術ではある。



なるほどね、とは思った



確かにフランス寄りの国境の街を拠点にして、週末にチューリッヒに入れば費用面ではかなり抑えられそうだが、わたしには画面に映し出された地図上の、まず例えば、そのローザンヌとチューリッヒの「距離感」が全くつかめなかった、というよりも、それらの都市はスイスの国土のほとんど端から端のようにも思えた




何しろこれから初めて入る国なのだ
山脈が多い国だとも聞いている
勝手が全くわからない未知なる国でもあるのだ



それに、こうしたヨーロッパの旅は生涯で何度もできるわけがなく、費用面も間違いなく重要だが、できればフランス側からチューリッヒに「攻める」のではなく、この機会にスイスを存分に見てみたい気持ちの方が強かった

千亜希ちゃんのこの素敵なプレゼンに、しかしさっそくケチをつけようと思い、わたしは口を開こうとしたが気勢を制された


スイスの優れた点のひとつは、世界的に広く知られているように
鉄道がかなり発達していて、要するに早くて正確なのですよー。
つまり、”スイス鉄道”!
そしてスイスは、鉄道の料金だけは本当に、本当に、良・心・的❤


と歌うように言い、ラップトップの別のウィンドゥに「Omio」を立ち上げてローザンヌ=チューリッヒを調べてくれると、地図上ではかなり離れていると思った距離が、スイス鉄道を使えば片道僅か二時間程度で移動でき、しかも意外なほどに価格が抑えられた安価であることにわたしは驚いた



拍手喝采!
ブラヴォー!おぉ、ブラヴォー!



わたしはこのプランを早速、”千亜希ちゃん方式”と名付け、これから入国するスイスにおいてたぶん間違いなく採用することになるであろうという強い確信を持った



そしてその夜、その話が一段落した後で彼女にこう訊いてみた

で、そのスイス人の彼とはうまくいってるの?

すると彼女は両手で両頬を抑えて唇を突き出し

今週末は彼の実家で、ご家族の皆さんと初めての食事なのだぁー

と叫び、そしてきゃぁぁぁ~と絶叫してそのまま炬燵の横に大げさに倒れた


この日からおよそ一年後、千亜希ちゃんはその彼とめでたく入籍し、今現在ではスイスのチューリッヒにほど近い、ルツェルンというやはり古都で
二児の子育てに奔走していることになる


15


大聖堂内に忍び寄る冷気が次第に深刻な問題になり始めた

二月のチューリッヒの夕暮れの気温はいとも簡単に氷点下を下回ると彼女から聞いていたが、わたしの場合は下はジーンズ一枚という薄着がその冷気に直撃され、両腿を掌でさすってもさすってもしつこく冷気が忍び寄って来るので、再び二階の通路をひとりで歩き始めた

それはもちろん階下の彼女も同じだったらしく、まだ左手のスマートフォンを耳にあてていたがベンチから立ち上がり通路を行き来しながら通話を続けていた

そのとき彼女と一瞬目が合い、彼女は通話を一時保留にして階上のわたしを見上げるようにして、もちろん日本語でこういった

ごめんね。もう少しで終わるから。

わたしはさっと右手の親指と人差し指で輪をつくって答え、暖をとるために再び半円周上の二階の通路を歩き続けた

そうした単調で、自分の足元だけを見て歩いていたせいなのか、あるいは階下と階上でお互いがすれ違うように歩いていたせいなのかはわからなかったが、わたしはまるで未熟な催眠術師の罠にかかってしまったかのように、いつしか自分自身の心の中を覗き込むような、深い没頭の中に入り込んでいってしまった


16


昨日から繰り返し彼女がわたしに語ったのは

しかし、中学では一度も同じクラスにもなったこともなく、部活も違って
高校も別々だったのに、二十年後にここチューリッヒで再会するとはね。
・・・何だか信じられないような気もする。


という驚嘆の思いで、わたしはそれを何度となく聞いたが笑って相槌を打つだけで、それに対して何か返答するということは、意識的に一切しなかった

もちろんわたしも彼女と同様の感想はもっていたが、実はわたしが抱いてる思いとは、彼女のものとは本質的に色彩が濃く異なる性質を秘めていたのだ

確かに、わたしたちの人生の曲線は重なって交差することはなかった

それは「偶然」が呼び寄せた中学の同級生という曖昧で消えそうな輪郭だけで、加えてそれは同じクラスに一度もならなかったということで、より明確にその輪郭の内側には何も存在しない空虚な空間が広がっていたことが判明しただけで、そこが「無」である以上は、だから将来へと芽吹いていく有機的なものは何ひとつなかった

そしてそれは部活も高校も同様で、このふたつには僅かに自分の意志を通す極めて細い道は確かに存在していたのではあろうが、十代の、それも思春期という混沌の中でその道を見つけることは、少なくともこのわたしには不可能だった

昨夜、彼女の自宅で訊いた彼女のこれまでの半生では、わたしが大学へと歩みを進めた頃に彼女は高校時代にアルバイトで貯めた百万円をもって、すぐにニュージーランドへと旅立っていき、まずは英語を身に着け、周辺国を旅し、やがて日本でスイス人の男性と恋に落ち、結婚してチューリッヒに移り住むが、何もかもがどうしてもうまくいかず、離婚にはスイスの司法が介入し長い年月を「戦い」に費やざるを得ず、その間に彼女は一年の半分が雪と氷に閉ざされるこの国で鬱病を発症し——

彼女はいった

離婚裁判には七年かかったかな。
この国は保守的な面が強くて、なかなか思い通りにはいかない。
そして
本当に最近、最近になってようやく前の夫とはお互いの誕生日には
メッセージを送りあえるくらいにはなったかな。
日本や海外、もちろん国に関係なく本当にいろいろある。


そして再び自由を手にし、仕事も売り場から商品部へ引き上げられ順調に一歩づつキャリアを積み、そこでようやく一息ついた頃に、彼女はわたしからのメッセージを受け取ることになったのだ


”しばらくヨーロッパをぶらぶらとうろつくつもりなんだけど
よければ一度チューリッヒで会えないかな?”


17


わたしはまるで深い水底から水面に上昇するように没頭から目覚め、水を飲み大きく息をついて二階の手摺に両肘を預けて階下の彼女を見下ろしていた


彼女は相変わらず暖をとるために通路を歩きながら通話を続けていたが、それはわたしにとってはどれだけ見ていても不思議と見飽きることのない素敵な光景でもあった



これまでの半生で、私たちの人生の曲線は間違いなく重なることはなかった

しかしそんなことはわかりきっていた



わたしが唯一強く懸念していたのは、このふたつの曲線はこのまま放っておけば恐らくは間違いなく、永久的に交差することがない絶対的な性質を秘めていることが、これまでの半生で痛みをもって十分に理解していたので、こちらで意図的な圧力をかけて根源にある法則を変えさせ、その曲線の湾曲する軌道を、たとえ恣意的であれ変化させなければならなかった

そう


もちろんわたしはこの国に、自らアクションを起こすことで、つまり実際にチューリッヒに彼女に会いに来ることでその曲線に圧力を与え、交差させるために、、、、、、、、、それだけのためにこうして現れたのだ


階下で靴音をたてて歩き続ける彼女の後ろ姿を見ながら改めてそう強く思うと、そのときちょうど彼女の通話が終わり、大聖堂内に反響していたドイツ語が止み、おそらくは私たちがここへ訪れるその最前まで満ちていたはずの深い静寂に、堂内は再び包まれた




つづく






NEXT

2024年11月30日(土) 日本時間 7:00

レイク・チューリッヒ
輪舞する、旧市街

輪舞する、旧市街





いいなと思ったら応援しよう!