ヒツジくんは高電圧の柵のなか
ヒツジのしあわせは、一体、誰が決めるのだろう。
うちの近くにヒツジが住み始めた。
どこにかというと、近所の太陽光発電パネルの柵の中に、である。
子どもの背の高さくらいの、斜めになったパネルがおそらく100枚近く設置されたのは、今年に入ってから。
【関係者以外立ち入り禁止・高電圧】の看板が、あたりに張り巡らされた高い鉄製の柵に掲げられている。
そこへ、遅い梅雨入りをした先週のあたま、満を持してヒツジの登場である。
伸び放題の草を食べてもらい、業者さんにしたらウィンウィンの関係、ということなのだろうか。
子どもたちはすぐにヒツジに興味を示し、散歩がてら柵のそばまで行って交流を図る。
「おーい」呼びかけた瞬間、ヒツジはヒツジくんになった。
ヒツジくんは、人懐こく、声をかけるとのしのし歩いて近くまで「なあに」と様子を見に来てくれる。
そして、我々が彼にとって有益な何かを手にしていないことを確認すると、「用はないね」とまたのしのし歩いて草をはみに戻る。
子どもたちにとって、生き物を間近に見られるのは、なかなかない機会である。
なんなら、家の庭からもヒツジくんが遠くに見えることが分かった。
朝夕の水やりの際に、ヒツジくんが草をはんでいるのを確認することが私の新しい日課になった。
それにしても、気になるのは【高電圧】と書かれた看板。
ヒツジくんがきっと業者さんの【関係者】であることは間違いないのだが、それにしても高電圧のもとで暮らすことは大丈夫か。
パネルの下で風雨は多少しのげるだろうが、これからの暑さはどうか。
ダニや害虫などの影響は大丈夫か。
大きなバケツが置いてあるが、新しい水を飲むことはできるのだろうか。
野犬が襲ってくるなんてことはないだろうか。
ここいらは去年の大雨の際もひどく冠水した地域で、同じような大水の際はどうなるか。
私が考えても仕方のないことが浮かんでは消えていく。
そこにある草をはむこと。
それが彼の仕事なのかもしれないが。
でも、ヒツジくんのしあわせは、一体、誰が決めるのか。
人が生き物とともに生きること。
人が生き物に助けてもらうこと。
人が生きるために生き物の命を頂くこと。
ねえねえ。
どこから、どう考えたら良いのでしょう。
きっと、ヒツジのそばを通り過ぎる人の数だけ、業者さんには業者さんの、隣人には隣人の、幾通りもの気持ちがあるだけ。
「なあに。”しあわせ”って美味しいの?」ヒツジくんの声がする。
そうだ、ただの隣人が勝手にしあわせなんていう物差しを持ち出すこと自体が、ヒツジくんにも業者さんにも失礼かもしれない。
まぜこぜの気持ちのまま、今日も柵の中のヒツジくんを探す。