雪藤

和雪庵(石川県)で茶の湯体験や茶に関係する話(茶の湯ゼミ)をしています。茶の湯ゼミが高じて茶書にハマリ、最近は手(点前)よりも口ばかりでお茶しているかも。たてなる事もをかしき事もなく、尖らない茶の湯を推しています。

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和雪庵(石川県)で茶の湯体験や茶に関係する話(茶の湯ゼミ)をしています。茶の湯ゼミが高じて茶書にハマリ、最近は手(点前)よりも口ばかりでお茶しているかも。たてなる事もをかしき事もなく、尖らない茶の湯を推しています。

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    石川県白山市(旧松任)で茶の湯体験、茶の湯ゼミ、茶書研究をしている和雪庵の記録やメモなどです。

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『茶湯秘書』 フクサキヌノ事

茶書研究第13号『茶湯秘書』に「フクサキヌノ事」が載っています。この内容はいくつかの茶書にもありますので、少しご紹介しましょう。 まずは、『茶湯秘書』と「フクサキヌノ事」について。 『茶湯秘書』について 『茶湯秘書』の作者は堺を本拠として長崎貿易に携わった隠岐宗沕という人です。彼は表千家5代の随流斎に師事しており、『茶湯秘書』はそのときの質問集です。但しフクサキヌについての回答は”宗室”となっています。ここでの”宗室’は裏千家4代の仙叟宗室であり、随流斎からは叔父にあたり

    • 水無月(和菓子)

      今日、6月30日は今年の半分が過ぎる日なので、半年分のいろんな穢れを払う行事である夏越の祓が全国の社で行われたと思います。そして、そんな日には和菓子の「水無月」を食べたくなるのです。そう、三角形の外郎の上に小豆が散っているお菓子です。 「水無月」の由来については様々なWebサイトで説明されていますのでここでは割愛しますが、資料として、京都の和菓子屋「三条若狭屋」の主人だった藤本如泉の書いた書物にこのような記載があります。 "こじつけて"という言葉はなかなか厳しいですが、「

      • 相伝の茶会

        昨日、茶道教室に通う方への相伝の茶会を開催しました。稽古の一環でしたので道具は手持ちのもので設え、濃茶と薄茶、そして点心(弁当)を楽しみました。 寄付:白湯のかわりにブドウのシロップを冷水で溶いたものをいただきながら、茶会の次第を説明しました。濃茶・薄茶・点心の流れです。 濃茶:席入のあと、お菓子を出して濃茶。お一人分を点てるのは難しいですね。 薄茶:青磁の平茶碗を使いました。お客様が、手に持ったときにいつもの茶碗とは異なる感じを「たよりない」と表現されたことが印象に残

        • 六月は甘味の月

          毎年、六月という月はなんとなく「地味」に感じます。連休はないし、今年の半分を消費してしまうのが見えてくるし。でも実は六月は甘味に関連する行事が多い月なんです。 6月1日:氷室開 6月16日:嘉祥(嘉定) 6月30日:夏越の祓 6月1日:氷室開 正しくは旧暦なので今月1日ではないのですが…。江戸時代以降、この日に氷餅を食べる風習がありました。氷餅は餅を水に浸したあと冷たい空気(寒風)にさらして乾燥させます。そのため、東北地方や信州など冬の寒さが厳しく寒暖差のあるところ

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          立夏に風炉を準備する

          今年の立夏は5月5日。連休はあと少しで終了というタイミング。この時期の茶室は忙しいのです。昨年の立冬に合わせて開いた炉を片付け、夏の風炉に替えます。 炉から灰をあげて、一先ず容器にまとめておきます。灰は夏になったら洗って干すのですが、それはまだ先の話。 風炉は灰型に押すので、ちょっと大変。まだまだの出来具合…。 炉から風炉に替わると、他の道具も替わります。菓子器は漆器から陶器へ、そして香合、柄杓、炭まで。茶碗は真夏になれば平茶碗ですが、今はまだ季節にあった絵柄にする程度です。

          立夏に風炉を準備する

          短冊用のたとう紙を交換

          恩師からいただいた短冊のたとう紙が、ちょっと年季の入った状態になっているので交換しました。 和紙は長く保管可能ですが、湿気によるカビや変色は免れません。たとう紙を交換して大切に保管します。

          短冊用のたとう紙を交換

          茶湯三傳集(巻之二・三)

          (50 ウ) 一畳半右勝手出炉躙(にしり)点前の事 ”出炉”と書かれているが、挿絵を見ると現在の「入炉」逆勝手にあたる (54 ウ) 一、一畳半右勝手出角共、此手前点様、四畳半のことし、 ”出角”は出炉、角炉 向こう切りを角炉と書いている (55 ウ) 四畳半大見屏点の事 〜〜 一、惣して小見屏ハ七寸五歩迄を云、大見屏ハ一壱尺より弐尺二、三寸迄を云、〜〜 大見屏は柄杓の底を見屏にもたせかけ置き、小見屏は柄杓を俯けて上に掛け置く (62 ウ) 四畳半織部堂古の事 堂古は又

          茶湯三傳集(巻之二・三)

          「袴」で始まる仮説(想像)の行方

          井伊直弼著『茶湯一會集』には”袴ばかりは草なり”という箇所があります。そこで思い出したのが遠藤元閑著『茶湯三傳集』(以下、『三伝集』)の”草袴 草足袋はく事なし”でした。茶書研究会で『三伝集』を輪読したときにナゾだった箇所について『茶湯一會集』から広げた仮説(想像)と事実(オチ)のお話です。 はじめに私は古文書が読めません。さらに、茶の湯を含めて文化・歴史などの研究者でもないし、その類いの専門教育も受けていません。だから調べられる範囲も知識も、広さと深さがありません。ここで

          「袴」で始まる仮説(想像)の行方