『茶湯秘書』 フクサキヌノ事
茶書研究第13号『茶湯秘書』に「フクサキヌノ事」が載っています。この内容はいくつかの茶書にもありますので、少しご紹介しましょう。
まずは、『茶湯秘書』と「フクサキヌノ事」について。
『茶湯秘書』について
『茶湯秘書』の作者は堺を本拠として長崎貿易に携わった隠岐宗沕という人です。彼は表千家5代の随流斎に師事しており、『茶湯秘書』はそのときの質問集です。但しフクサキヌについての回答は”宗室”となっています。ここでの”宗室’は裏千家4代の仙叟宗室であり、随流斎からは叔父にあたります。
当時仙叟宗室は加賀前田家に士官していましたが、千家に戻ることがあると、随流斎に茶の湯の稽古をつけていたといいます。そこで茶の湯に関するいろいろな話を聞いたことと思われます。随流斎に師事した隠岐宗沕もきっと稽古場で何度も会い、聞いたことがあったのでしょう。
宗恩がふくさを大きくした理由「小田原はホコリが多いからふくさを大きくして道具を包み込む」は、このあとご紹介する茶書には記載がありません。後述の茶書は基本的に確かな伝承を目的としているので、記録(=茶書)として残すにあたって削ぎ落とされた箇所なのかもしれませんね。でもひとつのエピソードとしてはホコリが多いから帛紗を大きくしたというのは背景が伺えるので、より完成した話になるように思います。
茶書にみられるフクサキヌの話
A~Dは千家内部または千家に近い立場の人が書いた江戸初期の茶書、E~Gは稽古に通った弟子による江戸中期の茶書です。
こうしてみると、「利休の内室である宗恩が物を包むためにふくさの寸法を大きくした」と伝えられるのはほぼ共通してみられる一方、その他の情報は執筆者によって取捨選択されたのか一様ではありません。 BからFはほぼ時系列になっていますが、エピソードというよりも覚えておくべき知識になっていくように思えます。これは時代が経るためか執筆者が千家内部から弟子へと拡がるためか、この史料からは判断できません。 ちなみに、AはCの時代に相当します。
情報量はA・B・Eが多いですが、BとEは千家の嗣子へ正しく伝承することを目的として書かれた(または書かれたと考えられる)史料のためかもしれません。またAも情報量が多いですが、これは内容が質問に対する回答の聞書だからではないでしょうか。
さいごに
いかがでしょうか。一つの事柄について茶書を見ていくと時代や背景、目的などによって内容が違いますね。作者の見聞や経験から執筆されたり、さらには読者の反応を期待して、ということもあるかもしれません。そもそも千家の茶書は後嗣に伝えるためのものですが、『茶湯秘書』は随流斎の稽古に通った隠岐宗沕が聞いた話を「お話」として残しているものですし。
時代を経て茶の湯で覚えるべき「決まりごと」になる原点としての物語が、フクサキヌノ事から読み取れませんか。最近は様々な茶書が翻刻されていますので、もし何かご興味があれば手にとって読んでみてください。私は茶書研究会というところに入っているのですが、年4回の例会(京都・東京)では茶書の翻刻と、ときには先生方(お茶の先生ではなくて研究者の先生)の奥深いお話を伺うことができます。近年の例会はオンラインでも参加できますので、ご興味があればぜひご見学ください。
参考資料
五幅伊八郎『茶湯秘書』(『茶書研究』第13号、茶書研究会、2024)
原田茂弘『茶湯逸話集』(茶書古典集成13『茶話と逸話』、淡交社、令和3年)
谷晃『不白筆記』(茶書古典集成13『茶話と逸話』、淡交社、令和3年)
千宗左監修 千宗員編『江岑宗左茶書』(主婦の友社、1998年)
熊倉功夫「茶の湯の伝承 雑談・逸話・咄」(『茶の湯研究 和比 第8号』、不審菴文庫、平成26年)
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