#5 愛の成熟プロセス
エーリッヒ・フロム著の「愛するということ」を絵で描いてみた・#4「愛の定義」の続きです。前回は、「フロムの言う"愛"の定義」をまとめました。今回は、愛の中でも「親子の愛」についてフォーカス・まとめています。
※以下の内容はすべての母親あるいは父親がこういうふうに愛すると言う意味ではない。私は、母親あるいは父親の姿をとってあらわれる母性原理・父性原理について述べている。
愛を成熟させていくプロセス
母親への愛着から父親への愛着へと変わり、最後には双方が統合されると言うこの発達こそ、精神の健康の基礎であり、成熟の達成である。
思春期に差し掛かると、子供は自己中心主義を克服する。つまり、他人は自分自身の欲求を満足させるための手段ではなくなる。他人の欲求も自分の欲求に劣らず重要になる。いやむしろ自分の欲求よりも大事になる。もらうよりも与える方が、愛されるよりも愛する方が、より満足のゆく、より喜ばしいことになる。愛することによって、子供はナルシズムと自己中心主義によって築かれた孤独と隔離の独房から抜け出す。
幼稚な愛:「愛されているから愛する」という原則にしたがう
👦「 あなたが必要だから、あなたを愛する。 」
成熟した愛:「愛するから愛される」という原則にしたがう
👨 「 あなたを愛しているから、あなたが必要だ。 」
●母親の愛について
幼児は生理的にも精神的にも、母親の無条件の愛と気づかいを必要とする。母親には子供の安全を守ると言う役割がある。
・母親の愛は、子供の成長を妨げたり、子供の無力さを助長したりしない
・母親は子供の生命力を信じなければならない
・母親は、子供が独立しやがては自分から離れていくことを願わなくてはいけない
●父親の愛について
6歳をすぎると、父親の愛、権威、導きを必要とするようになる。父親には、子供が生まれた特定の社会が押しつけてくるさまざまな問題に対処できるよう、子供を教え導くと言う役目がある。
・父親の愛は、原理と期待によって導かれるべきであり、脅したり権威を押し付けたりすることなく、忍耐強く寛大でなければならない
・成長する子供に、すこしずつ自分の能力に気づかせ、やがては子供がその子地震の権威となり、父親の権威を必要としなくなるように仕向けなければならない
まとめると...
母親的良心
「おまえがどんな過ちや罪をおかしても、私の愛はなくならないし、おまえの人生と幸福にたいする私の願いもなくならない」
父親的良心
「おまえは間違ったことをした。その責任を取らなければならない。何よりも、私に好かれたかったら、生き方を変えねばならない。」
→成熟した人間は、「母親的良心」・「父親的良心」両方で愛する
神経症の基本的な原因
母親的良心もしくは、父親的良心の発達がうまくいかないこと。そのあたりの事情をくわしく述べることは、本書の趣旨からはずれることになるが、もうすこし明確にするために、いくつかのことを簡単に指摘しておきたい。
強迫神経症のようなタイプの神経症の根底には一方的な父親への愛着があり、他の神経症、たとえばヒステリーとか、アルコール中毒とか、自分を主張したり現実と折り合いをつける能力の欠如とか、抑うつとかは、母親への一方的な愛着から生じるということがあきらかになるだろう。
愛の対象について
愛とは、特定の人間に対する関係ではない。愛の一つの「対象」にたいしてではなく、世界全体にたいして人がどう関わるかを決定する態度、性格の方向性のことである。愛する人を限定するのではなく、さまざまな愛の形があるとして、「愛する力」と「愛する対象」について次回まとめます。
次のnote: #6 愛する力と対象について
索引
(まとめ)『愛するということ』を絵で描いてみた
第一章 『愛は技術か』
#1「愛は技術か」
第二章 『愛の理論』
#2「人の愛について」
#3「孤独の克服歴史」
#4「愛の定義」
#5「愛の成熟プロセス」(現在のnote)
#6「愛する力と対象について」
第三章 『愛と現代西洋社会におけるその崩壊』
#7「愛と現代西洋社会におけるその崩壊」
第四章 『愛の修練』
#8「愛の修練」
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