父のこと
わたしには大好きな父がいた
幼い頃から尊敬していて頼りになる父だった
そんな父は約10年前に亡くなった
癌だった
病名が分かってから2週間
あっという間の別れだった
信じられなかった
今でも実家に帰ると
『今日パパ遅いのん?』って
聞いてしまいそうになる
わたしは長女だ
葬儀の準備から何から何まで1人で
しなければならかった
つまりみんなと同じ様に悲しむ事が出来なかった
葬儀屋さんやお坊さんと決める事も
わたしがいなければ成り立たなかった
悲しみに打ちひしがれる母のフォロー
父の最後にわたしは
母を間に合わせる事が出来なかった
妹に父の最期を決断させてしまった
わたしは何にも出来なかった上に
妹に謝らせてしまった
これはわたしは一生負い目となって
自分の罰としてこれからも課せて行くだろう
わたしはあの時自分が死んでしまいたかった
父との想い出がわたしには辛すぎた
そして母が後を追わないか怖かった
そして訪れる悲しみの時差
あの時みんな十分悲しんだからいいだろう
でもわたしには悲しんでいる余裕がなかった
時差があるのは当たり前なのに
いつまでも悲しんでても帰ってこないと言われた
こんな酷く悲しい事があるだろうか
誰が代わりに引き受けて
立派なお式だったと言われたのに
何故わたしは悲しんではいけないのか
父との想い出がわたしにはありすぎた
所謂ファザコンだったのだ
頭が良くてかっこよくて
父親参観日ではちょっぴり自慢だった
勉強も分からない事をたくさん教えてもらえた
勉強や文学が好きになったのは父のお陰だ
父はわたしにたくさんの事を残してくれた
今のわたしが構築されたのは
父のせいだと言っても過言ではない
わたしは父が大好きだった
今でも時々父を思い出しては涙が出てくる
そして人の薄情さも知った
人が亡くなると人間の汚さが見えてしまう
所詮上辺だけやなって何度思ったか分からない
父を失ってから花火大会が見れなくなった
ハヤシライスが作れなくなった
生きている父と最期に見たPLの花火大会
『また明日ね』って言った
帰りに見た淀川の花火大会
帰ってから作ったハヤシライス
全てが最期の父と重なってしまう
父が亡くなってから1度も作れないままだ
もうすぐあの悲しい日がやってくる
8月6日
あの日経験した悲しみは
生涯忘れることはないだろう
パパ?
元気にしていますか?
そちらでの暮らしは慣れましたか?
わたし達家族も何とか頑張って生きてるよ
いつかそちらに行く日が来たら優しく抱きしめて
よく頑張ったと頭を撫でて下さい
何年たってもずっとずっと大好きだよ
人が一番最初に忘れるのが声なんだって
まだ覚えているけど
そんな日が来るなんて想像したくないよ…
すっとずっと大好きだからね
いつかまた笑って逢おうね
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