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間質性肺炎を知って欲しい

1/30からの記憶がない

noteの1/30を見返すと、立派(?)に文章を書いているが、実はこの頃の記憶は現在も全く記憶にございません。
写メを確認すると、確かに熱がある体温計はあるしPCR検査に行った画像もあるんです。でも、私の頭の中には全く残ってない状態が今でも続いています💦

記憶がないまま入院生活

2/6に血中酸素濃度が74%から一切上がらず、月曜日の2/7の朝を迎えPCRを受けた近所のかかりつけ医へ「自分で」📞したらしい(母親談)。
74%と聞いて「直ぐに入院準備して、救急車🚑を呼んでください。リウマチ膠原病内科の大学病院へは紹介状等FAXしておきます。」と言われたそうな。
有難いことですね☺️
ただその頃は肩で息をしている状態で会話もあまり成立していなかったそうで、結局母親が救急車🚑を呼んだらしい。

程なく救急車🚑到着。
救急隊員からもいつも行っている大学病院へ受け入れ要請の📞をし、FAXが既に届いていたので無事大学病院へ行けることに🚑💨💨💨💨
救急車には母が同乗したそうですが、私は救急車が来たことも乗った覚えも全く記憶にございません💦
救急隊員へ「自分自身で」症状を説明したそうですが、それも記憶にございません。

救急車の中で直ぐに酸素投与量5リットルが始まった(そうです)が80%までしか上がらず、10リットルの最高酸素投与量にして90%まで上がったらしいです。
その時「あ〜頭が痛いのがなくなった。スッキリした〜。」と呟いたそうな😅
1/30のnoteに書いていた頭の痛さは低酸素症だった訳ですね。
そして余りに血中酸素濃度が低すぎて“幸せな低酸素症”のハッピー・ハイポキシア状態になっていた訳です。
これは現在コロナ禍でよく聞く言葉なので、皆さんもご存知かと思いますが、記憶にないほど本人は苦しくないハッピー状態になっていた訳です😅
但し、私はコロナには罹患していませんでした。

薬剤性の急性間質性肺炎

私が罹っていた病気は「薬剤性の急性間質性肺炎」でした。
関節リウマチを寛解させる為に飲んでいた“MTX=リウマトレックスやメトトレキサート”といったお薬💊です。
まさか自分の病気を治すために飲んでいた💊で虹の橋を渡りかけるとは💦

肺のX線はなんの画像と思うほど真っ白で看護師の母も一瞬何を見せられたのか戸惑ったそうです。
そんな中でもリウマチ膠原病内科医の主治医を母に紹介したり、相変わらず私はハッピーオーラ満載だったようです🤣
救命医や感染症の医師、呼吸器内科医、そして主治医は「これは……」と絶句。
「今どうなってもおかしくないです。ご家族を集めてください。最善は尽くします。」と緊迫していたそうですが、私はハッピーオーラ😆

ICU

主治医から「ICUで挿管します。場合によってはECMOも気管切開も行うかもしれません。そうなると話すことも出来なくなるでしょうから今、声を掛けてあげておいて下さい。」とICUの部屋の中に半分ずつの人数(夫娘妹と父母)で入らせてくれたそうです。
既に挿管され睡眠薬だか麻酔だかで眠らされていた私は知る由もなく😂

様態が悪化する場合は夜が多いので、なるべく直ぐに来られるように準備だけはしておいて下さい……とも言われたそうで、その日は誰も眠れない夜を過ごしたそうな(スマン、私は寝とった)。
ただ、何故かずーっと悪夢と闘っていたのは何故だろう???
ICUには魔物が住んでいると聞くけど、ソレ?

うつ伏せ療法(腹臥位療法)

コロナ禍でこれも有名になりましたね。
肺の器が傷付いて酸素を取り込めなくなくなっていたのと、背中側にある肺をそれ以上傷つけないために患者を夕方〜明け方までうつ伏せ状態にして肺への負担を減らす治療法です。
ネットで調べて頂ければ分かりますが、褥瘡等出来ないように体位を時間ごとに変換します。
これは看護師さんが5〜6人がかりで点滴が取れないように、ベッドの柵に当たらないように体位変換してくれる訳です。
私は睡眠薬の点滴で眠らされていたので、相当な重労働になるはずです。
結局ICUの看護師さん達とは一度も話すことなく、勿論その後顔を合わせることも適わずでしたが、本気でお礼を申し上げたいと心から思ってます。

不思議なこともありました。
私はうつ伏せ療法(腹臥位療法)してるなど、眠っているので知る由もない訳ですが夢の中で看護師さんが「うつ伏せになってた時もあったんですよ。」「ラインが取れた〜良かった〜」「歯科衛生士です。お口の中を綺麗にしましようね。」「この方はラテックスアレルギーだね。ラテックス禁止ね。」という言葉は聞いてるんですよ。
夢かと後からボーッと思ったんだけど、ICUから重症個室へ移った時、入口に本当にラテックス禁止と貼ってあり、アレ?って💦
睡眠薬が薄くなってきた時に耳に入ってきた言葉だったのか、未だに分かりません😅

ICU→重症個室

ICUには7日間入っていたそうです。
その後リウマチ膠原病の重症個室でナースステーションの真ん前の部屋へ入れられました😩
心電図付けられているので酸素が80%台におちたりすると夜中だろうがなんだろうが数名の看護師さんが「息苦しくないですか?」と、それはそれは眠れないほど気にかけて下さいました。

重症個室に移ってから3日後位でしょうか、お食事が来ました。
トロミ1%の形のないオカズとお粥です😳
トロミって何だ?状態でまだ幻視も見えて頭は相変わらず記憶のない状態で、看護師さんがスプーンで食べさせて下さいました。

こんな状態です。
このご飯はまだいい方で、なんのオカズなのかさっぱり分からないのもありました笑
ICUで寝ていた間に体力も腕の力も感覚も無くなってしまい、それで看護師さんがスプーンでポイポイ口に運んでくれましたが、半分位しか食べられなかったような……曖昧です💦
記憶があるのは退院する前8日間位しかないんですよね😅

重症個室→一般病棟と普通食

少しずつ軽くリハビリも始まり2/24にやっと一般病棟へ移動になりました。
同じ階の端っこに移っただけですが、心電図も取れて身体が自由に🙌
が……担当のPTさんがコロナに罹患したということで、私は濃厚接触者に😞
廊下にも出られない、リハさんも来ない……というより、熱・血糖・血圧・食事以外誰も来ない生活が1週間程始まりました。
やっと普通食になり、シャワーも部屋で使えることから部屋の中をグルグルと歩いてましたね。
退院の日には自分の足でしっかりと歩きたかったので🔥
2回の陰性で無罪放免にはなりましたが、それが3/1。
病床逼迫のため退院が早まり3/3に追い出されたので、リハビリはほぼやってません。
そのせいか、今も体力と筋力が戻っておらずかなり苦労しているのは確かです。

退院生活

まぁ、だいたい20分リビングウォーキング・20分エアロバイク・ラジオ体操・ストレッチ・トイレと寝室は2階と体力・筋力を目標に何とか自宅リハやってますが、どちらもこのやり方が正解なのか迷子です😭
半年以上の長い目で考えていきましょうとは言われてますが、ただただ自分が情けないですねil|li orz il|li
しかし入院中に生きて元気に帰ることを信じて待っててくれた家族のために(๑•̀ㅂ•́)و✧がんばると決めたので🔥

間質性肺炎とハッピー・ハイポキシアを知って下さい

今回私は薬剤性の急性間質性肺炎となりハッピー・ハイポキシア状態にもなった訳ですが、まず間質性肺炎になったら肺の器が傷だらけになって回復にも時間がかかるし、治療は苦しいし、キツいことを知って下さい。更には一度傷ついた肺は完全に元に戻ることはほぼ無いことも知って欲しいです。
今も元の肺の柔らかさにはなっておらず、運動した後やお風呂の後、食事の後さえも血中酸素濃度を98%に戻すことすら大変です。
オマケに体力がないので、階段を何度か上がってると2階の廊下で転けます。
本当に情けないですil|li orz il|li

そしてハッピー・ハイポキシア状態になったら死と隣り合わせになります。
今回74%しかない酸素でも苦しくなかったのが正にコレです。
記憶も1/30〜2/22位までほぼありません。
コロナ禍で自宅療養されてる方が突然亡くなっているのは、熱等もあるでしょうが、もしかするとこのハッピー・ハイポキシア状態でもあるのでは無いかと思いました。
勿論、全員ではないし、私のように生還した人間もいます。
しかし、情報を知っているか知らないかでは雲泥の差ではないかと思ったんですよね。

まだまだオミクロンが流行っており、コロナに罹患される方も多いです。
そして間質性肺炎には様々な種類があります。
一般人がこういう情報を知るにはとても難しいですが、今回の私の件が少しでもお役に立てたら良いなと思い、久しぶりにnoteを書きました。

大変長くなりましたが、皆様がより健康に過ごせる毎日を心よりお祈り申し上げます。

by 雪之丞

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