ゆきなみ

心に浮かぶあれこれや、頭を巡るあれこれを言葉にしてみたいと思います。

ゆきなみ

心に浮かぶあれこれや、頭を巡るあれこれを言葉にしてみたいと思います。

最近の記事

2021年のふり返り

あっという間に大晦日になった。 今22:15なのだけど、今年のうちにふり返り終わることができるだろうか。 今年の目標は「模様と言葉を紡いで生きる」にして、まさにそれを実行した一年だった。 ありがたいことに実行することができた。 なのですごくすごく幸せだった。 そしてその上でなのだけど、今年はものすごくしんどくもあった。 自分の内側に入って模様が浮かび上がるのをじっと待つとき、 朧に感じた模様を紙に写しとるとき、 写しとった模様を自分の心に合わせて完成させるとき

    • 足取り重く進んだはずだった

      あれから下描きを完成させて翌日、作業場がある実家に車で向かって、作業を始めようとした時に気づいた。 なんと、、、下描きをした紙を忘れて来ていた。 この先作業が進んだときに必要な道具などは、しっかり持って来たのに。 私はよくそういうことをする。 肝心なものをスルッと取りこぼしてしまう。 なぜなのか、と毎回がっくりくる。 でも、後々それでよかったと思うことになるので、今回もきっとそうなのるのだろうと思い直した。 とは言っても、作業が先に進めず困ってしまった。 そこ

      • 足取り重く進んでみる

        なかなか、これだ!という模様にたどり着けない。 描けば描くほど迷宮に入りこんでいく感覚。 この状態をどう捉えながら続けていくか、だんだん模様よりも心の在り方を探りながら描いている。 自信を持てない模様も、形にして作品として仕上げる経験をしていかなくてはいけないことは、ここ一ヵ月くらい自分で納得してきている。 でもその心持ちがあっても、現実として模様をどう落としどころをつけて完成させるかで、すごく困ってしまう。 やっぱり最大限ジタバタあがいて、何とか少しでもいいと思え

        • 変化してきたこと

          怒涛の日々が続いている。 ずっと長い間積もっていた内面のいろいろが、外にこぼれ出ることがよく起こるようになってきている。 そのこぼれ出るものは、出したいから出すというよりも、何かをきっかけにして出かかって、そのまま出るに任せる形が多い。 「わぁ出てしまう。でもそれを止めることにエネルギーを使うのは何だか飽きたなぁ。出る様子を感じながら出してみよう。」と毎回思っている。 出るのに任せるとはいえ恐る恐るなのだけど、そうした後は胸の奥が軽くなったような爽快な感じがする。

          泡を見る

          あれから日々考えごとをしたり、体調が落ちてグッタリしていたり、布をひと柄染めたりしていたら、あっという間に3月に突入した。 目まぐるしく内面が変化して、いつも日記に心の変化を書き留めているのだけど、何だか追いつかないような書き留めきれないような感じだった。 そんな今朝。  朝目覚めた後は、心が無防備になっている。 なので、いろんなたくさんの気持ちや記憶の断片がブワーッと出ては混ざりあって、泡のように膨らんだりしぼんだりする。 発酵しているように。 寝ている間に多分

          2021年のテーマ

          新しい年が始まった。 なんだかいろいろ考えることがあったりして、テキスタイルのことが何も出来ないままあっという間に日にちが経っていく。 年が明けてすぐに今年のテーマを「模様と言葉を紡いで生きる」に決めた。 その直後からこんなに立ち止まるとは思っていなかったけど、このテーマがしっくりきている。 自分の中で生まれてくる模様。 光や泡のように一瞬またたいて消えていく、感情よりも手前の何か、それと一緒にほわっと浮かんでくる色、それは私の中で絶えず生まれている。 生まれたそ

          2021年のテーマ

          2020年のふり返り〜長め〜

          今年はひっそりといろいろやってみた年だった。 自分に行き詰まっていたので、いろいろやってみる中に変化のきっかけになるものがあれば、と思って一年のテーマを「実験」にした。 変化したいとは思っていたけれど、自分から離れた変化は難しいと今まで生きてきて分かってきたので、自分をとことん知ることも兼ねた「実験」をした。 自分を知っていくことはとてもしんどかったけれど、見つめて潜ってとどまってジタバタもがいたら、その後はフッと力が抜けて楽になれた。 いろんな小さな「実験」をして、

          2020年のふり返り〜長め〜

          この一年

          年の瀬に近づいてきて、一年前の同じ時期のことを思い返している。 その時期、自分にとって覚悟を決めて読んだ本と、聴いた音楽がある。 本は「夜と霧」。 音楽はキリンジの「ダンボールの宮殿」。 どちらもものすごく惹きつけられながら、怖くて長い間避けていた。 「夜と霧」は、どういう本かというのは知っていて、書店で何度も手に取って中身をパラパラと見はするものの、書棚に戻していた。 「ダンボールの宮殿」は数年前にたまたまYouTubeで聴いて、この歌で歌われているのは自分だと

          あれよあれよと大掃除

          今年もあと少し。 今年は特に大掃除をする予定はなかったけど、ちょっとそこら辺を拭いていたら大掃除に発展してしまった。 まる一日大掃除にかかっていたけれど、家具の配置換えをしたり、納めていた小物を出して飾ってみたりして、なかなか終わりに向かっていかない。 でもこれはよくあるパターンなので、早い段階で予測できた。 そして今回、自分でも快挙だと思ったのが、予測した段階で今日中に大掃除を終わらせることを手放したこと。 書くと何が快挙なのだろうと思うけれど、今までだと、大掃除

          あれよあれよと大掃除

          悶々と惑う日々

          あれから実行してみたら、癒されて、満たされた。 技術的には成功と失敗が半々くらいだったけれど、最後までやりきれたことと形にできたことが、すごく嬉しかった。 課題も分かったしどんどんやって回数を重ねていこう、と思った。 けれど、そこから今まで立ち止まっている。 あんなに具体的に次に取り組むことが見えたのに、なぜ動けないんだろう。 なぜ頭の中はこんなにいろんなことを考え始めているんだろう。 なぜ今、求めるように心惹かれる本に出会ってしまい、3冊同時進行で読んでいるんだ

          悶々と惑う日々

          てんやわんやだった内側の日々

          外側はほとんど変わりないけれど、内側がどんどん変化してきている。 生き方を変えてから、日々起こるいろんなことの感じ方が日々変わってきている感じがする。 それはわかりやすい変化ではないので、「ん?」と小さな違和感を感じたら、立ち止まってそれが何なのか心の目を凝らして確認しなければ通り過ぎてしまう。 通り過ぎてもいいのだろうけど、「ん?」はわりと次から次へと来るので確認したくなる。 確認したら消化して自分の内に馴染ませていくのだけど、なかなかここがエネルギーを使うなぁと思

          てんやわんやだった内側の日々

          鼻炎あれこれ

          寒暖差による鼻炎に乗っ取られた数日だった。 今回はティッシュ2箱にお世話になった。 季節の変わり目にはいつも鼻炎になり、その度に健康管理をちゃんとしようと思って何かを始めるのだけど、芳しい効果は得られずにきている。 それにしても、鼻炎になるとなぜあんなにも何も出来なくなるのか。 鼻をかむだけでグッタリして一日が終わる。 鼻炎という大義名分を得た気分で、朝から布団でホクホクしながらのんびり過ごそうと本や漫画を用意してもぐり込んだけれど、とめどなく流れ出てくる鼻水と格闘

          鼻炎あれこれ

          旅路を歩き始めてみて数日

          努力の千本ノックをすると決めてから、思いきり取り組む生活を始めている。 日々を過ごす中で、心が決まると集中できることが分かったり、思っていたようなスピードアップはなかなか出来ないことが分かったりして、とても新しい。 SNS、音楽、本、家具、車など身の回りに溢れているものも、今まで受け手一辺倒で、モノとして認識してその中から選んで手に入れてきたけれど、今は全てが誰かの表現なのだという視点に切り替わった。 もちろん表現された作品だという前提はあったけれど、もっと弾力があるよ

          旅路を歩き始めてみて数日

          ここからの旅路

          つい2,3日前、努力をすることを許せるようになった。 好きで自分では才能があるのではないかと感じているけど、まだほぼ全く開花していない事がある。 その状態を本領発揮まで持って行く努力、それをすることを許した。 許せるようになったのは、一生懸命努力する自分を想像して「あぁ美しいな」と感じられるようになったから。 そしてその美しい自分になりたいと、まっすぐに思ったから。 なかなか思うように進められず、火種は絶やしたくないと思いながらのこの10年、初めてこんな心境になった

          ここからの旅路

          あわい

          今、普段は来ることがない場所に車を停めて、車の中で人を待っている。 待ちながら、今ここにいることは非日常なのだなと思った。 状況は、4ヶ月に1度の母を家から遠く離れた病院に送迎する日が今日で、母の診察が終わるのを待っているところ。 私の非日常は、日常にとても近いのかもしれない。 日常の中に非日常 ーという日常から遠く離れたものー の気配を見い出すことをよくしている。 隙あらば見い出そうとする。 そして私は同時に日常と非日常のどちらにも存在する。 その感覚を味わう

          空気のpH調整

          意識的のときもあれば、無意識的のときもある。 自分は今少し呼吸が浅くなっている感じがするとか、あそこにいるあの人は寛いでいるだろうかとか、そんなことがほんの少し気になり始めたときに。 空気のpH調整の仕方は、誰か直接具体的な対象に向けてではなく、その場の空気全体に対して。 ほんの微かな振動を、その場を満たしている空気に覚知されないように、ゆっくりゆっくり拡げていくように。 あの時誰かがそうしていたのではないかなと、後になって気づくことがある。 そして多分ひとりの人だ

          空気のpH調整