夏の思い出2005〜2006卓球
夏の思い出
高1のときの県大会団体戦決勝
勝てばインターハイ
相手はそれまで5年くらい連続でインターハイ出場の名門私立校
僕は弱かったので団体戦ベンチで応援のみ
どの試合もめちゃくちゃ競ったけど結果は0-3負け
自分が出ていないのにあれほど泣いたことはなかった
3年の引退後、僕はレギュラーになった。
そして主将が変わったタイミングからなぜか監督は指導をしてくれなくなった。
「自分たちで練習内容、練習日、休養日の予定を立てろ。内容を見て問題点があればわしが修正する」とだけ言って何も教えてくれない。
もちろん秋、冬の大会でも名門校に負けた。
指導してもらえないことに反発する選手もかなりいたが、自分たちでやるしかなかった。
卓球王国を読んだり、強い選手のプレー動画を参考に、全員必要な技術(サーブ3球目、レシーブ4球目など)と各自の持ち味を活かす練習(僕はツッツキとループドライブ)を考えて行なっていった。
高1の夏までは正直やらされている練習だったが、監督からの指導がなくなり、部員はみんな工夫しながら強くなるために必要な練習を行うようになった。
すると徐々に成果が出てくる。
春の全国選抜予選を地方大会4位で通過したのだ。
学校としても5〜6年ぶりの団体での全国出場。
僕らは監督の指導を受けていないのに何故か強くなっていた。
全国大会では予選リーグ敗退だったが、四国の名門校に3-2で勝つなど収穫はあった。
ただ県内の名門校には地方大会含め1度たりとも勝てていなかった。
1年の終わり頃、滝川第二に練習試合に行かせてもらった。
照井さんをはじめ、どの選手も強すぎて練習試合はあまり記憶がない。
印象に残っているのは滝二の指導風景。
監督の的確なアドバイス。インパクトの捉え方などを盗むように見たのを覚えている。
心底うらやましかった。
だがやるしかない。
対外試合で学んだことをすぐに練習に採用した。
試合であまり使わない引き合いなどの練習はせず、サーブレシーブから始まる練習を徹底的にやった。
それほど全国常連校の滝二の練習は僕らにインパクトを与えた。
夏の予選、自分たちが番狂わせを起こすんじゃないかとこの頃から思い始めた。
気がついたらインターハイ予選まであと1ヶ月。
相変わらず監督は指導してくれないが、いつも大会運営席に座っているお飾りの総監督が練習場にやってきてこう言った。
「本気でインターハイ行きたいか?」
もちろん行きたいと答えた。
「ダブルスが勝負。1ヶ月だけ朝から多球練習やるぞ」
毎朝30分〜1時間ほど吐きそうになりながら総監督の球出しでダブルスの練習をした。
試合でこんな球こないよ、というスマッシュをブロックやスマッシュカウンターする謎の練習もやった。とにかくきつかった。
あっという間にインターハイ予選になった。
途中、名物兄弟が率いる学校に競ったものの順当に勝ち上がり、団体の決勝戦はいつもの名門校。
2台進行で
相手のエースとこちらの3番手
こちらのエースと相手の3番手
悪くないオーダー
僕はダブルスと5番だったのでアップをしながら試合を見ていた。
こちらの3番手が名門校のエースに対し、キレッキレのサーブ3球目で押しまくり、3-0で勝ってしまった。試合時間は15分。
相手のエースは県の団体戦では3年間で初の敗北。流れが完全にこちらに傾いたことを感じた。
こちらのエースも勢いそのままセットオールを制し、
団体は2-0リードでダブルスへ。
正直4番5番のシングルスはオーダーが悪くおそらく勝てない。
ダブルス勝負と言っていた総監督の言葉が頭をよぎる。
あと朝の多球練習の記憶がよみがえる。
ダブルスの実力はほぼ互角。
バックサーブ主体に手堅いループで勝負する僕らとリスキーな両ハンドで攻め立てる名門校ダブルス。
勝負は競り合い第5セットに突入するが、じりじりと自力の差が出てくる。
最終セット3-7と大ピンチになる。
次の点取られたらほぼ終わり、勝負だ、と思いながらプレーに入る。
相手の横回転サーブをパートナーがツッツキレシーブ。
かなり浮いてしまい、強烈な回り込みのスマッシュを打ち込まれる。
その時、僕の手が自然と動いた。
人生で初めて完璧なバックハンドカウンターが決まった。
ダブルスの多球練習のときに、いや試合でこんな球来ないし!と言っていた球が本当に来て、さらに練習通り返球することができた。
その1本で相手は崩れ、9-9まで追いつくことができた。
さあ勝負だ。
9-9で相手のサーブ。
パートナーがレシーブで僕は4球目。
とりあえず祈った。
「サーブ出ろ!」
本当に相手のサーブが2本とも長くなった。
そしてレシーブからパートナーがドライブを2本叩き込みインターハイへの切符を手にした。
と長くなりましたが高1、高2の夏の思い出をまとめてみました。
一応ノンフィクションです。
ちなみに高校卒業後、監督に当時なぜ指導してくれなかったのか聞きました。
「悪かったのう。ワシの指導力が無いことに当時気付いたんよ。必死に教えても勝てないと。お前らのやる気と感性、工夫にワシは賭けた。そして勝ったじゃろ?」
と少年のような顔で言ってました。
良い監督でした。
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