場所と哲学 ー ハイデッガーの影響
前回の投稿では、場所と哲学の交差点を考え、Yi-Fu Tuanの紹介をしました。ここでは、Tuanが大きく影響を受けたと言われるハイデッガーの現象学との関わりについて見ていきたいと思います。
「住まうこと」:無意識化の中で生まれる意味
ハイデッガーは、人間と場所の関係性を考察する際に、「住まうこと」(英訳:"dwell")という概念を見出します。これは、Stanford Encyclopedia of Philosophy で以下のように説明されています。
つまり、「住まうこと」は単に物理的に存在するだけでなく、そこに属し、親しみ、深く根付くことを意味しています(この考え方は "Being-in-the-world"という概念につながります)。しかし、この親しみや馴染みが、逆に人が場所を意識的に理解する妨げになることがあります。ハイデッガーによれば、道具を使い慣れてくると、その道具を使っているという意識が薄れるように、場所に馴染んでくるとその存在が意識から消えてしまいます。このように、場所が人間の活動の一部として日常化したとき、その場所の存在が人々の意識から消えてしまうと考えています。その結果、人々は場所の本質的な意味を理解しないまま、その場所を利用するようになるのです。
一方で、Tuanはこの「馴染む」過程こそが、場所の意味や性格を形作る重要な要素であると考えます。ハイデッガーの理論が場所の本質が意識から薄れる危険性を示唆するのに対し、Tuanはその主観的な経験の積み重ねこそが場所の意味付けに不可欠であると捉えています。Tuanの著書『Space and Place』第2章では、人が五感を通じて場所とつながりを築くことで、その場所に独自の意味が生まれ、それがその場所の「キャラクター」となる過程が考察されています。したがって、Tuanの「場所の性格」は、場所の物理的な特徴だけでなく、そこに住む人々の経験や感情によって形作られるといえます。ハイデッガーの「住まうこと」が場所を無意識化するプロセスであるならば、Tuanはその無意識化の中にこそ場所の意味や魅力が潜んでいると考えているのです。
「関わり」:物が生み出す場所の意味
さて、場所を語るうえでハイデッガーのもう一つの重要な概念は、「関わり」(involvement) です。これは、すべての物が何らかのコンテクストの中で意味を持って存在しているという考え方です。例えば、ハンマーは物を叩くための道具であり、ベッドは寝るための家具であるといった具合に、物はそれぞれの目的や使用法に基づいて存在しています。そして、これらの物は互いに関連し合い、一つのネットワークを形成しています。さらに、ハイデッガーの「住まうこと」という概念に関連しますが、私たちは通常、物を使う際にその存在を意識していません。しかし、何か一つの物が欠けると、その物が果たしていた役割や重要性が突然際立って見えるようになります。例えば、歯磨き粉があっても歯ブラシがなければ、「歯を磨く」という目的を達成できず、その活動にとっての重要な関わりが失われてしまうのです。
Tuanは、このハイデッガーの考え方を場所の文脈でさらに発展させました。つまり、場所とは、人間を含むすべての物が互いに意味を持たせながら存在する空間であり、その中で人間は物と「関わる」ことを介して新たな体験をし、感情を感じ取る場であると考えました。
※本稿は個人の研究過程において執筆したものであり、内容に誤認や誤情報が含まれている可能性があることをご理解いただければ幸いです。
参考文献
Tuan, Y.-F. (1977). Space and Place: The Perspective of Experience. University of Minnesota Press.
Heidegger on Place and Dwelling - Land&Liberty (landandliberty.net)
Martin Heidegger (Stanford Encyclopedia of Philosophy)