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海のシンバル〜久々原仁介

友人から回ってきた、書籍化クラウドファンディングのお誘い。
「小説のサイトで最初から読めるから、読んでみて!」と言われ。
読んでいったら、続きが気になって仕方なくて、その足でクラウドファンディングしました。

1月に書籍が到着して、やっと続きが読めた!
こういう出会いをした本が、紆余曲折して自分のもとにやってくるのは、本当に感慨深いものであります。

そして、ラストまで読めてよかった!
とても忘れられない作品でした。

*     *     *

山陰の梶栗郷のファッションホテル「ピシナム」で働く「受付さん」が、webライターの秋山の取材に答えるという形で、「当時」のことを語る。
311の被災者を各地の公団住宅が受けて入れていた時代(わたしの町もそうでした)。移住者であるらしい「R」は毎週違う男と一緒にこのホテルにやってきて、そして、男が先に帰ったあとに、部屋で泣く。
気送管カプセル(現金を受付までシューッと送るカプセル)を通じて、やがてRと「受付さん」の交流が始まる。
人の顔を見て話すことができない「受付さん」と、311によって心に傷を負った「高校生R」。
ふたりは気送管カプセルを通じて、短い文通のようにやりとりをする。

踏み込んだり、踏みとどまったり。
「なくすことの意味」は、「なくす場面にいなかった者」には伝わらない。
カプセルでの文章のやりとりという、ひどく時間のかかるやりとりの中で、お互いの魂を削りあって。
それがひとつひとつ胸に刺さっていく。

そうか。
わたしにとっては遠くて、悲しい出来事だったことが。
身近にあった人がそこにいて。
気持ちを寄せてみても、伝わらない、けっして伝わらない悲しみを抱いていて。
伝わらないこともまた絶望であったことすら、気づかないまま、いつのまにか10年以上の月日がたってしまっていたんだね。

ひとりひとりの性格が違うように。
ひとりひとりの背負うものが違うけれど。

それを描いてくれる人がいて、その世界に触れられてよかったと心底思った。
描いてくれなければ、わたしは、この世界にたくさんいるはずの「R」のことをなにひとつ知らままだった。

Rを知ること。
Rをなくすこと。
どちらも同じようにこの世界にある。

「Rをしらないまま生きてきたこれまで」とは、ちがう世界がわたしの中に広がっていくような。
とても素敵な作品でした。

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