ウクライナ問題にカントによる認識論のコペルニクス的転回の構造を見る
2022/2/18 ウクライナをめぐってる対立が激化している。自主的なNATO参加を希望するウクライナに対して、NATOのと国境の隣接を避けたいロシアは過去のNATO不拡大の宣言を持ち出し、ウクライナがNATOに入らない確約を得ようとしている。これに対する西側諸国の言い分は国がどの同盟に属するかということはその国が決定すべきことであり、他国の干渉によるものであってはならないといっている。では、この西側諸国の言い分は成立するのだろうか?そのことについて考えていこう。
ここで、カントによる認識論のコペルニクス的転回を確認しておこう。カントによる認識のコペルニクス的転回というのは客観的な事実があってそれに整合する主観ができるのではなく、主観の一致が客観という虚構を生み出しているというのが実際の在り方であるというものだ。具体的には目の前に客観的事実としてリンゴがあるから自分も別のA君もリンゴがあると主観的に認識するのではなく、自分もA君も目の前にリンゴがあるよねという主観の一致によって客観的なリンゴが存在できているということである。
この主観が客観に先立つという重要な事実がどのようにウクライナ問題にかかわっているかというと、ウクライナが国家であるということは客観的な事実ではなく、というより本当に客観的な事実など存在せず主観の一致によって成り立っているということである。具体的には、ウクライナ東部の新ロシア派武装勢力が実効支配している地域をロシアが国家であると(主観的に)認めたとしよう。この状況で主観の不一致から客観の成立は望めない。この場合、アメリカのウクライナは一つの国家であるのでどこの軍事同盟に属すかはウクライナが自己決定すべきことだという考えは、ロシアによるウクライナ東部は一つの独立国であるのでどこと軍事同盟を結んでもよいとしてロシアとの軍事同盟を結ぶという同様の構造が成立することになる。これが成立した場合、ウクライナから見れば東部の武装勢力は法を破った国民であるが、ロシアからすればそれは軍事同盟国というさらなる認識の不一致となりそれぞれの大義名分を掲げて争いが起きるという構造が考えられる。このような形で、ウクライナは(東部地区は)一つの国家でありどこの軍事同盟に属すかはその国の自由であるという論理は、どれを国とみなすかという認識レベルでの水掛け論に終始せざるを得ないことがわかる。