#8 愛の修練
(まとめ)『愛するということ』を絵で描いてみた
第一章 『愛は技術か』
#1「愛は技術か」
第二章 『愛の理論』
#2「人の愛について」
#3「孤独の克服歴史」
#4「愛の定義」
#5「愛の成熟プロセス」
#6「愛する力と対象について」
第三章 『愛と現代西洋社会におけるその崩壊』
#7「愛と現代西洋社会におけるその崩壊」
これまで「愛の技術」の理論的な側面についてまとめてきました。最終章の『愛の修練』では、実際に「愛の技術」を修練(磨き上げていくこと)するにはどのようにすればいいかを解説します。しかし、具体的な方法論ではありません。「どのような心構えで生きていくべきか」という精神論が展開されます。なぜなら、愛は個人的な体験であり、自分で経験し、積み上げていく以外に愛の修練の方法はないからだ、とフロムは言います。
技術を体得する上で必要なこと
大工の技術・医術・愛の技術であろうと、どんな技術であれ、その修練を積むためにはいくつか必要なことがある。
どんな技術であれ、それに熟達したかったら、自分の全生活を捧げなければならない。少なくとも生活全体をその技術の修練と関連づけなければならない。愛するという技術に関していえば、「生活のあらゆる場面において規律と集中力と忍耐の修練を積まなければならない。」
①規律について
②集中力について
・集中する時間を毎朝・晩続ければよい
リラックスして椅子に座り、眼を閉じ、眼の前に白いスクリーンを見るようにし、じゃましてくる映像や概念をすべて追い払って、自然に呼吸をする。ただ自然に呼吸をする。そうすることによって、呼吸を感じられるようにする。そこからさらに、「私」を感じ取れるように努力する。私の力の中心であり、私の世界の創造者である私自身を感じ取るのだ。
・くだらない会話(をする人)を避ける
くだらない会話とは、常套句ばかり使って話し、その言葉に心がこもっていないような会話・会話らしい会話はせずに、くだらないおしゃべりばかりして、自分の頭で考えようとせず、どこかで聞いたような意見のことを指す。また、たんに悪意のある破壊的な人たちだけではなく、肉体は生きているが魂は死んでいるような人も避けるべきだ。また、くだらないことばかり考え、くだらないことばかり話すような人間も避けたほうがいい。ただし、そういう連中をかならずしも避けられるとはかぎらないし、つねに避ける必要があるというわけではない。こちらが相手の期待に応えず、卒直に人間的な態度で対応すれば、そういう連中もこちらの意外な反応に驚いて、ショックのあまり、自分たちの行動を改めることがあるからだ。
・他人との関係において精神を集中させる
何よりも相手の話を聞くということ。たいていの人は、相手の話をろくに聞かずに、聞くふりをしては、助言すらあたえる。相手の話を真剣に受け止めず、したがって真剣に応えない。その結果、会話している二人はどちらも疲れてしまう。そういう人にかぎって、集中してみみをかたむけたらもっと疲れるだろうと思い込んでいる。だが、それは大間違いだ。そんな活動でも、それを集中してやれば、人はますます覚醒し、そして後で、自然で快い疲れがやってはくる。精神を集中させないでなにかをしていると、すぐに眠くなってしまい、そのおかげで一にちの終わりにベッドにはいってもなかなか眠れない。
③忍耐について
集中力を身につけるためには、自分の心に対して敏感になる必要がある
人間はふつう、自分の体にたいする感受性をもっている。体の変化や、どんなに小さな痛みにでも気づく。しかし、自分の心にたいする感受性となると、はるかにわかりにくい。私たちは、両親や親類の心の動き、あるいは自分が生まれた社会集団の心の動きを正常とみなし、自分の精神状態が社会とちがわないかぎり、自分は正常なのだと感じ、それ以上深く考えたりしないからだ。
自らの頭で規律を身につけ、集中力を身につける修練に忍耐力で耐えることで、人は自分に対して、敏感になることができる。
ここまでは、どんな技術の修練にも必要なことについて論じてきた。これから、愛の能力にとって特別な重要性をもつ特質について論じていく。
愛の能力を身につけるために必要なこと
①ナルシズムの克服し、理性(客観性+謙虚さ)を育てること
②他人を信じる・自分を信じる信念
③苦痛や失望も受け入れる覚悟としての勇気
①ナルシズムの克服し、理性(客観性+謙虚さ)を育てること
②(他人を信じる・自分を信じる)信念
自分自身を「信じている」物だけが、他人にたいして誠実になれる。なぜなら、自分に信念を持っている者だけが、「自分は将来も現在と同じだろう、したがって自分が予想している通りに感じ、行動するだろう」という確信をもてるからだ。自分自身にたいする信念は他人に対して約束ができるための必須条件である。
教育とは、子供がその可能性を実現してゆくのを助けること洗脳は、「可能性の成長にたいする信念の欠如」と、「大人が正しいと思うことを子供に吹き込み、正しくないと思われることを根絶すれば、子供は正しく成長するだろう」という思い込みのことを指す。
③(苦痛や失望も受け入れる覚悟としての)勇気
安心と安定こそが人生の第一条件だという人は、防御システムをつくりあげ、そのなかに閉じこもり、他人と距離をおき、自分の所有物にしがみつくことによって安全を図ろうということは、自分で自分を囚人にしてしまうようなものだ
※ただし、「どうしても人生を愛することができないから、思い切って人生を投げ出してしまおうという、破滅的な態度」は勇気とは呼ばない
信念と勇気を身につけるために
信念と勇気に関しては四六時中修練を積むことができる。(日常生活のごく些細なことから始まるからだ)
みんなに受け入れられなくとも、自分の角質に固執するには、やはり信念と勇気がいる。また、こんなんに直面したり、壁にぶちあたったり、悲しい目にあったりしても、それを自分には起こるはずのない不公平な罰だとみなしたりせずに、自分に課された試練として受け止め、それを克服すればもっと強くなれるというふうに考えるには、やはり信念と勇気が必要だ。
信念と勇気の第一歩
悪循環に気づくこと
(特に愛することでは)能動性を持つこと
人を愛するためには、精神を集中し、意識を覚醒させ、生命力を高めなければならない。生活の他の多くの面でも生産的かつ能動的でなければならない。愛以外の面で生産的でなかったら、愛においても生産的になれない。
人は無意識のうえでは愛されないことを恐れているが、ほんとうは、無意識の中で、愛することを恐れているのである。愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。愛とは信念の行為であり、わずかな信念しか持っていない人は、わずかしか愛することができない。
愛の技術(信念と勇気)を身につける難しさについて
資本主義社会では、物だけでなく、愛においても、あなたが私にくれるだけ、私もあなたにあげるというものが、もっとも一般的な倫理原則となっている。
資本主義以前の社会では、物の交換は、権力とか、伝統とか、愛や友情といった個人的な絆などによって決定された。資本主義社会においてすべてを決定する要因は、市場における交換である。商品市場でも、サーヴィスの市場でも、労働市場でも、人は力や詐術を用いることなく、市場の条件にしたがって、じぶんがもっている売り物を、手に入れたいものと交換する。
"公平"と"愛"の違い
現代の社会経済組織の中で愛の修練を積むことは可能か
資本主義の原理が愛の原理と両立しないことはたしかだとしても、「資本主義」それ自体が複雑で、その構造はたえず変化しており、いまなお非同調や個人の自由裁量をかなり許容していることも、認めなければならない。
すべての活動は経済上の、目標に奉仕し、手段が目的となってしまっている。いまや人間はロボットである。美味しいものを食べ、しゃれた服をきてはいるが、じぶんのきわめて人間的な特質や機能にたいする究極的な関心をもっていない。
人を愛することができるためには、人間はその最高の位置にたたなければならない。
人間は経済という機会に奉仕するのではなく、経済機械が人間に奉仕されなければならない。たんに利益を分配するだけではなく、経験や仕事も分配できるようにならなければならない。人を足するという社会的な本性と、社会的生活とが、分離するのではなく、一体化するようなそんな社会をつくりあげなければならない。
愛の発達を阻害するような社会は、人間の本性の基本的欲求と矛盾を有しているから、やがては滅びてしまう。実際、愛について語ることは説教ではない。愛について語ることは、どんな人んげんのなかにもある究極の欲求、ほんものの欲求について語ることだからである。この欲求が目に見えないもの人あってしまったからといって、それが存在しないということにはならない。
愛の性質を分析するということは、今日、愛が全般的に欠けていることを発見し、愛の不在の原因となっている社会的な諸条件を批判することである。例外的・個人的な現象としてだけでなく、社会的な現象としても、愛の可能性を信じることは、人間の本性そのものへの洞察に基づいた理に適った信念なのである。
~完~
ここまで読んでくださりありがとうございました!以上でイラストまとめは終了になります。簡易的なサマリーページを作成しました(+お知らせもあります)ので、もしよければ「愛するということ」を私と一緒におさらいをしてみませんか?
おさらいをする! : (まとめ)『愛するということを絵で描いてみた
索引
(まとめ)『愛するということ』を絵で描いてみた
第一章 『愛は技術か』
#1「愛は技術か」
第二章 『愛の理論』
#2「人の愛について」
#3「孤独の克服歴史」
#4「愛の定義」
#5「愛の成熟プロセス」
#6「愛する力と対象について」
第三章 『愛と現代西洋社会におけるその崩壊』
#7「愛と現代西洋社会におけるその崩壊」
第四章 『愛の修練』
#8「愛の修練」(現在のnote)
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