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孤独主義時代 〜 型・スタイルがある組織での結果の出し方
最近ちょっとグッときた記事がありました。
何にグッときたのか?
何を持っているか、何を得られるかではなく「誰と(人生を)共有できるのか?」ということの方が重要で、前者を追い求めすぎると、人と上手に関わることができずに心が貧困になっていくーーーー
「ローマ教皇が「ゾンビの国・日本」に送った言葉」
これを、「ゾンビ化」と呼ぶそうな。
たまたまTwitter上に流れてきたこの記事にグッときて、過去の自分をちょっと曝け出して、何か皆さんに役に立てる経験談を書いてみようかなと思い、今このnoteを書いております。
孤独主義時代
そのまた昔(10年前)、私も「一人がかっこいい」「他人のことなど構っていられない」って思っていた時期がありました。
この時期を私の中で「孤独主義時代」と呼んでいます。
子供の頃から、なんでも一人でやれるようにならないといけない、助けを求めてはいけないんだとか、そういうちょっと変わった価値観を持っていました。
これは結構長いこと続いて、今もそういう部分は持ち合わせていますが、昔ほどではありません。
昔は、これを自分の中だけにとどめてきれずに人に押し付けていたこともあったかも知れないんですが(押し付けられたよという方、本当にごめんなさい。)、今考えるととんでもなく偏った価値観だなと、ちょっと自分を恐ろしく感じてしまいます。
ローマ教皇の記事にも書いてあった、「人への思いやりや優しさの価値を説く」ことは、スポーツ選手としてダサいと思っていたし、それって自分に対する甘えとか競技と全く関係ないことだと思っていたので、そういうことを思っていたとしてもピッチで表現することはできるだけ避けていました。
「孤独はかっこいい、一人で孤独は耐えるもの、孤独は自己責任」だって本気で思い込んでいたし、だからなのか、ドイツやイングランドにいたときは常に孤独と戦っていた記憶しかありませんし、辛く苦しかった思い出しか正直言ってありません。
世間でもよく言われているような、「自分を見つめる」「自分らしく」って、結局のところやりすぎるとどんどん内向きになっていくし、バランスを崩して制御がきかなくなると、恐ろしい方向へと進んでいってしまいます。これは自分で実践していたのでよくわかりますが、こんなの美学でもなんでもなくて、精神的に健康を損なっている状態と言えるでしょう。
毎日、来る日も来る日もこればっかりやっていたからか、周りには怖い人、厳しい人、自己中な人、ストイックすぎる人などといった、あまり好感を持てないような印象を与えていたと思います。
特に日本語で接する人にはその印象が強かったかもしれません。
とにかくサッカーのことしか考えていなかったし、偏った価値観で究極を求めていただろうし、ノートが話し相手みたいな感じでしたし(もう病気ですよね・・・苦笑)、ノートと2人3脚で結果・成果を出すためにだけ努力していたようなものでした。
その目的意識だけ明確に持っていました。むしろそれ以外のことなどガン中にありませんでした。
これといって遊びもしていなかったし(遊び=悪とすら思っていました)、それ以外のことに時間や労力を費やすなど無意味だと思っていました。
ですが、そんな私でも月に1度のひとり旅で、同じく当時ヨーロッパに住んでいた梢やサキに会いに遊びに行くことが息抜きになっていました。本を読むことも極端に避けていましたから(自分の言葉での表現を大切にしたかったから)、本当に極端で狭い世界に住んでいたと思います。
チームメイトとはプライベートでは関わりたくなかったし(これには色々と自分なりに理由があります)、だから本当に数人しかあの時代に一緒だったチームメイトとは今繋がりはありません。
本当にちょっと、というかかなり異常な人だったなと今振り返ると思うけど、それでも運良く自分が目標に掲げた結果を出すことができました。とにかくゴールを決めないとここでは生き残れないっていう感覚にさせられていたので、私の人生は自分で作り上げたプレッシャーと緊張感で溢れかえっていました。
そんな状態だったので、夜は眠れなくなりました。ドイツにいた頃はまともに睡眠が取れず、4時間くらいしか眠れない時期が長く続きました。
まぁ、こんな私でも友達でいてくれたり、見放さないでいてくれたり、ファンでいてくださった人はいたので、その人たちもきっと変な人たちだったんだなって勝手に思っています(そういうことではない)。
というより、その人たちにむしろ支えられて生き抜けたので、どれだけ感謝しても感謝しきれないというのが本音です。かなり口下手で、表現下手で、思っていることの半分も伝わらないという特技を昔から持っていましたが、それでもなんだかんだ吐き出すところはありました。
私もどうやら人間だったみたいで、弱音を吐きたくなる時もありました。
ただ、「自分で耐えられるところまでは耐える」というのは、自分の中でルールとして決めていました。
そんな私の孤独主義時代は6〜7年は続きました。
結果が出せる環境とは?
サッカーという職業において、勝利や得点というのは目に見える数字なので、目標を比較的立てやすいです。
ただ、みなさんもご存知の通り、チームスポーツで得点を目標にして積み重ねていくには、ある程度のチーム力というものも必要で、その大枠のスタイルがしっかりと築けていない段階での組織では、選手が力を発揮することは難しくなります。
特に、まだ立ち上がったばかりの若手のチーム、監督が何度も交代しているチーム、選手の入れ替わりが激しいチームなど、「型、パターン」がないチームでは、まずはそれを構築する作業が必要になるからです。
私の孤独主義時代において、FWだったので当然結果を求められます。最初に所属していたポツダムというチームで私がブンデスリーガ得点王(2013)を獲得することができたのは、私はある方法でこの目に見える数字というのを手繰り寄せていけたからでした。
その方法は、この「合わせる」技術。
名前が離婚前の名前ですが、気にせずいきましょう。
興味ある方はぜひ読んでみてください。
あと、これは別に過去の自分を自慢してるわけでもなく、宣伝してるわけでもないです。これから語る失敗への助走です。失敗を認めて曝け出すためのアパタイザー(前菜)みたいなものですので、軽く喉に通しちゃってください。
で、ざっくり言いますと、その方法は「確率論」です。
伝統あるチームは「型・パターン」というのがある程度はっきりしています。私が得点王を取った時のチーム、ポツダムは、40年以上も続いているクラブ、そして監督も同じくチームを40年間率いている監督だったので、スタイルが確立されていました。
ただ、遠い異国の地からきたアジア人(当時はW杯優勝前)など、そう簡単に受け入れてくれるわけがありません。さらに、周りは自分よりほとんど能力の高い選手たち。やばいところにきちゃったなとすら思いましたが、全く通用しないとは感じませんでした。
でも、外国人ですから、当然助っ人として加入しているわけです。一刻も早く結果を出すことが求められているということを周りは敏感に感じさせてきましたし、それがプレッシャーにもなっていました。
そうなってくると、自分のプレー云々って言ってられなくなるわけです。
チームのスタイルやドイツサッカーの当たり前を理解するのにも時間がかかったし、でもその中でもとにかく結果を出すことがミッションでしたので、最短で結果を出すためにその方法を自分なりに模索していった結果、ある手法がしっくりくることを実感し始めました。
味方選手のプレーの特徴(パターン)分析、ピッチ上で起こる現象分析
FWでしたので受け手になる場面の方が圧倒的に多かったのでこれがハマって、ある仮説をもとに動くと本当にそこにボールがくる。それが結果に繋がったり、味方をサポートする動きに繋がると、味方も信頼してくれるようになります。これの地道な繰り返しでした。
言葉もまともに話せない、信頼もない、じゃあどうするのか?結局「合わせる」しかない。それが1番速いというか。
スタイルが確立されているチームはボールが出てきそうなところの予測が立てやすく、ある程度能力の高い選手の集団なので、それなりに個人でも精度の高いパターンを持っている選手が多く在籍しています。
この「精度の高いパターン」というのがポイントで、彼女たちはチームの哲学(ドイツサッカーの哲学)を身体で理解していました。そして、それが共通認識となってチームに根付いていました。
だからこそ、自分のポジションを確立するのも結構骨の折れそうな大変な作業でした。
さらに私は孤独主義時代でしたので、とにかく葛藤の連続で、何度も押しつぶされそうになりましたが、チーム内でのポジション確立するまでに1年近くかかりました。
ただ、この地道な作業の努力が花開いた瞬間をピッチ上で感じた時は、感慨深かったです(少しくらいは余韻に浸りたい)。
正しい努力をすれば、結果は出る。
結果を出せたからこそ、これが正しい努力になった。
ポツダムで運良く結果を出すことができたのは、間違いなくこの組織として確立されたスタイルがあったチームだったからです。ただ、私のポジションが確立されたということは、当然もともとそこにいた人の居場所がなくなるわけですから、私の心は傷みましたし、正直なところ申し訳ないという気持ちもありました。
11人しか試合に出られないというかなり競争率の高い競争がある世界だから仕方ないと言えば仕方ないんですけど、人の居場所を奪ってまでも自分の居場所を確立するというのは、やっぱり良い気分ではないですよね。そういった選手は、次なる居場所を求めて去っていく。切ない世界です。。。
これが私にとって海外での初めてのチームでの経験でした。このチームで過ごした3年半で本質とは何かをとことん学び、このあとチェルシー、ボルフスブルグ、フランクフルトと渡り歩いたのですが、このポツダムで通用した確率論が全く通用しない現実を突き付けられました。
当時は全てが自分の力不足だと思っていたけど、人のせいにしたくなることもあったし、そのやり方に執着していたところもあったし、どんな組織でも同じように点が取れるはずだと信じ込んでいました。
ですが、現実は違いました。
違う組織においては、それは正しい努力ではありませんでした。
点がなかなか思うように取れないもどかしさが募り、それが焦りにつながり、気づいたら私は移籍を繰り返していました。
なんで思うように点が積み重ねられないんだーーー
周囲のプレッシャーも感じていました。世間の期待に押しつぶされそうになる時もありました。
ただ、それが間違いだったということにようやく気づいたのが、アメリカに渡ってからでした。
今まで選手視点でしか考えられなかったことが、他の視点からも考えられるようになってきたからです。
組織が違えば、同じサッカーというスポーツでもスタート地点や完成度、成熟度も違う。組織として今どの位置にいるかによって、その時やるべき自分の作業も変わる。
そう考えられるようになった時、焦りが一切吹き飛び、余計な雑念も消えました。
それは、結果が出ない、自分の力が出せないのは自分の責任でもあるけど、組織の成熟度の問題でもあるということ。
この両方をバランスよく考えられるようになったからだと思います。
チェルシー、ボルフスブルグ、フランクフルトでの失敗が、ようやくアメリカにきて活かされているように感じています。
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自分の人生の失敗を受け入れるって、簡単なようで難しい。失敗をなかったことにするのは簡単ですけど、実際受け入れられているかどうかって微妙ですよね。だから私はこうして書き綴って公にシェアしてみることにしました。
当時はいろんな人に迷惑をかけていたと思うけど、今では笑い話にしてくれたり、今のありのままの自分を見てくれる真の仲間に、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
最初の言葉に戻ります。
何を持っているか、何を得られるかではなく「誰と(人生を)共有できるのか?」ということの方が重要で、前者を追い求めすぎると、人と上手に関わることができずに心が貧困になっていくーーーー
私は間違いなく、前者を追い求めすぎた人生を、20代前半は歩んでいたと思います。何を持っているか、何を得られるか、こればっかり考えていたと思います。
だから、人と上手に関わることもできなかったし、心は貧困だったと思います。
今のこの幸福感と充実感は、過去に一度も味わったことのないもので、はじめはこの感情を受け入れるのに戸惑いました。これでいいのか?こんな幸せを味わって私はいいのだろうか?と、罪悪感も少しありました。
でも、ようやく受け入れられるようになってからは、サッカーが人生の一部へと変わっていき、人生そのものを楽しめるように変化していきました。
そして、他人に目を向けて、他人と向き合うことの方が何百倍も大切だってこと、最近になってようやく気づくことができました。
それは、環境の変化であったり、人との出会いが新たな価値観を私にもたらしてくれたからです。
まずは、自分の隣にいる人をとことん愛そうと思います。
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