旅路を歩き始めてみて数日

努力の千本ノックをすると決めてから、思いきり取り組む生活を始めている。

日々を過ごす中で、心が決まると集中できることが分かったり、思っていたようなスピードアップはなかなか出来ないことが分かったりして、とても新しい。

SNS、音楽、本、家具、車など身の回りに溢れているものも、今まで受け手一辺倒で、モノとして認識してその中から選んで手に入れてきたけれど、今は全てが誰かの表現なのだという視点に切り替わった。

もちろん表現された作品だという前提はあったけれど、もっと弾力があるような、有機的な蠢きがあるような。

表現を纏った息づいているものたち、という感じがするのだけれど、それは何だか大きな安心感をもたらしてくれた。

私が今書いているこの文章も、そういう存在なのだな。


そのような変化のある日々を過ごしてきて、豊かな気持ちになったりしていたのだけど、今までにない不安が生まれてきた。


努力をしたとして、私は素晴らしい表現が出来るだろうか。

私の中に、心が震えるような表現の種は、果たして存在しているのだろうか。


ずっと望んでいた環境に身を置くと、本質と向き合うことになるのだと身にしみる。

それは怖いことだと想像していたから、私はなかなか自分に許可が出せなかったし、だからこそ出せずにずっとこのまま時間を過ごすことをもうやめたいと思った。

想像していた怖さよりも本格的に怖いけれど、いざ本番だやるしかないという明るさもある。

そして、実際に不安が出てきたことにホッとしている。

不安を見ながら、怖さを味わいながら、千本ノックしていこう。

そうやって自分を知っていこう。


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