手を振り続ける父
大人計画とクドカンを愛し続けて20年以上。
池袋ウェストゲートパーク放送中は、ロケ日を確認して早朝から池袋に張り込んだ。
タイガー&ドラゴンでは落語に見事にはまり浅草通いする日々。
というわけで、クドカンと長瀬がタッグを組んだ「俺の家の話」も楽しく、いや、首長族もびっくりなぐらい首を長くして金曜10時を待ち焦がれ、楽しませてもらっている。
クドカン作品らしく、笑いをまき散らし、至る所に伏線が敷かれ、あっという間に50分が過ぎてしまう。笑いの比率が多いドラマなはずなのに、13日金曜日の第8話のラストで号泣してしまった。
息子の後ろ姿を見つめる西田敏行
俺の家の話を見ていない人のためにちょこっと解説。
西田敏行(観山寿三郎):重要無形文化財「能楽」の保持者、脳梗塞で倒れ車いす生活、認知症気味。要介護2
長瀬智也(観山寿一):継ぐのが嫌でプロレスラーに。寿三郎が倒れたことで介護&観山流宗家を継承すべく家に戻る
とまあ簡単にこのような関係。
8話では寿一も足に怪我をして二人で車いす生活になる。
寿一が自由に動けなくなったことで、家事ができず家の中はグダグダ。
寿三郎を風呂に入れることもできず、ケアマネージャーにグループホームに入れてみてはどうかと提案される。
しかし、親をグループホームに入れたくない、けど介護ができない。となると自分の足が治るまでは入ってもらうしかない。ただ頑固なおやじが素直に受け入れるかどうか・・・と悩みつつ朝ごはんを食べながら
「なあおやじ~、飯食ったらさ、ちょっと出かけない?」
「ふ~ん、どこへ?」
「末広さん(ケアマネ)とこのグループホーム。なんかシェアハウスみたいなところで共同生活するんだって楽しそうだろ?夜には俳句とかの発表会もあるし、泊まりたかったら泊まってもいいし、いやだったら別にいいけど・・・」
テーブルに無造作に置いてあったグループホームのパンフレットをめくりながら、
「そだね、いってみっかな~~~」
わがままな父親の意外な反応にとまどいつつ
「やなら断るよ」
寿三郎はちょっと憮然とした態度で
「行くよ、言ってほしいんだろ。お前と二人っきりよりはましだよ」
ってこの会話だけでも、切ない。
グループホームに行きたくないけど、これ以上息子に迷惑かけたくない。
けどつらい顔すると息子がかわいそうだから憎まれ口をたたいてみる。といった寿三郎の気持ちが手に取るようにわかる。
これが親心ってもんなんだろうなとしみじみしてみていると、次の場面はもうグループホーム。
リアルに自分の父親と同じような車いすの老人たちが生活する様子をみて戸惑う寿一。
じゃあといってすぐに去ろうとする寿三郎に
「おやじ!」
と呼び止めると、寿三郎が電動車いすをくるりと回転させて、寿一のもとへ。
顔をみて涙ぐむ寿一だけど、その涙を見せたくなくて、軽く手を挙げて帰ろうと数歩歩き、振り返るとまだそこに父親がいた。
寿三郎「ブリザ~~ド(寿一のプロレスラーのころの名前)」
と叫びながら笑顔でこぶしを突き上げた。
寿一もこぶしを突き上げながら
「早くいけよ」
といい、出口に向かって足を進めるも父親が見送っているのが背中越しでもわかる。
父親と喧嘩したこと、笑いあったこと、言い争ったことなどが走馬灯のようによみがえり涙がとまらない
「もういいよ。早くいけよ」
とつぶやきながらグループホームをあとにした。
というシーン。
寿一以上に涙が止まらない私。
私の親はまだ身の回りのこともできるし、二人とも健在なので介護をしているわけではないのだが帰省最終日、私は寿一と同じ思いをしているからだ。
娘が大好きな栄吉
父(栄吉)は車の運転と娘が大好物なので、私が帰省するときは必ず送迎をしてくれる。
最終便で帰るというとお母さんは
「もっと普通の時間に来れないの?!」
と小言をいうものの、お父さんは
「よし!その日はお酒を我慢して、お前が帰ってきたら一緒に一杯やろう!」
と言ってくれる。
娘が帰ってくるのがうれしいのか、到着の30分も前からスタンバイする栄吉。まだ携帯を持っていないころ、最終便に乗り遅れ、実家に電話をするも時すでに遅し。栄吉は娘に会えるのを楽しみにもう空港に向かってしまったという。
お母さんが空港に電話をして、呼び出しをお願いするはめになった。
ややこしいことがめんどくさいお母さんはストレートな呼び出しをお願いしたらしい。
ピンポンパンポ~ン
「栄吉さま、栄吉さま、娘さんが最終便に乗り遅れたそうです。
今日は帰られないので自宅にお戻りくださいとのことです」
って普通は
「栄吉さま、栄吉さま、至急、ご自宅にご連絡ください」
とかオブラードに包むもんなのに、空港側もよくそんなアナウンス引き受けたものだ。
お母さんは
「なんだよ、あのアナウンス~」
と笑いの突っ込みを期待したようだが、娘に会えなかった寂しさからか
そんな突っ込みもなく、布団に入ってその日はふて寝したのだそう。
見えなくなるまで手を振り続ける栄吉
とにかく娘が大好きなので、空港の到着ロビーではいつも一番前でスタンバイしている。すぐに娘を見つけちゃうようで、私が栄吉を見つけたときにはすでにニコニコというよりうれしくてにやけている?
帰ってきてよかった~と思わせてくれる笑顔で出迎えてくれる。
帰ってきた日はこれから数日間一緒にいられるし、美味しいもの食べたりいろいろできるから話も弾む。
しかし、帰る日の朝ごはんはだんだん寂しさが募ってくる。高齢の両親の二人暮らしに戻るのか~と思うと、近くに住んであげられない申し訳なさがこみ上げる。
車に荷物を詰めるとお母さんが必ずおにぎりの入った紙袋を手渡してくれる。
「じゃ、またね」
窓から手を伸ばし軽く握手をし、車が走り出す。
サイドミラーをちらりと見るとリアルに年々小さくなっていくお母さんがさらに小さく見える。
言葉にしてなかなか言えないから、ドリカムじゃないけど、
ブレーキランプ5回点滅して
「ありがとう」
と伝えたいといつも思う。
そして、いよいよ栄吉とのお別れ。
一度だけ新日本海フェリーに乗ってみたくてフェリーで帰ったとき。
フェリーターミナルで、じゃまた!と言ってお別れし、部屋に荷物を置いて出発まで本を読んでいた。
30分後、いよいよ出航。故郷を海上から見ようかなとデッキに出て港をみると、手を振っている人がいる。見覚えのあるはげかかった頭とヨレヨレの黒のジャージ。
急いで一眼レフの望遠でのぞくと手を振っていたのは栄吉だった。
しかも、両手で極上スマイル付き。
30分も待っていたのか!
私は望遠でしか認識できなかったのに、老眼の威力おそるべし!裸眼で娘をキャッチしたらしい。
しかし、望遠でのぞいた先の栄吉の笑顔をみてだんだん泣けてきた。
今生の別れでもないのに涙で視界がぼやけてくる。
見えなくなるまで頑張ってのぞいていたけど、ずっと手を振り続けていた。
愛しさと切なさと心強さと・・・とどっかの歌の歌詞がぴったり当てはまったあの日。
両親のそばにいてあげられない申し訳なさを初めて感じた。
展望デッキからも手をふる栄吉
秋田空港には「おなごりフォン」なるものがある。
通常は手荷物検査の前のあたりでお別れだが、秋田空港の搭乗口はガラス張りになっていて姿を確認することができる。
見るだけじゃさみしい、名残惜しいということで?設置されたのが「おなごりフォン」だ。
こういうたぐいも大好物なため、息子送迎のときも楽しそうにおなごりフォンを楽しむ栄吉。
弟が機内に入るまで見届け、さあ、家に帰ろうと駐車場に行こうとすると
「よし、次は展望デッキだ!」
とすたすたと歩き始めた。
もしや離陸して弟が搭乗した飛行機が見えなくなるまで見送るのか!?
展望デッキに行くと、風の向きを確認。管制塔員にでもなったかのように離陸方向を冷静に見極めている。
機体が動き、栄吉の予想通りの方角から離陸。
離陸する体制に入った瞬間、フェリーからみたあの笑顔で両手をぶんぶん振って弟をお見送りしていた。
そう、栄吉は娘だからとかではなく、空港や駅、港、だれかの送迎をしたときは必ず見えなくなるまでお見送りしていたのだ。
その日は栄吉の背後から眺め、ほんと飽きないな~とあきれてみていたのだが、いざ自分が飛行機にのって離陸するときは違った。ちょうど展望デッキ側の窓際席だったため、もしかしてと思い、目を凝らしてよ~く見てみると必死に手を振っている人発見!
どういう気持ちで手を振っているのかわからないが、白髪が混じりしわが増えてきた顔を思い浮かべると切なくなってきて、涙が勝手に溢れてくる。
このときに長瀬が放った一言を私も心の中で思った。
「もういいよ。もういいよ。早く帰りなよ」
勘違いじいちゃん
手を振るで思い出したじいちゃん勘違い事件。
自転車通学していた高校時代。雪が降りしきる冬はさすがに自転車通学は禁止で、そのかわりスクールバスが運行されていた。
自宅からバス停まで歩いて15分。
とことこ歩いてバス停にいるとじいちゃんが現れた
「おめ~、弁当忘れてたぞ」
とわざわざ届けてくれたのに、田舎臭い恰好をしたじいちゃんがダサくみえ恥ずかしいのもあり、ありがとうもいわずに、弁当をぶんどり、ちょうどきたバスに乗り込んだ。
すると車内で同級生たちが私の顔をみてにやにや。
え?なになに???
「ゆきんこのじいちゃん、かわいいな~」
って窓の外をみたら、最高の笑顔で手を振っている。
何してるんだよ~とがっくりしていると
「ゆきんこ乗るかな~と窓ガラスの結露を手で拭いたら、うちらが手を振ってるとおもったのか、突然、ゆきんこじいちゃんが手を振ってきてさwwww」
と大盛り上がり。
「いいじゃん!じいちゃん、超かわいい!」
と大人気。
今だったら、
「だろ~。かわいいんだよ~」
と言えるも、思春期真っただ中の高校時代。
穴があったら入りたいくらい恥ずかしい思いをした。
その日、家に帰り、弁当を持ってきてくれたじいちゃんに
「余計なことをするな!」
とかいって、ぶんぶん怒り、じいちゃんと1週間くらい口をきかなかった。
今思うとくだらなすぎるし、じいちゃんがかわいそすぎる。これが反抗期ってやつの行動なのだろう。
そんなことを思い出したら、なんであのときあんな態度してしまったんだろうと悔やまれる。じいちゃんが正月会いたいって言ったのに、年末ライブに行きたいから東京にいるとたまたま帰省しなかった正月に亡くなったじいちゃん。
悔やんでも悔やみきれない・・・
だから栄吉が会いたい、遊びたい、どこかに行きたいと言ってきたときは
100%答えることにしている。もう二度と後悔しないために。
あと何年送迎してもらえるかわからないけど、免許返納するまであと数年?
栄吉が手を振る姿を目に焼き付けておきたい。
考えたくもないけど、栄吉最後の日は極上の笑顔で栄吉に負けないくらいの勢いで手を振って見送りたい。