「舞台 灼熱カバディ」観劇感想⑦

 こんにちは、雪乃です。「舞台 灼熱カバディ」の千秋楽から1週間ほどが経過しました。公演期間中は感想をリアルタイムで更新してきましたが、今回は今までの感想を踏まえつつ、全体のまとめのようなものを書いていこうと思います。

脚本

 原作の1巻から3巻、宵越がカバディと出会ってから奏和との練習試合が終わり、能京カバディ部に新入部員がやって来るまでの展開を元に、舞台用に再構成された脚本。原作との改変点もありましたがそれほど違和感はなく流れもスムーズで、まとまりのあるストーリーとして見ることができました。
 試合が舞台最終盤になると事前にTwitterで知ったので、1年生3人の登場シーンとの時系列の兼ね合いはどうするんだ⁈と思ってましたが繋がってましたね。この3人が物語全体を見守る役回りで登場してくれることで、ラストで3人が新入部員としてやってくる展開に説得力がありました。
 しかもまさかやると思ってなかった伴くんの回想シーンまでやってくれてびっくり!宵越の「…な〜んだ。こんなもん?」は舞台で聞けると思っていなかった台詞なので嬉しいサプライズでした。他にも木崎先輩の台詞が公式戦を先取りしていたり、原作ファン的にも楽しい要素が多かったです。
 カバステの脚本の何が好きかって、最後が伴くんの宵越に対する「おかえりなさい」という台詞で締められること。これによってカバステが「宵越がスポーツという灼熱の世界に戻ってくる物語」として完結する。こういう、最後に主題できちんとまとめてくれる作り方は信頼しかないです。
 そして原作の名言・名台詞も多く登場。原作の硬質で美しい日本語を生きた人間の声で言われたらもう泣かないはずがないです。

舞台セット

 手と足の形をした、2つの彫刻のような舞台セット。劇場に入ってまず、真っ先に目を引かれました。現代アートのようでもありますが、引きで見るとプリミティブな演劇をも思わせる質感。特徴的な形をしていながら試合が始まると意識からは自然とログアウトするのが不思議な感覚。
 そしてカバディをするためのコート。コート部分だけ周りより一段高くなることで、敵陣と自陣の境目が明確になり、ラインが見えやすかったです。中央に描かれた赤と青で区切られた炎も能京と奏和を象徴しているようで印象的。コートは時に片面になり、時に全面になることで様々な試合展開を乗せていきます。
 正面から見ると菱形に見える形でコートが配置されていたのですが、手前側の2本の線を主にミッドラインとして使用していました。これにより、レイダーが帰ってくる様子を観客が正面から見ることができ、カバディにおける「帰ってくる」というルールが明確になっていたと感じます。リアルカバディの試合だと観客席の位置の関係上コートは側面から見るので、カバディを見る上でも新鮮でした。レイダーの指先を見られたのはすごく貴重な経験です。自陣を目指した宵越の指先は本当に先の先までまっすぐで美しかったことは忘れられません。

照明

 チェーンを組むシーンでは舞台後方のチェーンが目立つように照明が当てられていたり、歯車が上から投影される光で表現されているなど、漫画の視覚的演出が上手い具合に3次元の世界に落とし込まれていました。
 そして照明の印象的な使い方、それが心理描写。宵越が「燃える世界は気持ちがいい」ことを思い出し始めたシーンで使われた赤い光。これは、揺らぐように舞台セットに映し出されることで彼の内面の変化を表現しているように見えました。対して王城さんの魔王なシーンで使われている赤い照明は、一切揺らぐことのない、目も眩むほどの強い赤。王城さんのブレない強さとカバディへの愛を感じました。
 この赤の照明。原作では真っ黒なベタ塗りで、アニメでは紫の入った黒で表現されていた王城さんの「闇」の表現です。舞台でこの「闇」を見て、理想的な「闇」に出会えたと思いました。内側から燃え上がる本能ですべてを焼き尽くす魂と愛の色。そしてこの「闇」に共鳴するように後方のライトを赤く光らせることで、漫画に登場する黒目と白眼の反転した目を表現したのには痺れました。コート全体を見渡すようにも見えた「目」は、まさしくコートを知り尽くした王城さんらしくて好きです。
 高谷のレイドではコート上に水泡のような模様を照明で投影することで、彼特有の「まるで相手を水に沈めてしまうような強さ」を表現していました。映像による演出が使われない中で、照明のみでここまで漫画を舞台に、かつ漫画の再現に止まらないシアトリカルな形で落とし込んでいるのが本当に凄かったです。
 王城さんと六弦さんの会話では、2人の背番号が一直線に並んだように照らされていたのが印象的でした。2人が背負う「1」という背番号が浮かび上がる照明も好きですが、あのシーンではもう一つ好きな照明が。それは、王城さんに当たっていたオレンジ色の光です。太陽のような、今にも溶け落ちてきそうな光の中にいる王城さんはもはや宗教画でした。

音楽

 音楽!めっちゃ良かったです。アニメも舞台も、灼熱カバディは音楽に恵まれているなぁ……としみじみ思いました。
 BGMは手拍子や足踏みの音など、肉体由来の音を力強く取り込んだ、野生的なサウンドと切れ味の良いメロディの融合が灼熱の物語をより一層盛り上げていました。
 劇中歌も、もはや全校分作って欲しいくらいには良かったです。舞台では描かれていないキャラクターの背景を伺わせるソロパートの歌詞も原作を読んでいる身として嬉しい限り。

カバディ

 カバステの核、それはカバディです。当たり前なんですが。
 カバステにおけるカバディ、実は観る前は結構不安だったんですよ。台詞との兼ね合いもある以上、どこまでリアルな競技に近づけるのか。演劇におけるカバディはどうなるのか。しかし実際に観たらそんな不安は吹き飛びました。予想以上に、マジのカバディでした。というかそもそもキャストが役とかを抜きにして普通にカバディしているところから始まりましたからねこの舞台。オープニングカバディ、もう普通に生で20分ハーフの試合が観たいです。
 何よりも好きなのが、オープニングカバディから本編のオープニングへの移行。「カバディをしている人間」が観客の目の前で役に、芝居に入っていく。競技カバディという現実から、演劇という虚構に移行する。物語が、役が、観客の前でゼロから立ち上がる。これによってカバディと演劇の切れ目がなくなり、あの試合シーンの「嘘のなさ」、そしてこれぞ「灼熱カバディ」というべき圧巻の熱さに繋がっていたと感じました。
 カバステにおいてリアリティがあったのが「群れ」によるアンティ。カウンターやロールキックが使われるレイド、あるいは単独のアンティは漫画的な演出も多いのですが、「群れ」のアンティはほとんど大会で観たものでした。
 なぜそう思ったのかというと、アンティの選手が出す足音が、大会で聞いたものとまったく同じだったんですよ。特に奏和。テンポやリズム感、靴が床に擦れる音までが同じ。演劇を観ているのかカバディを観ているのかわからない、というかあの瞬間は完全にカバディを観ていました。もはや舞台というよりカバディを観るためにチケットを追加した気がします。なんなら舞台を見た後非常にカバディが見たさすぎてどうにかなりそうだったので、千秋楽前日の夜にカバディの試合映像を見ていました。
 そしてカバディに欠かせない要素といえばキャント。実際にキャストが発するキャントは役のイメージ通り、かつ感情が乗りすぎないリアルなキャントでした。
 キャントでは、ときにレイドに出るキャストとキャントを言っているキャストを分けていたのですが、この方法を取ることでモノローグとキャントが無理なく共存していました。
 大会で実際のキャントを聞いて驚いたのが、リズムが恐ろしいほど一定であること。接触が発生する直前の、緊張感に満ちた会場に、鼓動のように一定のリズムで刻まれるキャントに圧倒されました。
 カバステでは、レイドに出るキャストとキャントを言うキャストを分けているシーンがあったのは前述のとおりですが、これによって実際の選手のブレないキャントが可能な限り再現されていたように思います。
 純粋にカバディをしていたのはキャストのみならず観客もそうでした。オープニングカバディで起こる拍手は間違いなく大会の、レイドやアンティが決まった瞬間に起こる拍手そのものだったし、試合終わりの拍手もまたしかり。演劇の観客とスポーツの観客の境目をなくすことでより試合シーンに、まるで本当に結末の決まっていない試合であるかのような緊張感を持たせていました。
 カバステでは演劇とカバディの切れ目をいかに無くすか、という点にかなり力を入れていた印象。そして結果的に切れ目がないどころか完全に一体となっていました。カバディを題材にした演劇としてもすごく面白かったです。


キャスト

 キャストはどの俳優さんも役にピッタリでした。トレーニング中などの細かいお芝居も好きです。なお私は王城さんが帰陣したときにお互いを見て小さくガッツポーズする王城さんと井浦さんをこの目で見て情緒が終わりました。私は見たものは宗教画だったんでしょうか。
 本役以外の役を演じる、いわゆるバイトの役も多かったのですが、どのキャストも振れ幅が恐ろしいほどに広かったです。個人的には畦道くんの彼女さんが好きです。

 では、キャスト別感想を。

宵越竜哉役・田淵累生さん

 まっすぐで最高に愛おしい主人公。畦道くんに恋人がいることを知って全力で悔しがる「ヨイゴシ」なところも含めて、何もかもが「宵越竜哉」でした。
 特に好きなのが、「この燃える世界は、気持ちがいいんだ。」という台詞。アニメと言い方が違い、舞台版では宵越の抱える痛みに焦点を当てた言い方になっていたと感じました。スポーツの世界から離れた後もきっとどこかで燻っていたであろう小さな火種が揺らぎながらも大きく燃え上がっていく。そんな宵越の「揺らぎ」を、単なる成長だけではない痛みを伴った変化として掘り下げてくれる宵越でした。
 伴くんの回想の中にいる、純粋にサッカーを楽しんでいた頃とカバディを始めてからの演じ分けも好きです。あのシーンの宵越、本当に、眩しいくらいに楽しそうで。そして何より、背中がもう完全にスターのそれでした。
 オープニングカバディは宵越のレイドから演劇のオープニングに移行していくのですが、和気藹々とした雰囲気を一瞬で引き締め、「灼熱カバディ」の世界へ引き込んでいく説得力も素晴らしかったです。

王城正人役・高崎翔太さん

 まずオープニングで「王城正人だ……!」となり、部活に復帰した直後のシーンで「王城正人だ……!」となり、試合のシーンで「王城正人だ……!」となりました。一挙一動、立っていても歩いていても座っていても話していてもカバディをしていても、すべての瞬間が王城正人。間違いなく王城正人は私の目の前で生きていました。
 1人のレイダーとしての王城さんにも魔王な王城さんにも、そして中学生時代の王城さんにも、すべてに確かな血と肉を感じさせた硬軟自在かつ多彩な芝居力もさることながら、ひときわ圧倒されたのが舞台を締める力。部活に復帰し体育館に現れるシーンでは、王城さんが舞台に現れただけで確かに空気が変わったのを感じました。
 カバディ選手としては細身に見える体躯から繰り出されるレイドも、見たかった王城さんのレイドそのもの。鋭くて深くてなめらかで緩急のメリハリのついたアクションは、原作の奥武戦で表現されたように磨き抜かれた刃のようでした。
 ステ城さん、声がとにかく好きなんですよ。声がもう「王城正人」じゃないですか。特に魔王モードが発動したときの「早く…やろう。」の声で、もう、完全に焼き尽くされました。「守備やろう!」とチームメイトを鼓舞する声、さらに六弦さんに「それもこっち」って言うところとか、後輩自慢をするところとか。声にも確かな熱を宿してくれる王城さんでした。真っ赤な照明で表現された「闇」に確かな説得力があったのは、間違いなく命すら燃やし尽くしそうな熱い「声」あってのことだと思います。
 声も好きですが手も好き。手が芝居巧者。井浦さんの手を取るあの繊細な表現が大好きです。一見すれば静かで柔らかさすら感じられる手元の動きに、確かに宿る悔しさ。あのシーンは無限に見たいです。
 カバステを観に行って良かったと思えた点は、やっぱり最推しのキャラクターで、ご贔屓様としても応援している王城さんが確かに生きている姿をこの目で見られたこと。もう今生に悔いはないな……と思いました。
 あとステ城さん、すごく可愛かったですね。ヤバかった。「慶!!丸いよ!!丸いのがいる!!」がめっちゃ好きだし、千秋楽の「意外だね慶!」がもう可愛くてどうにかなりそうでした。バイトで奏和の1年生役をされていたシーンで先輩の名前を呼ぶときに手をメガホンのようにしているところも心の底から好きです。かわいい……かわいい……。
 可愛い一面も描きつつ、ひたすらにカッコよかった王城さん。宵越の炎が、周りにあるものを取り込んで足元から燃え上がっていくような炎だとするならば、王城さんは己の命を燃やしている、星のような炎。遠くから見ればスター選手、でも近づけば命を燃やす炎に焼き尽くされる。どこか儚げでしかし苛烈な「王城正人」でした。高崎さんが「王城正人」というお役と出会ってくださって嬉しいです。
 

畦道相馬役・大原海輝さん

 太陽のような明るさの塊みたいな畦道くんでした。舞台を駆け回る姿に、あの跳躍力。そして彼女を抱き上げるところまで、とにかくフィジカルの強さを確かに感じさせる姿も記憶に残っています。
 何度拝見しても、常にまっさらなお芝居をしてくださる方でした。本当に、良い意味で「慣れない」。回を重ねてもなお宵越の部屋を訪ねてくるシーンの、異質とさえ思える「マレビト」感が常に新鮮に映る。その新鮮さに裏打ちされた純粋さがあったからこそ、宵越が夜を越えて夜明けに至る、その最初の道標になれたと思える畦道くんだったと思います。
 やっぱり好きなのが試合が終わった後の川のシーン。原作で見てもアニメで見ても舞台で見ても好きなエピソードです。スポーツの楽しさを宵越から引き出した畦道くんが、宵越によって今度はスポーツの厳しさへと引き込まれる。冒頭とこのシーンの対称性は、1本の演劇の流れで見ることでより明確になっていました。

井浦慶役・岩崎悠雅さん

 まずビジュアルは出た時点で「井浦慶すぎる」が第一印象。どの角度で見ても井浦慶でした。
 宵越を入部させるためにガッツリ弱みを握るえげつない笑顔がまさしく井浦慶だったのですが、それ以上に私が好きなのが1年生と2年生の勝負を見ている井浦さん。ここの井浦慶、本当に楽しそうだったんですよ。カバディが楽しいんだろうな、カバディが好きなんだろうな、ということが伝わってくる井浦さんでした。
 そして外せないのが中学生時代を井浦さんが振り返るシーン。現在の井浦さんと過去の王城さんを同時に、同じ板の上に乗せる演劇の魔法をフル活用した場面です。現在の井浦さんと過去の王城さんが同時に目の前に現れることで、時間的な隔たりが生まれる。正面から見ると2人が拳を突き合わせているように見えるシーンでも、少し角度を変えて見ると2人の間には空間的な隔たりがある。その隔たりが生み出す、「もう6年だぞ」という言葉の重み。井浦慶という人間で隔たりに囲まれた舞台空間を1人埋め尽くす存在感に強く惹かれました。このシーンは原作と違い完全に試合から独立させることで、彼を取り巻くものがよりはっきりと浮かび上がり、また試合における井浦さんの心の叫びを呼び起こす起爆剤となっていたと思います。
 そして試合。涙が止まりませんでした。隣の人マジごめん。試合中に嘘みたいに嗚咽してる女がいたらたぶんそれ私です。
 1年生と2年生の勝負を楽しそうに見ていた井浦さんを、「世界組」になることのなかった井浦さんを、同じ舞台の上でひとしく知っているからこそ、あの「凡人はどうすればいい?」という独白が、「カバディが楽しい」という心の叫びがコートの上で燦然と輝く。「能京の頭脳」の顔のそのずっと奥で燃え続けた炎の持つ熱量はもはや原作168話に匹敵していたし、実際私は168話を読んだときと同じくらい泣きました。

水澄京平役・樫尾篤紀さん

 先輩でもあり後輩でもある2年生という学年。その絶妙な時期の解像度が高い水澄くんでした。日常パートはちゃんと等身大の高校生で、でも試合になるとぐっと能京の守備の要としてコートの上を締めてくれる。オープニングの学ラン姿があまりにも「水澄京平」だったので、学ラン姿はもっと見たかった……!そしてジャージを脱いでTシャツ姿になったときに明らかになる身体の厚みもマジで「水澄京平」でした。
 輪郭が明確にくっきりと捉えられた水澄くんは原作そのままに可愛くてカッコよくて。舞台上ではまだ描かれていない1年生のときの姿がコートの上の姿から、そして何より伊達くんとのやりとりから伺えました。伊達くんの一緒のシーンが多いですが、カバディの技術のみならず友情にも彼の「積んできた」ものが感じられて、確かな繋がりを舞台上で見ることができてよかったです。この2人が親友になるきっかけのエピソードは舞台で見たいのでカバステ無限に続いてくれ〜!!!頼む〜!!この水澄京平で律心戦も観たいよ〜!!!

伊達真司役・小早川俊輔さん

 まず、深く響く低音ボイスが最高に伊達真司。好き。通りすがりの部員役ではディベート部員を演じていらしたのですが、「異議あり!」をとんでもない美声で仰るので面白さが突き抜けていました。本役とは全く違う振り切り方が最高!
 2年生2人の過去は舞台では描かれてないものの、それでもなおちゃんと1年生の頃が見えました。
 キャントもレイドもアンティも、しっかりと重みのある伊達くんを演じていらした小早川さん。重みはフィジカルだけでなく、伊達くんの持つスポーツ経験やカバディを始めてからのことに到るまでのすべてであることが、台詞のひとつひとつから分かるのが最高でした。特に水澄くんに後輩とはどんなものか尋ねられて、それに対して伊達くんが答えるシーンが好きで。あのシーンの「ずっと運動部にいた人」であることにとても説得力がありました。
 
伴伸賢役・岸本卓也さん

 第一声の声のボリュームに至るまで伴くんそのものでした。あのシーンの原作の再現度がとんでもなく、最初のシーンだけで心を掴まれた岸本さん演じる伴くん。心の声という形で、伴くんのキャラのまま声を張れるのも演劇の良いところです。
 まさか舞台でやってくれると思ってなかった、小学生時代のシーン。宵越に憧れるきっかけになったあのシーンがもう、素晴らしくて……。憧れが芽生えた頃のキラキラした記憶をそのまま閉じ込めたようなシーンの中で1人宵越の「再生」を信じる伴くんの姿が最高に素敵でした。あのシーンで舞台の真ん中に立った伴くんの持つ惹きつける力がすごかったので、このままカバステは永遠に続いて伴くんのロールキックのくだりまでやったほうがいいです。
 そして最も好きなのがラストの「お帰りなさい」のところ。小学生時代の回想で、伴くんが宵越のサッカー時代を知っていることが明かされるからこそ、あの台詞はより一層の説得力を帯びて観客の前に現れます。
 「おかえりなさい」というあのシンプルな言葉にカバステの「帰還する物語」という主題が凝縮されているのも本当に好きだし、何よりその台詞を担うのが伴くんなのがもう最高。憧れという消えない火がようやくあの瞬間に燃え上がったような満足感を覚えるラストだったし、何よりあのシーンが本当に感動したのは岸本さんが伴くんを演じてくださったからこそだと思います。

関隆太役・宮下雄也さん

 ヤバかったですね……本当に大嵐が来たかのような関くんでした……。
 まずビジュアルが出た時点で関くんすぎてヤバかったんですけど、動いても関くんでした。コメディリリーフ的な役回りも多いのですが、誠実に押さえるべきところは押さえるような一面も含めて関くんなんですよ。
 本役以外の役も含めて誰よりも笑いをとっていた宮下さん。カバステは割とキャストが遊べる余白的な部分も多いのですが、そのほとんどが関くんオンステージでした。高谷ファンクラブの女子役のショーストッパーぶりもさることながら、試合のスタメン紹介でキャストの表情筋と腹筋を嬉々として引っ掻き回していくさまは面白すぎて恐ろしかったです。こっちは心置きなく笑えますが、あれキャストは大変だろうな。後ろで王城さんが誰よりもツボに入ってたけど。
 
人見祐希役・宮崎湧さん

 圧倒的美少年〜〜!!!人見ちゃんは髪色が一番漫画的なカラーリングなのですが、それすら地毛に見えてくるレベルでピンク髪がナチュラルに似合っていて凄かったです。ギャグパートの関くんや伴くんとのやりとりも好きです。
 舞台版人見ちゃんで一番解釈が一致していたのが、背筋が伸びきっていないところ。立ち姿が、本当に私が考えていた「人見祐希」そのものでした。あの背筋の伸びきらない立ち姿が、スポーツをせずに生きてきた人見ちゃんの過去をちゃんと感じさせてくれて好きです。
 1年生3人は狂言回しのような役割も担うので説明的な台詞の比率も高くなるポジションなのですが、説明やナレーション的な部分もちゃんと「人見祐希の言葉」として体現してくださる芝居心にはもう信頼しかありません。この人見ちゃんで合宿編が心の底から見たいので、カバステ無限に続いてほしい。
 終始「人見ちゃん可愛い〜」ってなってただけに、スタメン紹介のシーンの振れ幅の広さには衝撃を受けました。えらいもんを見た。

さて、次は奏和高校。

六弦歩役・川隅美慎さん

 重みのある声や声の出し方がすごく「六弦歩」。なおかつ「最強の守備」であり強豪校の部長であることに説得力のある、圧倒的な引力をも兼ね備えた六弦さんでした。高谷をして「全然違う」とまで言わしめることの所以はフィジカルの強さやそれに裏打ちされたカバディ選手としての実力というのももちろんありますが、それ以上に部員たちは皆この「引力」に惹きつけられたんだろうな、ということが自然とわかる六弦さんを見ることができて良かったです。
 六弦さんがレイドに出るシーンは周囲にいるキャストも姿勢を低くすることで彼のパワー系レイドを表現しているのですが、あの一瞬でコートの上に熱が伝播していくような、六弦さんらしい「炎」も最高。
 変わらぬ強さと、変化していける強さ。その2つが綺麗に「六弦歩」という1人の人間の中に同居していて、だからこそ同時に、彼もまた揺らぎながら生きている1人の等身大の高校生であることを実感することができました。

高谷煉役・神永圭佑さん

 高谷煉、完全に生きてましたねもう。2次元から抜け出てきたかのような高谷煉というよりかは、最初から3次元世界に生まれてきたかのような高谷煉でした。我々と同じ世界線に、我々と同じように生を享け、十数年間をかけて成長し、今ここに立っているような気さえしてくるほどにリアルな存在感。いやなんかもう、上手いと思う暇すらないくらい上手いんですよ。あの高谷煉の凄さを表現できる語彙を持ち合わせていないことが悔やまれます。
 無邪気で透明、そして常に楽しそうな高谷煉。その楽しそうな姿には一切の嘘がなく、ただ彼にとって楽しむことは本能なんだろうな、と思いました。私は高谷の、六弦さんに首元を掴まれてるときの子虎っぽい感じがマジで好きなんですけど、そこも完全に再現されていて感動しました。生きててよかった……。
 ステ版高谷煉で一番すごかったのが、スター選手としての圧倒的な輝き。どの競技にもいるであろう、どうあっても目を引くスター選手をしての高谷煉として立っている姿から目を離せませんでした。

木崎新太郎役・富本惣昭さん

 プログラムで2002年生まれだと知り衝撃を受けました。19歳でキャストの中で最年少なんですね……すご……。
 木崎先輩がカバディ部に入部した動機が原作で明かされるのは公式戦で、練習試合の時点から見ると相当先なので、まさか舞台で回収してくれるとは思ってませんでした。しかしそれでもあの台詞になんら唐突感がなく、「ああ、この流れなら木崎先輩はそう言うだろうな」というのがすごく納得できました。何より、断片的にしか知らない木崎先輩の1年生と2年生をきちんと実感させてくれるのは、生身の人間が演じる舞台ならではだと思います。
 高谷に突っかかるところが最高に「木崎新太郎」。私が見たかった木崎先輩ってこれなんですよ……!他のキャラクターを絡むところも含めて、この舞台で物語が語られる前からもずっと続いてきた、1人の人生の流れの途上に存在する木崎先輩でした。
 
栄倉祐役・持田悠生さん

 六弦さんに対して「あいつ(高谷)は本物」とさらっと言えるところに栄ちゃんの良さがすべて凝縮されていました。あと普段原作を読んでいても「栄ちゃん可愛い〜」みたいなスタンスで見てるので、奏和のシーンで1年生から「栄倉先輩」と呼ばれていることにグッときました。2年生だから当たり前なんですけど、あんまり意識してなかったので……。
 「こういう人、各部活に1人はいてくれるよな」と思わせるリアルさ。栄ちゃんのパーソナリティは原作そのまま、栄ちゃんらしさは保ちつつ現実にいそうな人のラインのギリギリをいってくれる技巧。「漫画にいた」と「現実にいそう/実際にいる」のバランスの取り方が本当にすごくて、お芝居の細かいところを締めていたのは栄ちゃんだよなあ、と思います。そういう「仕事人」なところも含めて栄ちゃんなの、解釈の一致。

室屋大助役・平野泰新さん

 アクロバットのすごさに初見で目を奪われました。オープニングや劇中歌で見せる身体の躍動は限られたシーンの中でも見応えがあり、またご本人のフィジカルに裏打ちされたカバディの動きは突出してリアル。アンティをしているときの姿勢、重心の位置、足の動き、目線のすべてが本当にリアルカバディそのものなんですよ。室屋くんいてこその、あの試合シーンのリアルさ。本当にカバディをしてほしいです。
 木崎先輩を止めに入ったりとか、栄ちゃんとともに「部活に1人はいてほしい」感も好きです。奏和は登場シーンがどうしても能京と比べると限られてしまうのですが、そんな中でも芝居に切れ目を作らず、舞台では描かれていないシーンを思わせる適度な余白を作るナチュラルなお芝居がすごく素敵でした。

 キャスト別感想は以上になります。
 こうやって改めて全キャスト分の感想を書いてみると、やっぱり舞台では回収されなかったエピソードまで汲み取って演じてくださったんだろうな、と思います。どのキャストも本当にぴったりだったので、カバステは無限に続いてほしい。

フォントを超えた先にあるもの

 カバステで印象に残った台詞は数々あるのですが、その中でも「この燃える世界は、気持ちがいいんだ。」と「カバディが面白れーからなんだろう。」の2つ。これらの台詞ほど、「生身の人間が生きた声で言っている瞬間を目にする」ことの意義、演劇が持つ力を実感した台詞はありません。
 もちろんアニメも生きた人間の声ではあるのですが、声優さんの場合はある程度2次元に落とし込まれた声というか。私はわりと人間の声というより「キャラクターの声」として聞いてしまうタイプ。だからこそ、2次元が初出の言葉を3次元の人間の声として聞くのは新鮮に感じました。
 前述した2つの台詞は、原作とはだいぶ違う印象を受けました。原作では、2つとも結構さわやかというか。熱量のある言葉ではあるんですが、熱は熱でもカラッとしている印象。それに対して舞台は、もっと割り切れないものまでがいろいろとないまぜになったような、そんな印象を受けました。振り切れない過去、振り切れない感情、それでも振り切らないことを選択した「スポーツは楽しい」という思い。どこかじっとりと、むき出しになった心の表面に滲み出てくるもの。漫画のフォントをさらに超えたその先にある、人間のリアルな感情の表現は観ている側ですら視覚や聴覚ではなく「痛覚」で体験しなくてはならないほどの生々しさに満ちていたし、だからこそ感動を生み出していました。
 上記2つの台詞は原作の紙面で見ると吹き出しの中に入っていないので、宵越と井浦さんの心の声ということになります。しかしその心の声を、限りなくリアルに、力のかぎり叫ぶことができるのは舞台ならでは。芝居の力を存分に味わうことができました。

カバディと演劇――切れ目がない、ということ

 カバステの特徴として、オープニングカバディと呼ばれるリアルな競技カバディから始まり、宵越のレイドから演劇的な演出が入り、芝居のオープニングに移行していくことが挙げられます。この移行があまりにも滑らかで、何よりカバディをしていたキャストが観客の目の前で役に入り、物語がゼロから立ち上がっていく様子を見られるのはまさしく演劇的でした。
 オープニングカバディのみならず、カバディのシーンではただひたすらにカバディをしていたのも特徴的。もちろん台本はあるし演劇としての演出はあるんですけど、それを上回るほどにカバディのリアリティが追求されていました。
 カバステの一番すごいところは、演劇上にカバディが存在していながら「はい、ここはカバディをするシーンですよ」のように見えるシーンが一切なかったこと。そして逆に試合のシーンでは、「ここは台詞を言うところですよ」みたいな感じで見えるシーンもありませんでした。演劇とカバディという異なるものを同時に、同じ板の上に乗せながら、そこには分断が存在しない。あまりにもナチュラルでつい見逃してしまいそうになるんですが、とてつもないことをしていると思います。
 なんでこういうことを書いているのかというと、母から以前「昔のミュージカルは、『ここは歌うところですよ、ここは踊るところですよ』みたいに見えていた」という話を聞いたから。それくらい、ミュージカル、というか異質なモノどうしを出会わせる形態のコンテンツは進化の過程で常に「切れ目」が観客に与える違和感と向き合ってきたんだろうな、と感じました。
 私がミュージカルを見始めて12年か13年くらいは経つのですが、やはり「いかに演劇に対して歌・ダンスという異質なもの混ぜるとき、それらを切れ目なく見せるか」という点においてはどの作品・演者も相当に心血を注いで追及しているな、と感じます。ミュージカルは断じて「いきなり歌う」演劇ではなく、あくまで物語の流れがあって、言葉だけでは感情を表しきれなくなった時に、初めて心の奥底から音楽やダンスが湧き上がってくる。そういう見せ方をしてくれるミュージカルが好きだからこそ、演劇の中でカバディを、カバディの中で演劇をやったカバステに、物語の流れの中で体を動かしたカバステに、心を奪われました。
 カバステはカバディの動きで芝居をし、言葉でスポーツを表現した舞台です。肉体が語り、言葉が躍動する芝居。そういう作り方はわりと、音楽を語り台詞を歌うミュージカルに近いものがあると思ったし、芝居の作りをもっと深く見てみたいんです。カバステが確立した形式の、もっと先が見たい。だからこそカバステは無限に続いてほしいです。

帰還をいかにして物語るか

 カバステは、一貫して「帰還」の物語であることを貫いてくれました。井浦さんが誘い、畦道くんが開け放ち、水澄くんと伊達くんが繋げ、そして王城さんが導くことで完成する、宵越の「スポーツの世界への帰還」の物語。
 この「帰還」という主題があったからこそ、カバステは1本の演劇としてすごく美しい流れになっていました。
 この「帰還」の物語で重要になってくるのが、「この燃える世界は、気持ちがいいんだ。」→「バカみてーに喜ぶためにやってんだ!!」→「俺の『最善』を超えていく!!」の流れ。この異なるシーンで登場する台詞に、原作以上に舞台は明確な流れを持たせていた印象です。
 原作だと7話「灼熱の世界」の「この燃える世界は気持ちがいいんだ。」という言葉と176話「燃える世界」の「この灼熱が、俺の世界だ!」という言葉に明確な対称性があり、練習試合と公式戦の中で時を超えた大きな繋がりを作っています。しかしこの対称性は、舞台1本では作れない。「この燃える世界は気持ちがいいんだ。」を伏線として原作と同じ形で回収することはできない、という制約があったことかと思います。
 「この燃える世界は、気持ちがいいんだ。」で、宵越がスポーツの世界で味わう本能を取り戻し始めて。そして「バカみてーに喜ぶためにやってんだ!!」で、スポーツをする動機を、本人の中で明確に理由づけができる「理屈」を取り戻す。そして「俺の『最善』を超えていく!」で、宵越はスポーツの世界でなすべきことを取り戻していく。本能を、理由を、そして技術を取り戻していく。原作とは違う形ながらも、宵越が「取り戻していく」過程を、対称性ではなく流れを作ることですごく丁寧に描かれていました。
 宵越のスポーツマンとしての再生を描いた上で、「おかえりなさい」という言葉が、宵越を見守り続けた伴くんからかけられることで、「帰還」の物語が完結する。「おかえりなさい」ってなんていい言葉なんだろうと、ラストシーンを見て思いました。

観客がいる試合

 「灼熱カバディ」の舞台化で一番感謝したいのが、漫画やアニメの中にしかなかった試合の観客の1人になれたこと。今まで「神の視点」でしか見ることの叶わなかった試合の観客の1人になれて、そして観客の1人として、他の観客と一緒に拍手を贈ることができました。
 もちろん原作の試合シーンも臨場感はあるし、何より週刊連載で読むからこそ、少しずつ進行していく試合展開をリアルタイムで見守っていくこともできます。Twitterの最新話実況に参戦すれば、まさしく他の観客と一緒に試合を観ている感覚を味わうことが出来ます。(これ、楽しいんですけど更新時間が夜の12時とかになるんですよね……。私は最近己の体力の限界を感じているので参加できてなかったりします……。)
 原作の良さは原作の良さとして、その試合に新たなアプローチを加えてくれたのが舞台。一つの試合を、まるで単行本を読むかのように一気に見ることが出来て、なおかつそれを、単行本とは違い他の人とリアルタイムで共有することができる。舞台化したことで、連載をリアルタイムで読む楽しさと、単行本でまとめて読む楽しさが両立され、なおかつそれらをすべて生身の人間でやることでリアルな試合を観戦しているような楽しさも生まれる。これは舞台でしか、演劇でしかできないことです。
 このような時代ではありましたが、有観客で舞台を、そして試合をやってくださったカンパニーやプロダクションの皆様には本当に感謝しかないです。

総論:「灼熱カバディ」という演劇を観たということ

 「灼熱カバディ」が舞台化すると聞いたときは本当に驚きました。そもそも発表されたのがよりにもよって本編更新日、しかも本田貴一レイド回でした。なんであそこにぶつけてきたんだ……?とは今でも思います。
 正直、リアルカバディの試合の時点でもう「リアル灼熱カバディ」だし、「灼熱カバディ」で見たシーンをリアルの試合でやる選手もいるし、どうやって演劇になるんだろうと。観る前は楽しみでもありましたが、不安もあって。
 それでも実際に観た今なら、「『灼熱カバディ』は舞台化されるべくして舞台化されたんだな」と思います。カバディでしかできないことを芝居に持ち込み、芝居でしかできないことをカバディに持ち込んだ。何より物語上にしか存在しない試合の観客の1人になれたことは、何度も書いていますが本当に演劇の特権。
 ルール説明も分かりやすかったし、原作を再構成した脚本は分かりやすく、何より主題が明確で美しい作劇。良かった点を挙げればキリがないけれど、カバステの最も良かったところは、純粋に1本の演劇として楽しかったこと。
 ストーリーも面白いし、劇中歌は盛り上がれるし、試合展開は手に汗握り、最高に熱くなるし(劇中の言葉を借りるならば、まさしく「灼熱の気持ち」)、最後は感動できる。間にあるギャグパートも好き。エンタメとして、観ていて心の底から楽しいと思えたし、何より本能で楽しめるとことはスポーツ観戦にも通ずるものがあります。演劇とスポーツの境界線を、演劇とスポーツが互いに溶かし合い、新しいエンタメに仕上げてきたカバステは、考えれば考えるほど――いや、何も考えずとも、本能で「面白い」となる舞台。

 「舞台 灼熱カバディ」、最高に面白かったです。願わくば続編をやってほしいです。楽しい時間を、ありがとうございました。感想はこれで最終回のつもりではありますが、またしれっと書くかもしれません。

 本日もお付き合いいただきありがとうございました。

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