足るを知る生き方に戻れない
昨日までのブータン旅行記はこちら。
以前書いたこちらの記事↓
モディ―首相と同じ日にブータン入りする予定が、モディ―さんは天候不良でこず、わたしは天候不良のためインドの田舎空港で待たされ、かなり遅れて到着。次の日も天候不良でモディ―さん来ブータンは延期で、いつ来るんだよと思っていたらなんと、わたしがティンプーからゲレプに行く日にやってくるという。
わたしが飛び立った30分後に到着するとかで、準備に余念がない。空港に向かっていたときはさほどでもなかったが、搭乗口からてくてくと歩いていくと、準備に忙しそうなひとたちが見えた。
日本だったら、重要人物が来るとなったら
「写真撮影禁止!すぐに飛行機にお乗りください」
なんて言われそうなものだが、そこまでの厳戒態勢はなく、写真撮り放題。
出張っぽいおじさんたちもモディ―ウェルカムの写真を撮っていた。
とここで、気づいたのだが、基本、公共の場では”ゴ”と呼ばれる民族衣装を着るのが決まりのブータン。右下の二人が来ているのがゴ。なのだが、飛行機の周りにいるオレンジジャンバーのひとたちは普通のズボンをはいている。オレンジ隊の一員だからだろうか・・・
スピードにのって離陸する瞬間、モディ―ウェルカム装置の真横を通過。赤いじゅうたんが3本もひかれているのは誰用か?
それよりも気になったのが道沿いにずらりといるキッズたち。
なになに?!モディ―くるだけでお出迎えなの???
と食い入るようにみていると隣のおじさんが
「国賓待遇の人がくるときは近隣の学校はお休みになるんだ。今回はモディ―を迎えるんだ」
「な、なぜ?モディ―さん、ブータンにとってそんなに大事な人なの?」
「まあ、えらいといえばえらい。それよりもモディ―首相は我々、ブータンに多大な寄付をしてくれているんだ。ブータンは食料自給率が低くなって、今ではインドに依存しているんだ。インドの支援なくては今の暮らしは続かないんだ」
驚いた。ブータンってエネルギーも食べ物も自国で全部まかなって、”幸せの国”を作っているんだと思っていた。
「ちなみに、キッズたちはパロの学校の子?」と聞くと驚くべき答えが。
「いやいや、ブータンまでの道のりにルンタが掲げられていただろう、パロからブータンまで小中学生がずらりと並ぶんだ」
すごすぎる。前回の記事にも書いたが、ルンタをパロからティンプーまでの約50kmにずら~っと掲げるだけでもかなりのウェルカムなのに、そこにキッズまで並べるとは。
しかも、途中、キッズたちは歌を歌ったりするそうだが、モディ―がそこに立ち寄って聞くとは限らないらしい。さっさと通過するかもしれないモディ―のために歌を歌うのだそう。
するとおじさんが
「ブータンも近代化が進んで、いろんなものが輸入されるようになった。そうなると欲がどんどん出て来て元の生活に戻れなくなる。昔は自国で全部まかなえていたのに今じゃインドなしでは生きていけない。インフラ整備もかなりインドに頼っているんだ」
もう足るを知る生き方に戻れないといったことを嘆いていた。
今の日本も同じだ。食料自給率が低下しているにも関わらず、食への欲求は止まらない。
そのうち日本も、モディ―や習近平がくることはないだろうが、国賓でくるとなったら成田から国会議事堂までウェルカム用のキッズを配置するようになるんじゃないかと不安になった。
お次はちょっと戻ってパロ空港の国内線、国際線ミックス問題の巻。
応援ありがとうございます!いただいたサポートは次回のブータン旅行時、キッズ僧侶たちへ日本のあめちゃんを大量に購入する費用にいたします。