山本文緒の「ばにらさま」の凄みに呆然となった
6編の短編からなる単行本「ばにらさま」。
初出を見てみると意外に古く「ばにらさま」は2008年 いちばん新しい「20✖️20」が2016年。
これまで長編のイメージしかなかったので、こんなに凄みのある短編を描く人だなんて思ってもなかった。
表題作「ばにらさま」で背筋が凍った。
手足の冷たいきれいな女の子の話。
僕は、派遣社員の彼女は恋人だと思っていたけれど、だんだんその中身を知るうちに愛情を感じられなくなってしまう。
「ばにらさま」はどこにでもいる。
きれいな顔で笑っている。ときどき優しい言葉もかけてくれる。
でもその深い闇はどうしようもない。
個人的に好きだったのは「バヨリン心中」。
東北大震災で壊れたひとつの恋を年月をかけて語ってくれている。
災害は建物や人命を奪うだけではない、「災害とは、こういうところに壊れた歴史を置いてゆくんだ」と思った。
ラスト「こどもおばさん」。47歳でなくなった友人の遺言について書かれた掌編。
2011年に描かれた「東日本大震災復興支援チャリティ同人誌「文芸あねもね」が初出である。
短編集の最後にこれ、持ってくるかなあああああ。
彼岸への予感、予告、そして作者の中にある意思。
10年前の作品に、死の予感と覚悟が描かれているような気がして。
描かれたままの気持ちも変わらず山本文緒さんは消えてしまい、そして肉体が消えたあともこう語ってくれているような気がした。
短編はどれも凄みがあった。じっくりと長編を読ませる作家というイメージだったので意外だった。
どれもすごい。
傑作。
* * *
「彼女」と「自転しながら公転する」について話したことを思い出した。
プライドの高い彼女は「あれは専業主婦の話だから」と言った。「専業主婦の話だったけれどおもしろかったですよね」
BSの番組で山本文緒について知り「読んでみたい」と彼女が言い「好きな作家さんです、新作をわたしも読んでみたい」と言って、ほぼ同時に読み終えたように記憶している。
彼女は緩和ケアに行く時期だったが「まだ大丈夫だと思う」と言いながら自宅でがんばっていた。
山本文緒さんの方が同じ病気で先に逝ってしまった。
そのことは彼女に伝えることはなかった。
その後、入院先の緩和ケアの病棟のベッドでわたしたちは会話した。
「肺転移したのはとても悔しかった。でも、家にいたあいだにできたこともあった。お正月も迎えられたし、目標にしていた自分の誕生日を迎えることもできた。でも子供の卒業は見届けられないと思う」
そう言って彼女は目を閉じた。「ここにいるといつまでもゆっくり寝ていられます」。
理系の大学院という男社会で生きてきた彼女にとって、わたしはなにもしらない「こどもおばさん」だったのかもしれない。
小説という共通の話題がなかったら、わたしたちは事務的な話以外なにもできなかった。彼女のからだは「いっぱいいっぱい」だったし、彼女はそのことを誰かに伝えることもなかった。
仕事柄、病状やこれからのことについて聞きたいことはやまほどあったけれど。
小説の話しかしませんでしたね。
でも小説の話がなかったら、なにも話すこともなかった。
だから小説には感謝しています。
R.I.P 「ばにらさま」の感想も聞きたかったです。