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水死体は醜く膨らんで枯死体は美しく干からびて

誰かと死ぬなら入水がいいです。誰かを得た私はそれはもう醜いものでございますから。
このまま死ぬなら枯死がいいです。溺死よりも長く苦しんで、無いものを願い続ける姿のまま死ぬのです。

極端です。

時間の経った水死体は水を含んでぶよぶよに膨らんで地に上げられるそう。ただの水でも自分の限界まで水で満たされてこれ以上入らないなんて幸せじゃないですか。水が入る一瞬は苦しんで死んで、もう自分が知らない時に一杯に満たされる。本当に自己満足で死ねるのね。
でもその時のあなたは本当に醜くなってしまった。

別に死ななくても同じ。
金におぼれて醜くなる、酒を沢山飲んで醜くなる、人の悪意を沢山飲み込んで醜くなる、、、。人間なにを摂っても醜くなるものなのでしょうか?
きっと少し違う。「足るを知る」がここでは一番大事な言葉かな。(あんまり好きな言葉じゃないけれど。)

足るを知れば自分の摂取する量のラインが見えるってこと。
知らないから底なしの欲が支配して醜くなる。

でも”持ってる側”の人たちが足るを知れる機会なんてあるの?
高瀬舟みたいに上手くいくものなの?
高瀬舟は本心で話し合えたからこそ出来たけど、現実じゃそんな機会すら無さそうって思ったり。

だからきっと私は今持っているものは失うまであったことに気付かないし、私が持ってないものを持つ奴らはしばらく(もしくは一生)気付かない。
これってあたりまえのことだったりしますか?

それなら足るを知るには、自分がどれだけ足りているのかを持たない人と不幸の見せ合いしあって負けないとね。
不幸自慢対決が人を謙虚にさせるのです!
これこそ本当に醜い?でもそれって第三者で見ているからじゃない?
でもやっぱり正解。これは醜いこと。だって持ってる側が気付くのは自発的じゃないと本当の足るを知るには辿り着かないから。
確かに、自分よりも持っていない人がいるんだ!って外部からの刺激がキッカケにはなるかもしれないけれど。

じゃあ不幸自慢で勝った側はどうなるの?
何もないことが正義?
一生何かを求め続ける使命がある?
難しいことです。

持っていて更に望む欲と、持たないで切望する欲てきっと同じくらい大きいんだろうね。
大きさは一緒でも醜さは違うかな?一緒かもしれないし、違うかもしれない。

私なら持たないで切望する方が美しいって思う。

きっと無いものねだりの方が醜いって思う人も居るだろうし、すべてを持たない人なんてそうそういないから自分の”持っている”部分を先に見つけろって言う人もいると思う。
人生の美学かな?なんて考えたり。

私の思いは、持たないものを求め続けるときが一番美しい。つまり、そのまま死んだ姿は死体の中で最も美しいことになる。
でも悲しいことに、餓えて死ぬのは一切の幸せがなく死ぬってこと。
だから不幸で死ねってこと。
あまりにも酷い性格です。第三者視点寄りの。

結局生きてて不幸を目指すのを深層の自分が拒むから美しくは死ねなそうです。あー、なんと醜い。
人は幸せに醜く死ぬのが良いそうです。

私はこれを読んでるあなたが少しでも醜くくなるのを願ってます(ᐢᴖ ·̫ ᴖᐢ)🩷
幸せになってね♪



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