肩書きという自分探しの旅
Twitterでは、名前の後ろに肩書きをつけることがよくある。運用テクニックとしてもよく紹介される方法で「自分をフォローした場合のメリット」「どんな価値を提供しているのか」等をタイムラインで偶然目にした人にも伝わるように短い言葉にまとめる。
この肩書き作成をcocanというプラットフォームに提供されているほぼみゆさん。note内サークルでのご縁で知り合った彼女の活動に興味をひかれていた私は、あまり明確なビジョンもないままに依頼させていただいた。
事前のDMでのアンケートにつづき、zoomでのインタビューを受けた。画面越しに初めてお会いしたほぼみゆさんは、安心して話せる柔らかい空気感ときちんと話をリードしてくださる芯の強さをあわせ持った女性だった。予定の30分はあっという間に過ぎていき、深い話をできたとき特有の心地よさがほんのり残った。
当時、私は自身の発信活動について、このような理想を描いていた。
会社生活では役に立たないかむしろ邪魔になってしまう「感情」を文章表現に昇華し、価値としたい。そこからお金を得て、自分の応援する活動につなげていきたい。
しかし、それから1ヶ月ほどが経つうち、偶然手に取った本がきっかけで自分について新たな発見をした。それは私の発信へのモチベーションが愛着障害にあったということ。上記の理想を根底から揺るがす発見だった。
「ポジティブな感情からとネガティブな感情から、どちらをきっかけに書くことが多いですか」
ほぼみゆさんが投げ掛けてくださったこの質問に私は、ネガティブな感情からの方が多かったこと、ありのままの気持ちを偽らずに書きたいことを答えた。
その後ろに内包したものすごく自分本意な感情に、まだ気づいていなかった。
ありのままの自分を褒めそやしてほしい
特に、つらかった想いを認めてほしい
格好つけた言葉でカモフラージュしながら、他者になんの価値も提供しないわがままな想いを何物かにしたいと焦っていた。そのための発信活動であり、そのための肩書きを求めていた。自覚していなかったとはいえ、そんな自分本意な活動にほぼみゆさんを巻き込んでしまったことは、今となっては申し訳ないばかり。
こうして私が自分探しに悶々としている間に、ほぼみゆさんが肩書きの案を考えてくださった。いただいた案は3つあるけれど、ここではひとつだけ。
雨上がり言の葉を見つけて。
■ポイント:今後はポジティブな発信もしたいとのことでしたので、「雨上がり」と表現。雨上がりだから見える、虹や木々のうるおい、緑の深さ、葉に映るしずくの美しさ、など、ネガティブもあってこその輝きを表現。
Twitterの肩書きとしては、いささか詩的すぎるのかもしれない。だが、何の価値が提供できるのか自分でもわかっておらず、ただありのままの気持ちを書きたいという私のスタンスをしっかりと汲んでくださった。あまりに絶妙な表現に、感謝と尊敬しかない。
とはいっても、ネガティブな想いを単なる承認欲求のために書き連ねるのならば、美しい肩書きを掲げても汚してしまうだけ。愛着障害を自覚した今の私はこれから何を書きたいのか、改めて考えてみた。
これからはもう「特別な存在」になるために、人気作家を目指すわけではない。だけど、必要としている誰かに届けようとすることはやめたくない。私の経験と言葉だって共鳴する誰かの力になる可能性があることを、これまでの発信活動のなかで知ってしまった。その舞台からは降りたくない。
自己肯定感が低かったり、人が怖かったり、自分に自信がないことに悩みながらも、平気なフリをしながら社会生活を営んでいる人たち。事情や背景はさまざまでも、私と似た悩みを密かに持つ人たち。そんな人たちに「一緒だよ」「気楽にいこう」と伝えられたら。私なりのこころの置き方を共有できたら。
完璧でなくてもいい。人と比べなくてもいい。昨日と心変わりしたっていい。不安や焦りに支配されなくてもいい。白黒はっきりつけなくてもいい。感じ方は人それぞれで構わない。ーーそういうことを共有できたら。
私には確かに、愛着障害的な過去の認識で根付いた暗い部分がある。でもこれがあるからこそ、こころの多様性に目を向けられた。受容や安心感を大切にする今の私につながった。
後付けにはなるけれど、「雨上がりだから見える輝き」は私のこれから書きたい世界と一致する。だから、ほぼみゆさんにもらった肩書き「雨上がり言の葉を見つけて」を灯火のようにそっと掲げようと思う。
それからもうひとつ、ほぼみゆさんが提案してくださったものがある。それは、名前の表記を漢字にすること。
静寂な美しさがある雰囲気とマッチする
とおっしゃってくださったのだが、正直なところ自分のイメージほど自分でわからないものはない。やわらかい雰囲気のひらがなは好きだけれど、文章はかちっとした方が好みだし、漢字の方が文章のイメージと合うのかもしれない。物は試し、これからは深水雪乃と表記してみることにする。
最後に、この文章はほぼみゆさんの肩書き作成に対するお礼を兼ねている。お礼のことを相談したとき、それが彼女の労力と釣り合わないことを危惧した私に、彼女が答えた言葉が印象に残っている。
いろいろな人の想いを聞かせてもらう経験ができることが貴重で、対価は正直関係ない
(私が文章を書くことをやめられないのと同じように)話を聞かずにはいられないから
100人を目指して、インタビューと肩書き作成に取り組むほぼみゆさん。Twitterで垣間見える日常でも、いろいろな人の想いを聞きとって形にする活動を公私にわたって精力的に行っている。同世代の彼女のそんな姿は眩しくて刺激的で、私も頑張らなければといつも背筋が伸びる。
そんな彼女とご縁があってよかった。
ほぼみゆさん、この度は本当にありがとうございました。
最後まで読んでくださってありがとうございます! 自分を、子どもを、関わってくださる方を、大切にする在り方とそのための試行錯誤をひとつひとつ言葉にしていきます。