レイク・チューリッヒ | 太陽を浴びていた午後
レイク・チューリッヒ | 07
太陽を浴びていた午後
チューリッヒ在住の中学の女性の同級生の家に滞在させてもらってから
瞬く間に三日が過ぎ、五日が過ぎ去っていった
その間にわたしは市内のほぼ中心地にある中央駅を起点と終点にし、毎日カメラを肩から下げては、厳冬期のチューリッヒを一人でうろつき回っていた
チューリッヒの「三大聖堂」と呼ばれ、世界中から観光客を集める
聖ペーター教会、フラウ・ミュンスターにグラウ・ミュンスター
中世から続く複雑な迷宮のような旧市街、そこから伸びる、高級ブティックが軒を連ねメイン通りでもあるバーンホーフ通りでは、偶然にもぶつかった「春を祈るパレード」を飽かずに見物しては、仮装をした人々を撮影したりほとんど偶然に見つけて入ったチューリッヒ美術館では過去に対していくらか真剣に考えさせられ、旧市街を貫くリマト河では上空を舞う名前もわからない異国の鳥たちに餌を与えては必死に撮影を試み、緩やかな傾斜が続き市内を一望できる「リンデンホフの丘」の頂上からは、彼女の家を探していた
そうした日々に、いくらか疲労を感じていつも向かうのは、やはり市内の中央に鎮座する巨大なレイク・チューリッヒで、凍結し始めた静かな湖面の畔で熱々の珈琲を飲みながらひとりで文庫本を読んだり、あるいは風景を見ながら、そこから想起される脈絡のない思いを、想いに任せて自由に開放したりと、旅の途上で立ち寄ったこの街を、羽を伸ばすようにして満喫していた
当時、彼女からは、毎日市内に「出撃」するわたしの姿を見て、ねぇ、たまには一日家でゆっくり過ごしたら?と何度か声をかけられ、加えて、当時は街中にインフルエンザが猛威を振るっていたこともあり、市内観光中に万が一体調を崩した際のための、彼女の自宅への、「撤退」用の合鍵のカードキーも一時的に預かっていたが、結局それを使うことは最後の日までなかった
それに何より、いくら厚顔無恥で図々しいこのわたしでも、主が不在の家でひとりで過ごそうとまでは、いくら考えても、選択肢のひとつにもなかった
それはもちろん倫理や道徳の範疇、とまでは大袈裟にもいえないのかも知れないが、要するに主が不在の家ではわたしは心身共にどうしても落ち着いて過ごせず、加えて、もしもわたしがひとりで留守している間に、たとえ勘違いだとしても、彼女のパンティが一枚でも無くなれば、わたしはこの国を即座に追われ国境を越えたドイツあたりへ「亡命」を余儀なくされたのだろう
だがしかし、結局、最終的に十日間もお世話になった彼女の家で、人生の不思議とも言うべき、わたしはたった一日だけ、家から一歩も出ずに室内で過ごした日があったのだ
そしてそれには次のような理由があったからだった
この時期のわたしの心理状態とは、古典的な言い方をすれば「遠足前の小学生」に外ならず、前夜どれだけ疲れていても、朝は必ず夜明け前に覚醒して家の主でもある彼女が目覚める前にリビングに陣取って活動を開始していた
起きてまずすることは、特に彼女からは一切何も頼まれていなかったのだが珈琲を二人分準備してメーカーにセットして、その間に「保・湿・命」の彼女の為に、リビングだけで十二台もあった加湿器を、まるでサーキットのように次々と給水してまわっては室内の湿度を急上昇させ、それが終わると玄関の郵便受けに彼女が購読していたスイスの新聞「ノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥング」を取りに行き、それを小脇に挟んでリビングへと舞い戻る
そしてそれをダイニングテーブルに広げて、ひとりで淹れたての珈琲を飲みながら、ドイツ語の視覚的な印象とはどうしてこんなにも角ばってみえるのかとまずは悪態をつき、次にテーブル上に立てかけたタブレットで数種類の翻訳アプリを駆使して、ドイツ語で書かれている新聞の一面の大見出しくらいは何とか解読してやろうと、夜明け前からひとりで燃えに燃えていたのだ
一体何に対して燃えていたのかは自分でもよくわからなかったのだが・・・
そのようなある平日の夜明け前に、いつも決まった時間に目覚めて、スリッパをパタパタいわせながら、軽快にガラス扉の向こうの廊下からリビングに現れる彼女が、しかし、いつまで待っても現れなかった日が一日だけあった
彼女の場合、うっかり、でも、ちゃっかり、でも寝過ごすような人では決してなく、わたしはあっさりと新聞の翻訳を放り投げて、スマホでLINEを使って朝だよ。と送り、すぐに既読こそ点いたがいくら待っても返信はなかった
おかしい
いや、小さな懸念はあった
それも昨夜から
わたしはチェアから腰を上げて、個人的にはチューリッヒ市内の有名な大聖堂よりも遥かに、そして確実に神聖視していた彼女の「聖域」、寝室へ様子を見に行こうと思い立ち、ひとつ深呼吸をして胸前で十字を切り、ことさら厳粛な気持ちで長い廊下へと続く扉の取っ手に触れると、ガラス扉のすぐ向こう側に彼女が立っていて、驚いて、思わず声を上げそうになってしまった
わたしは静かに扉を引いて彼女を迎える形となったが、その、白よりも白くなった顔色を見て思わず両手で彼女の両腕を掴み、目線を落として大丈夫?と訊くも、彼女は辛そうに腹部を押さえて小さく、うっ、と呻くだけだった
医学の知識をほとんど全くもたない私でも彼女が体調を大きく崩しているのは明白で、もしもこの場所に「黒き天才医師」のブラック・ジャックが奇跡的に居合わせたとしたら、手術用の手袋をはめて、よし、とりあえず手術だと言い出しそうなくらいに、彼女の顔色も、だから容態も悪そうだった
彼女は、まるで太極拳のようなゆるやかな動きで、ダイニングのいつもの自分の席に座り、その正面の席にわたしが座ると、やや俯きがちにこういった
実は昨夜から生理痛が酷くて・・・
そして彼女はテーブルにゆっくり額をつけて、次に横を向き腹部をさすった
生理痛
嗚呼・・・
前夜から、確かに彼女のそうした兆候をわたしも看てとっていた
顔色があまり優れず、それを小さく指摘すると、インフルじゃないインフルじゃない、といい続け食事は生野菜のみで飲酒は一切控え、グラスにいれた常温のミネラルウォーターばかり飲んでいたのでわたしも気にはなっていた
そして何より、おそらくは世の中の多くの女性と同様に、彼女も毎日の夜の入浴が一日の最大の楽しみとでもいうように、まるで世界中の時間を独占したかのようにバス・ルームに消えるといつもたっぷり一時間以上は出てこなかったが、昨夜は入ったと思ったらすぐに出て来て、今日は先に休むね、とわたしに告げ、不可侵で神聖な、自身の「聖域」へと引き上げていったのだ
眼前にいる彼女は、そのたったの一晩でいくらか痩せてしまったかのようにわたしには思えた。元々、彼女は「平日はヴィーガン」という固有の食生活
と「週末は飲酒制限」という厳しい制約を自らに課していて、だからすらりとしていたが、たった一晩でさらに頬がいくらかこけてしまったような印象があり、わたしがそのことを指摘すると、テーブル上に横向きに顔を伏せていたままの状態で、うん。ちょっと出血が酷くてね・・・、と細々といった
出血
仮にこのとき彼女の体重が、昨夜より一キログラム減っていたとして、その原因の大部分が「出血」にあるとしたら、おおよそ一㍑もの血液が体外へ流出したことになり、それはもちろん五百㎖のペットボトルで正確に二本分という換算になり、そう考えると生理痛の影響とは、実に恐ろしく思えてきた
そしてもちろんいうまでもなく「生理」とは男は本質的な部分においては絶対的に立ち入ることできない女性特有の領域で、しかも本来は秘匿されるべき、複雑で内面的な肉体の事象であり、だからわたしも実はその症状の詳細や肉体的なメカニズムについてはこれまで深い理解ができていなかったのだ
ただ、わたしにひとつだけ理解できたのは、生理には定期的な周期があるということで、だから彼女はわたしがこのヤドカリ生活に入る以前から、少なくともその直前からこうなること、つまり同級生とはいえ異性を迎え入れる健康状態ではなくなるということを十分に予見できていたはずなので、そこに思い至ると私はたとえ知らなかったとはいえ、かなり微妙な時期に来てしまったのだなと彼女に対してとても申し訳ないという気持ちで一杯になった
テーブルの上に置かれていた彼女の左の手の甲に
だからわたしは自分の右手を重ねてこういった
せめて症状が落ち着くまで、おれはちょっと外出していようと思うけど
今度は逆に入れ替わる様に、彼女がわたしの手の甲に掌を重ねてこういった
いてくれたほうがいい
いてくれたほうがいい
ひらがなだけで構成できるこの言葉の温かさはいったいどうしたことだろう
余計な装飾が一切排され、そこに在るのはもしかしたら
素朴で純一な本当の温もりだけなのかも知れない
そしてあまりにも短い一生の中で、こうした温もりのある言葉を、それも異性から、しかも強い好意を抱いていた異性から言ってもらえるという機会は少なくともこのわたしの半生においてはこれまでにほとんどなく、そしてそれはもちろんわたしの性質が磁石のように引き寄せた言葉ではなく、あくまで彼女の温かな意思が放ってくれたことだけは事実として間違いがなかった
なぜならば、このように彼女の生理という極めてデリケートで、そしてヘヴィな健康状態の中で、そもそもが同じ空間に、それも彼女の自宅にいるという、わたしにとっての特殊な状況とは、彼女の意志が作り上げてくれた小さな事実であり、まずその事実という前提がなければ、この場所では一切なにも、それこそ言葉や行為が生まれてくることは一切なかったと思えるからだ
そして、テーブルの上で「貞子」状態に陥っていた彼女は、ゆっくりと顔を上げて冷蔵庫の常備薬をディスペンサーから抽出した白湯で飲み干すと、すでに職場には休みの連絡を入れているということと、スイスではこうした際に「生理痛休暇」の法整備が敷かれているということを簡単に話してくれて
やはり、「貞子」よろしく、ふらふらと、ゆらゆらと、そして、よろよろと
静謐な空気が満ちているに違いない自身の「聖域」へ引き上げようとしたときに、わたしは椅子に座ったままそれを見送るかたちで、ふと、その場で思いついたことを、微かに笑いながら彼女の背中へ向けてこう語りかけてみた
そこのお姉さん?
もしもよろしければ、おれが背負って寝室までお連れしましょうか?
半分本気で、半分冗談でいったつもりだったが
瓢箪から駒が出た
彼女は振り返って、意外にも深くゆっくり頷いた。そのまるで子供のような仕草にわたしは小さく驚いた。彼女は、これまでわたしが見てきた限りではどういえばいいのか、そのあらゆる挙措の中に、常に、微かな激しさのようなものを孕んでいるように思えていたからだ。例えば、ソファから立ち上がる際はいつもサッと素早く動いたり、グラスに残ったアルコールは、鋭利な角度をつけてスッと飲み干すような、そのような日常の細かな挙措の中でも一切の迷いを断ち切ったような激しさを孕んでいたので、このときは驚いた
それはやはり生理によって大きく体調を崩し
いうまでもなく心身ともに弱り切っていたからなのだろうか
わたしはゆっくりと近づいて、彼女の前で腰を屈めると
彼女は全身の力を抜いた状態でわたしの背中に覆いかぶさってきた
悲劇の幕開け
パジャマの上着の下に下着を一切身につけていなかった彼女の小ぶりな胸の柔らかな感触が直接、わたしの背中に伝わり、わたしは屈んだままの姿勢で思わず瞬間的に大きく「海老反り」してしまい、その衝撃でわたしの後頭部と彼女の顎が激突し、彼女は小さな悲鳴をあげ、そして彼女を背負ったままの体勢で、情けないことにもそのまま前方へ崩れ落ちてしまったのだ・・・
ごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめんごめん・・・
あぁ、無情
わたしは「膝枕」では完全に寝落ちし、今回は彼女に、それも弱っている彼女に「暴行」を働いてしまい、本当にまったく良いところがなかった・・・
この旅におけるわたしの悩みの種とは、連日一眼レフで撮影してきたその膨大な枚数の写真データの整理で、たぶん間違いないのだろうが、一日に少なく見積もって百枚前後、だから一週間では千枚近くにもなり、それはわたしにとってはとても「多すぎる」枚数で、一部は非継続的にSNSへ投稿もしていたが、そうした際はやはりベストショットを投稿したいという当然の心理も働き、しかし、それ以前にどうやってそれを選び出して見極めるのかにはいつも膨大な時間がかかり、それが億劫で次第にSNSから遠ざかっていった
だからこの日、彼女が身体を休めるために寝室に引き上げてから、わたしはダイニングテーブルの上にラップトップを立ち上げて、取り合えずカメラから写真データを「Zürich」のフォルダへ移行させては、自分用の記録として写真のそれぞれのキャプションに、例えば風景であれば通りの名や、料理であればその名称と支払った金額、絵画の場合はその感想を単語を羅列させるだけで断片的に、そして機械的に、黙々とキー・ボードに打ち込んでいった
その作業をある程度まで仕上げると、次にわたしはリビングのソファに移りまるでこの家の主でもあるかのように偉そうに一人でふんぞり返ってドイツ語の意味不明なニュース番組を観たり、チャンネルを変えて英語字幕つきの
ナショナル・ジオグラフィックの、わたしの意訳では「神秘の蛙の世界」を観て、最終的には突如現れた蛇にいきなり丸呑みにされてしまった一匹の蛙の運命の、一体全体どこが「神秘」なのかを首を傾げて考え、たとえ生まれ変わっても蛙だけは勘弁願いたいという消極的な感想をもったりしていた
そうこうしているうちに、ようやく「遅咲き」のチューリッヒの太陽が昇り
高層アパートメントの東向きのテラスからは新鮮な朝陽がさんさんと入ってきて、それは実に気持ちの良い、心が晴れ渡るような北国の朝の瞬間だった
わたしは二杯目の珈琲を淹れて飲みながら、マグカップを持ったままでリビングの壁面に備え付けられた彼女の書棚に歩みより、空いたスペースにカップを置いて、数歩下がり改めてこの書棚は素晴らしいなという感想をもった
彼女のスイス人の前夫が残していったというその書棚は、おそらくは南米産のローズウッドの一枚板とヴィンテージ・アイアンを組み合わせたモダンで斬新な仕様で、家具の製造の世界に長くいるこのわたしでも、実はなかなか実物にはお目にかかれない銘品で、間違いなく、これはわたしたちの世界ではほとんど世界最高峰と位置付けられる、イタリアのある地方の職人たちが丹念に時間をかけて手作業で仕上げた歴史的な「名作」に数え上げられる書棚で、買っても売ってもかなりまとまった金額になることは間違いなかった
そして、テラスから伸びてくる朝陽を浴びながら、これを残していった彼女のスイス人の前夫とは、いったいどのような人物なのだろうかと考えてみる
彼女からは、「神経質」で「プライドが高い」人だったとは聞いていたがもちろん私はそれを確かめることはしないし、また、できないことでもあった
しかし結局、彼女側から申し立てた離婚裁判で七年もの歳月がかかったということは、それは恐らくは尋常ではない異常な歳月で、スイスにおけるその一般的な事情は知る由もなかったが、そのような長期的な法廷での戦いで疲弊してしまった彼女が鬱病を生じてしまったという一点では、そのスイス人の前夫とは、はっきり言って、このわたしには歓迎できる相手ではなかった
ただ、公平的なこの朝陽のような「両義性」という意味では、そうした歳月を要してでも別れていなければ、つまり彼女が「独身」という状態でなければ、わたしはまず間違いなく、このチューリッヒはおろか、スイス自体も通過するだけの、広大なヨーロッパ大陸の有象無象の中のただの一国に過ぎずそして何より彼女に直接コンタクトを取るといった直線的な行為自体が存在しなかったのは間違いなかった。しかし、そうした意味においても、彼女の前夫に対してわたしは感謝をするという気持ちは、当然、一切持てなかった
かつてそうした彼女の歴史の中に、あくまでわたしの感覚としては遠い異国に男がいたということだけは記憶の片隅に、本当に危険な「事故」の可能性を秘めた、意志を込めて少し手を伸ばして押せば、落下して消失してしまう崖の縁のような危険な片隅にだけ、留めておくことはできるのかも知れない
書棚に並べられた彼女の蔵書は、そのほとんどがドイツ語で書かれたもので背表紙のタイトルを見るだけではそれがどのような種類の本なのかがわたしには一切判別ができなかったが、無作為に取り出してパラパラ捲ると、ページに挿入されている写真やイラストを見る限りではどうやら、スイスやドイツ、あるいは、ヨーロッパ全体の「歴史」に関する著作が多いように思えた
書棚の隅には大判の写真集が数冊あり、一冊を手に取ってみるとそれは、グリーンランドの自然風景、それも海上から孤島の全景をモノクロームで撮影しただけの風変りな一冊で、一見どのページでも同じような構図の連続のようにも思えたが、自然にその一枚一枚に深く惹きつけられるような、不思議な美しさに定着された、極めて優れた写真集のようにわたしには感じられた
その隣にはメキシコの女流画家のフリーダ・カーロの画集に、フランスのやはり女流画家のマリー・ローランサンの画集、どうやら彼女は女性の芸術家に強い感心をもっているのかも知れないと思いつつも、しかしやはり、書棚の大半を埋め尽くす圧倒的な数のドイツ語の書籍が気になって仕方なかった
それはわたしの目には、この蔵書に彼女固有の知的好奇心を感じると同時に
実は、「異様」だとも映っていたからに他ならなかった
なぜならばこの書棚の中に日本語で書かれた書籍がただの一冊もないからだ
ただの一冊も
それは単純なひとつの事実ではあったが、しかし異国にいる同じ日本人として、しかも読書家の一面も合わせもつ彼女の貌を考えるとこの事実はかなり異様に思え、恐らくは間違いないのだろうが、彼女は人生のかなり早い段階において、「日本」への興味を失ったか、見限ったか、あるいは棄て去ったかと考えたとしてもそこには大きな破綻がないようにわたしには思えていた
しかしながら、そうして故国を棄て去ることなど
本当にこのわたしたちには可能なのだろうか
その数日前の土曜日、彼女の休日にはふたりで朝から自宅アパートメントの周辺をたっぷり三時間近く散歩して、その途中に寄った、いかにもスイスの古い石造りのベーカリーを思わせる素朴で温かそうな店で、焼きたてのピザを一枚テイクアウトし、午後は彼女の自宅のテラスに出て、濃い珈琲とともにそれをつまみながら、スイス名物でもある「日光浴」をしたことがあった
お互いにしっかりと厚着して、黒いサングラスをかけて木製のチェアに横並びに座って、ひたすら太陽の光を浴びるだけで、わたしは食後に気持ちよくそのまま、うつらうつらと眠ろうとしていたら、彼女がこう話しかけてきた
この前ね、職場で必要があって、あるドキュメントに日本語で直接自分で記入しなければならないことがあって・・・「橋」って漢字があるでしょう?
”Bridge”の「橋」。
部首はキヘンだっていうことはすぐにわかったんだけど、その右側の造形ってどうだったっけってしばらく考えて、結局わからず、スマホで調べたの。
わたしは「橋」の文字を頭の中でイメージしてみたが
細部の構成まで問題なく、睡魔と闘いながら彼女にこういった
別に「橋」が書けなくても大した問題じゃないよ。
調べてわかるのであれば、調べればいいだけだと思う。
彼女も濃い黒のサングラスをかけていて、その表情まではわからなかったが
真顔でこちらを見つめているような気がした
違うの。
「橋」以外にも、例えば日本のニュース・サイトの記事を読んでいても
ルビが振られていない簡単な一般常用漢字がだんだんと読めなくなってきているような気がするの。
これって深刻な問題なのかな?
逆にすさまじいなと、わたしは思った。逆にそこまで日本語から離れられるものなのか。わたしは、このチューリッヒ滞在以前も、そして以後も海外での就業経験があり、つまり何年も国外で暮らしているが、日本語からは離れられないし、また、自分から離れようとも思ったことは一度もない。逆にもっと多くの語彙を増やして、表現力を鍛え上げていきたいとさえ思っていて日本語の書籍を読み漁り、外国語は必要に迫られる形でしか使用していない
わたしは睡魔を蹴とばして、チェアのお尻の位置を変えて座り直し
外気ですっかり冷たくなった珈琲を一口飲んで、彼女にこういった
深刻ではないと思うよ。だいたいアルファベットの単純さに比べて漢字は難しすぎると思う。誰だって一時的に忘れることはあるし、「橋」の構成って考えてみれば、少なくとも書くのはやや面倒くさいとは思うね。だから気にする必要はないよ。
・・・で、直筆で「橋」を書くそのドキュメントって?
そこでふたりで笑って話は終わったのだが、わたしの心の中には、このとき
ざらりとしたものが残った。彼女にあえてその場で訊くことはしなかったがおそらく彼女は、もう日本には戻るつもりはないのだろうなと思えると、少し手を伸ばせば届く真隣りにいた彼女の存在が、記号だけで記される無機質にも似た、遥か遠い、銀河の惑星の住人のように思えてしまったからだった
つづく
〈お知らせ〉
いつもわたしの記事を最後までお読み頂き、本当にありがとうございます。
今年は久しぶりに、実に五年ぶりに年末年始を福岡の実家で過ごすにあたり年内の投稿はここまでとさせて頂きます。noteのアカウント自体は凍結まではしないつもりですが、意識的にあまりアクセスしないするようにするため皆さんの記事を拝見しにいく機会がぐっと減ってしまいます。
まだ小さい甥っこや姪っこと共に、楽しいクリスマスと賑やかな年末年始を過ごしたり、九州の山奥の温泉で母とふたりでのんびりする予定なのです。
gingamomさん、popoさん、Shokoさんに続き
微力ながらこの記事でEijyoさんの新クラブを応援
そしてごく私的なことなのですが、今年の10月にインドネシアを引き上げ本帰国したのですが、来年は、春を待たずに・・・再び海外・・・しかも、ひとつの国に常駐する「駐在員」ではなく、南北アメリカ大陸、ヨーロッパ全域、アジア諸国、それらの中でも筆頭となる先進国の主要都市を中心に、複数の国を跨いで繋ぎ、数か月単位で現地に滞在する、ある業務の最前線に立つこととなる「新しい戦い」が始まります。
いや、その前に年が明けてほどなく、その準備と視察のために東北の奥羽山系の麓の、かつて妖怪や魑魅魍魎が跋扈していたという「遠野物語」の舞台にほど近い、とある「豪雪地帯」に入り、そこへ二か月程度滞在する予定なので、今は福岡の自宅でその準備を始めたばかりの状態なのです。
本来は2025年の一年間は、仕事は何もせずに福岡でゆっくり心身を休めつつも、noteを中心にこれまで時間を作れずに書けなかった内容の記事でも書いて、note以外の場では主にエッセイや紀行文のコンテストに応募してみようと思っていたのですが、旧知の知人を介して届けられた上記の話を、悩んだ挙句に一度正式に断わりを入れるも、話し合いを重ねるうちに最終的に承諾してまた再び、「荷造り」を開始することになったのです。
わたしは乳製品と生卵、そして飛行機が大の苦手で可能な限り遠ざけて生きたいのですが、また国内外の国際空港のラウンジで真っ青になって黄昏れる日々が開幕しようとしています。
とりあえず一年だけならば、ということで受けた話で、〈戦う〉前からもはや苦戦の予感しかしないのですが、受けた以上は試行錯誤しながらもベストを尽くすしかありません。
この顛末も来年以降は記事にして書いてみようと今、考えています。
そうした背景もあり、今年の年末年始は家族とゆっくり過ごします。
連作の途中なのですが、少しだけ間を空けさせて頂き、年末年始の喧騒が去る頃には再び再開させて頂くつもりです。
少し早いご挨拶となりますが、みなさんも良い年末年始をお過ごしください。
今年はインドネシアでの仕事に忙殺され、noteのアカウントの凍結期間が多く、掲載した記事も14本とかなり少なかったのですが、それでも多くの人に読んで頂き、コメント欄でも様々な楽しい交流をさせて頂きました。
本当にありがとうございました。
皆さまに心より感謝の気持ちを申し上げさせて頂きます。
来年、またここnoteで再会しましょう!
では
また
Yukitaka Sawamatsu
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