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『指輪物語』(The Lord of the Rings)(その1)
『指輪物語』』(The Lord of the Rings)は、J.R.R.トールキンによる長編ファンタジー。あまりに壮大な物語りなので、映画化は不可能だと考えられていた。
それに、原作には熱狂的なファンが山ほどいる。「10回読んだのまでは数えたが、あとは分からなくなった」などと言う人がいる(私もかなり読んだ)。失敗したら、監督は立ち直れない。
2001年に、ピーター・ジャクソンが映画化に挑戦した。全世界の指輪ファンがかたずをのんで見守ったのだが、この映画はかなり成功していると思う。
出だしの場面で、ケイト・ブランシェットが演じるエルフ(妖精)の女王ガラドリエルが、物語の背景を説明する。
この場面は原作にはないのだが、成功している。
当時のブランシェットは、まだ30代の始めだ。
観客はこの場面を見て、「この映画は大丈夫」と感じたことだろう。
物語は3部からなる。第1部「旅の仲間」の最初で、ホビット荘という平和な村に指輪が発見された。
そこに住んでいたホビット(小人)の一人であるフロドが、魔法使いガンダルフに導かれ、仲間たちとともに、指輪を棄却し破壊するための旅に出る。
途中で彼らは闇の冥王サウロンの手下である指輪の幽鬼、黒の乗手ナズグルに追われる。フロドは瀕死の危機に陥る。
エルフの姫アルウェンが馬に乗せてリベンデル(裂け谷)のエルロンドの館に逃げこむ。
この場面は原作にはないが、よくできている。川を渡ったところで剣を抜いて、「奪えるものなら奪ってみよ」という場面はなかなかよい。
原作ではイメージを描きにくい場面もある。例えば、地底の宮殿モリア。 あるいは、アルゴナス(大河アンドウィンにある王たちの柱)。
これらは、映画で初めてイメージが掴めた。
『指輪物語』は実に周到にできている。歴史もある。言葉もある。地図もある。
地理を知らないと、この物語は理解できない。ところが、映画では、これがよくわからないので、解説しよう。
この物語の舞台であるミドルアースは、西ヨーロッパと同じくらいの広さだ。
第1部では、ホビット荘からリベンデルまで約800キロ(東京から広島くらい)。フロドたちの日程では、約1月。
そこからミスティ山脈を南に向かって約500キロで、地下の宮殿モリアに達する。
そして地下を抜けて、エルフの森ロスロリアンに入る。日程では、ロスロリアンまで約1月。
そこから大河アンドウインを舟で下って、第一部の最後の場面までは、さらに約500キロで、日程では、約10日。
日程がなぜこんなに正確に分かるかというと、Karen Wynn Fonstad,The Atlas of Middle-earth (Houghton Mifflin,1981)というきわめて詳細なガイドブックに説明があるからだ。
私が最初に原作を読んだ頃は、ガイドとしてはこれしかなかった。いまではウェブにたくさん地図が出ているので、それを手がかりに出来る。ただしFonstadほどよくできてはいない。
ところで、この映画の題名の日本語訳は、「ロードオブザリング」だ。
ところが、最初のガラドリエルの説明にあるように、1つの指輪が他の複数の指輪を支配するからLordなのである。指輪が複数あるから物語が成立している。これは、物語の根幹にかかわる誤訳だ。
映画の原題が複数形であるのに、日本語のタイトルで単数になってしまうというのはしばしば見られることだが、これはひどすぎる。
この物語には熱狂的なファンがいる。彼らは、日本で公開されたとき、翻訳字幕の誤りを訂正しようとした。DVDが出ていなかったので、暗い映画館で字幕を確かめてメモをとるという面倒な作業に、多くの人が挑戦した。
トールキンは、オックスフォード大学の英文学教授。彼が第二次大戦中に書いたファンタジーが、1960年代のアメリカの学生の間で、突如として大ベストセラーになってしまったのだ。私は、当時留学生としてアメリカにいたので、よく覚えている。大学近くにある書店に、この本がうづ高く積まれていた。
これは、当時のアメリカで、大学院生までもベトナム戦争に徴兵されるようになり、『指輪物語』が現実逃避願望の対象になったためだ。
大学生を中心とした反戦運動が、大きな社会的潮流となった。ヒッピー文化が大学を覆い、ミュージカル『ヘア』が大ヒットした。
現実の政治家に絶望した学生たちは、「ガンダルフを大統領に」と真剣に叫んだ。72年の大統領選挙でベトナム戦争からの一方的撤退を主張したマクガバンでさえ、学生たちの希望をつなぎとめることはできなかったのである。