ご先祖さまとの付き合い方
一連のお盆ルーティンにいろいろモノ申しているが本日最終日。
↓モノ申しているのはこちらの記事。
・「灯篭」と「とうろう」
・御霊供膳(おりくぜん)に物申すなかれ
お盆の一連の行事が終わると後片付け。そういえば昔、じいちゃんと川に流しに行った記憶がある。とお母さんにいうと
「今は、このご時世だからね、川には流さないの。その代わりゴザがひいてあるからそこに手をあわせて置くの」
さすがに流さないのか。記事に書いたとうろうのほか、花、カラフル落雁、さらにはそれは何で必要なの?と思っていた、5枚つづりのお札1000円也も処分する。
30cmくらいのペラペラの紙に南無~~~~と書かれたお札。毎年、お盆前に配られて1000円払っているそうなのだが、両親ともに取り扱い方がよくわかっておらず、ただ仏壇に数日間おき、その後、川へ奉納?しにいくのだそう。このご時世、ゴミをふやすのもよくないし、処分にもお金がかかるんだからお札は毎年使いまわしではいけないのだろうか。
もうひとつモノ申したいことがある。お墓の上にお供えものを置いてはいけないルールはあっても、無縁仏にはそのルールがなく、昔と変わらない風景が広がっていた。
食料自給率、先進国最下位なのにこんなもったいないことをしていいのだろうか。プラスチックかなにかにいれてあるのはまだいいとして、赤飯をごちゃっとのっけるのはいかがなものか。昔はもっとモリモリに盛られていたが、最近はさすがに減ったようでこの程度で済んでいる。13日から3日後でこの程度だったのは奇跡。もっとカラスにしっちゃかめっちゃかやられていたとしても不思議ではない。
そっと手を合わせるだけじゃダメなんだろうか。
そして、本当に川の近くにひいてあったゴザ。もちろんゴミは山盛り。
おばちゃんが捨ててから、手をあわせていたが、捨てるならやっぱり、お墓にお供えものをせずにそっと手をあわせるだけでいいのではないだろうか。
といいつつ、我が家もお盆グッズをゴザの上に置き、そっと手を合わせる。
昔はこんなに小さな川にそのまま流していたというから驚き。
時代とともに変化をしているものもあるが、よくわからずみんながやっているからと続けているものもある。お坊さんにお経を唱えてもらいながら、ご先祖様のことを思い、手をあわせる風習はこれからも受け継いでいってもらいたいと思う。ろうそくや線香の煙がゆらゆらと独特の香りを漂わせながら昇っていく様子は、ご先祖さまがお帰りになるのかな~と思いをはせたりできるし、ゴミとして残らないから続けていきたい。
しかし、たった数日間のためにただ置くだけで、捨てるならもういらないような気がする。
「でもね、ご近所さんや義兄弟に仏事に熱心な人がいたりすると、お母さん怒られちゃうの。だから手足が動くうちは続けるわ」
協調性を重んじる日本人らしい回答だなと思った。
ただ、お坊さんがきたときに、家の宗派について尋ねたところ、さまざまなことを丁寧に教えてくれた。やさしいまなざしのお坊さんで一緒にいるだけで和む。このお寺の檀家でよかったと思った。しかし、自分の時代になったときに檀家であり続けるかどうかはわからない。
今はまだ先のことのように思っていたが、帰省するたびに体が細くなり、小さくなり、動きが遅くなり、髪が真っ白になった両親をみるにつれ、そろそろマジメに考えないとなと思うお盆休み最終日。