絶頂期とは。
今日は私の幼稚園の頃の話を。
ただの思い出話なのにやたら長くなりそうなのでお暇な時にでもぜひ。
私は、幼稚園時代が「人生の絶頂期」だったと
思っている。
私が三年間通った幼稚園は、音楽幼稚園だった。
当時の私はその音楽幼稚園の通園バスに描かれていたキャラクターに惹かれ、「あれに乗りたい!」と母にお願いしたため、この幼稚園に通うことになった、と聞いたことがあった。
ただ、数日前、母と偶然幼稚園の話になり改めて聞いてみると、、
幼稚園に入る前から、音楽に合わせて踊ったり、テレビから流れる曲に合わせて一緒に楽しく歌っている私の姿を見て、「音楽幼稚園に通ったらきっと楽しんでくれるのでは?」と考えたことがきっかけだったらしい。
その後に、たまたまその音楽幼稚園のバスを見かけた私がそのバスを気に入ったことから、決断したそうだ。
ちなみに、私が通った場所は今はもうなくなってしまっている。
母という人は凄いと思う。
なぜなら母の予想通り、私はその幼稚園で教わること、行われる全てのことにやりがいを感じ、心の底から楽しんだからだ。
音楽幼稚園というだけあって、
ピアノを全員必須で習う。週に一度必ず全員が
一人ずつ先生にピアノを教えてもらう。
一曲弾けるようになると、次の曲に進む。
最後までいくと次の本、バイエル、だったかな?
次のバイエルに進むことができる。
そしてバイエルが進んでいる子から一番、二番と順番をつけられ、発表会では学年でトップ4だけがピアノ演奏を披露できる、というようなこともあった。
ちなみに私は、六番くらいだったような。
【ピアノトップ4】に入ることはできなかった。
今の時代、幼稚園生に順番をつけるということはなかなか無いと思う。今、大人になって考えてみるとなかなか厳しい、シビアな世界にいたなぁと我ながら思ってしまう。
シビアな世界はピアノだけではなかった。
学年全員でやる運動会での太鼓演奏。
これも一人しかできない目立つ太鼓のポジションがあったり、前列に立てるかどうか、その前列の中でもセンター側から一番、二番、と番号が決まっていて何番になるか、など、これまたシビアなものだった。
普段の音楽のセンスや、練習態度、色んな面を見て、先生方がポジションを決めていたと思う。
私は前列の一番に選ばれた。
とにかく嬉しかったのを覚えている。
練習も張り切って、声も大きく出して、時にはステージに呼ばれ、みんなにお手本を見せるように言われたこともあった。
このへんの出来事が、私が幼稚園時代を絶頂期だったと思う理由だ。
年長さんになると、学年全体でマーチングバンドをやるのが恒例行事だった。
ポンポンを持って踊る人達や、旗を持つ人達、
太鼓を演奏したり、鉄琴や他の楽器、、。
これを決めるのも、もちろん先生方だ。
このマーチングバンドで、誰が何を担当するか。
その発表の仕方がなかなか強烈で、二十年以上経った今でも鮮明に覚えている。
その日は、園内にあった小さめの体育館のようなところに学年全員、六十人ほどが集められた。
「これからマーチングバンドでみんなが何を担当するかを発表します。呼ばれた人は教室に戻ってください。」
太鼓やポンポン、旗を担当する人など、次々に発表されていった。
どんどん名前が呼ばれ、教室に帰っていく園児たち。
ふと気がつくとその場に残っていたのは、私を含む四人の園児。
この四人。幼稚園での仲良し四人組だった。
私以外は、前述したピアノトップ4に入る優秀な
お友達。
そこからまた一人、一人、と重要な楽器などのポジションが発表されていった。
そして最後に体育館に残ったのが、
まさかの私。
楽器などは全部発表されていて、もう残っているポジションは無く、私は呼び忘れられたのだと思った。
そして一人きりになった私に告げられたのは、
ドラムメジャー
というポジションだった。
ドラム?
メジャー?
初めて聞く言葉に、はてなが浮かぶ。
ドラムメジャーとは、、
マーチングバンドの指揮者の呼称。行進のときバンドの先頭を歩き、バトンを上下させて、曲のリズムを示したり、演奏者の隊列に対して方向転換の合図を出したりする。空中に飛ばしたバトンをキャッチするなどの技を披露することもある。
これです。
これ!!!
(幼稚園生の頃から身体が反り気味。姿勢が変わってない...。)
これ、いわゆる指揮者みたいな立ち位置。
このポジションに私は選ばれた。
私は、選ばれた嬉しさ半分、プレッシャー半分、といったところだったような気がする。
これが人生最初で最後の一番ポジション。
いやこの先はまだわからないけど、この先一番にこだわるもの、事柄がもうなさそうなので、多分最初で最後だと思う。
特に良いまとめ方が思いつかないのですが、
幼少期からセンターやらポジションやら、選ばれる選ばれないみたいな、AKBのような世界にいたんだなぁーなんて思いました。
毎年の選抜総選挙で、精神的に追い込まれることもほとんどなく、フラットな気持ちでいられたり、他の活動においても楽しくやれているのは、ファンの皆さんの応援のおかげはもちろんのこと、幼稚園生の頃から自然と精神的にも鍛えられたおかげでもあるかもしれないです。
人生何気なく経験していたことや、考えていたことがいつどのタイミングでどう影響してくるかわからないものですね。
三十歳までAKB48にいることも、十年、二十年後に、あっと驚く形で役に立つ日が来ることを願って。
では、またお会いしましょう。