慢性疲労症候群の症状の経過を振り返ってみる②悪化して動けなくなるまでの13年間の経過:前編 大クラッシュが起こるまで
慢性疲労症候群の症状の経過を振り返ってみる①では発症時から1年半までの1度症状が落ち着くまでの経過を振り返ってみました。
②ではその後就職・退職休養・転職しながら還元に動けなくなる平成25年4月までの経過を振り返っていこうと思います。(長くなりすぎてしまったので前編とします)
慢性疲労症候群を発症した場合、経過は個人差が大きく一概に同じような状況をたどるとは言えませんので、あくまで一個人の体験と考えてください。
私のように発症から何年もかけて悪化する方、一気に悪化する方、症状が軽快する方、それぞれです。どんな人がどんな経過をたどるかはわかりません。
では、なぜ今回私の体験を記録し読んでいただきたいと考えたかというと、私の場合、慢性疲労症候群と診断されず活動量のコントロールなど適切な対応ができなかったから悪化してしまったのではないかと考えたから。
もしかしたら、適切な活動量のコントロールができていたならここまで悪化しなかったかもしれないという思いがあるから。
啓発活動や患者会活動をするのも、早期診断・早期対応で、悪化要因を少しでも減らし、ひどく悪化するまでの期間を先延ばしにしたり予防できるかもしれないから。同じように長い期間辛い思いをしなくて済むひとが一人でも減らせたらいいなという思いから。
多くの医師に疾患を知っていただき、遠方ではなく、地元で症状の相談ができたらと願って活動をしています。
では、私の悪化までの13年と診断に至るまで、現在の主治医に出会うまでを振り返ってみます(前半では大クラッシュに至るまでを振り返ります)。
Ⅰ.基礎疾患と受診状況
私は小学入学頃から甲状腺機能低下症の症状があり、小学4年生で診断・治療が始まりました。
私は、甲状腺の自己免疫疾患である橋本病(慢性甲状腺炎)で、甲状腺機能低下症になっていました。
橋本病は甲状腺疾患の中では非常に頻度の高い疾患で成人女性の10人に1人見られますが、その中で甲状腺機能低下症になり服薬が必要は人はそう多くはありません。幼児や児童はまれといわれています(日本内分泌学会HP参照)。遺伝の要因があると発症しやすいといわれていますが、私の場合は遺伝要因はなさそうとのことでした(家族全員が検査しました)。
私はごく珍しいケースのようで、体調不良を訴えてから診断されるまでに4年かかりました。
甲状腺機能低下はエネルギー代謝と成長に問題を起こします。4年間で身長は1cmも伸びず、体重は2倍以上。食べ物を体が受け付けなくなっていて、給食ではほんの少し食べただけでもどしてしまう状況でした。給食で出る200mlの牛乳を飲み切れたことはありません。給食の時間や給食が終わってすぐに吐いてしまった記憶が多々あります。
治療がもう少し遅ければ身体の成長だけでなく、知能にも影響が出ただろうとのことでした。成長期に成長に必要なホルモンがほとんどない状況でしたから、血液検査の結果が出てすぐに病院から電話があり、まもなく入院して投薬と詳しい検査が始まりました。
成長ホルモンを内服し代謝が活発になると、体重はどんどん減り、3カ月で入学時の体重に戻りました。代謝されず体に溜まっていた不純物が排泄されたり成長に必要なエネルギーが使われるようになったからでしょう。少しずつ吐くこともなくなっていったと思います。
身長も年単位で少しずつ伸びていきました。
そういうわけで私は小学生の時からホルモン剤を飲んでおり、現在に至るまで(今後一生涯になります)定期通院と検査が必要で病院から離れられない身となりました。
その後、発熱したり体が痛くなったりという体調の変化があるごとに、それはカルテに残っていくことになります。
そんな状況は他の方ではあまりないのではないかなと思います。
Ⅱ.次の悪化ポイント
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