【随想】比べるということ 見えざる世界と距離
自分とは何かを知る時には、自問自答を繰り返すことが最善ではないということを、ここ三年ぐらいで知ることとなった。人を知ることが、自分を知ることの第一歩である。
しかし、当然ではあるが、人と比べるということは苦しいことである。人と比べてばかりいれば、幸せにはなれない。それでも、人と比べるという思考がなければ、人を好きになることも出来ないのも事実である。自分と相手との違いを知らなければ、人を好きになることも、嫌いになることも出来ない。好きも嫌いもない状態こそ幸福と思うのであれば、真に悟りの道を探すことになるのではないだろうか。
自分が存在し、世界が在る。自分を認識することは、世界を認識することである。自分が生存することの出来る環境に居る、つまり、現在の生態系の中に組み込まれていることだと知る。こうした事実は、あまりにも上手くいき過ぎていると思うことで、宇宙に必然を感じるか、今という結果に偶然を見出すか、それは人それぞれであろう。
必然においては、数々の事象を運命と呼び、見えざる力が働いた結果、今、自分が存在すると考えることも出来る。偶然においては、すべての事象の一致が結果として自分を生んだのだと考えることも出来る。自分の存在の意味については、確かめる術はない。よって、必然か偶然か、それ以外かについてはキリの無い話なのだ。
他と比べることで、自分を知る。例えば、自分には無い考え方は、自分がどういう考え方をしているかを知るきっかけとなるだろう。他者の考え方を一切知らないまま生きるという方法を私は思い付かない。何からも影響を受けずに生きようとするのなら、息を止め続けることと同義であるように思うのだ。
また、完全なる生き方の模倣も不可能である。「あの人の〈ように〉生きたい」は、叶うかもしれない。しかし「あの人に〈なりたい〉」は、相手と自分が分離しているからこそ抱く感情であり、自我を消して相手になり変われたとして、その願望の成就を知ることなく、そもそもの願望の消失という結果になるだろう。
年を重ね、振り返ってみれば、様々な人間に出会ってきたものである。好きになる人、嫌いになる人、どうでもいい人、忘れた人。それは、他者にとっての私も同様、好き、嫌い、どうでもいい、忘れた、の、どこかに属していることであろう。その基準は培われた人格、そしてバイアス等、様々な要因の集合であろう。人間の複雑な心理は、白黒ハッキリ付けてばかりではいないと思われる。
幼年の、どこからともなく現れた「みんな仲良く」という標語のスタートから、この「みんな仲良く」に苦しみ、次第に仲のいい人間と付き合い、合わない人間とは関わらなくなってゆく。そうして、少しずつ人間関係は削られてゆく。最後は自分一人かもしれないし、独りに耐えられないから気の合う人間を見つけにゆくのかもしれない。
自分を唯一無二と思うのは、自分であり、他人ではない。大事にしたい人、したくない人が自分にあるように、他人にもある。あるいは、厭人家、あるいは、博愛主義等のような特徴も畢竟個人の問題である。
以前、石川善助の『亜寒帯』の感想にて、私は「命とは、眼前に燃え盛る〈真実〉」ということを書いた。人格の見え方が他者にどう映っているのかは、確かめようが無い。しかし、命とは〈真実〉である。自分にとっても、他人にとっても、揺るがないものである。
命という真実が、この世にある時、その行方についての真実は見えない。明らかな真実の突然の暗転である。このことに恐怖するということは、本能であろう。存在は必然か偶然かの問答同様のキリの無い話である。このことについては、宗教の数だけではなく、人間の数だけ考え方があると思ってもいいのではないだろうか。
神話を紐解くことで、自国のルーツ、アイデンティティを見出した国学者の平田篤胤のことを知る中で、こうしてとりとめのない思考の海を漂うこととなった。
江戸時代における西洋文化の流入は、日本の文化・思想を整理し、地盤を固めるきっかけとなったのではないかと考えている。即ち、自分という存在を他者との関わりにより知ることと同じである。
これからの時期にクリスマスにケーキを食べ、大晦日は除夜の鐘を聞き、新年を迎えれば初詣という流れに何の違和感もなく過ごす現代の私には、この島国へ西洋文化が入り込んだ当時の衝撃については、思いを馳せることしか出来ない。
平田篤胤の、改めて日本という国を学問し、理解しようという試みは、諸々の曲解に流された時代もあった。しかし、それこそが時代の所為と言ってもいいのではないだろうか。時間と人間が流れる中で、過去の解釈をその時々に解釈する時、今という点に至るまで二転三転するのも仕方のないことであると思う。
歴史的衝撃というものは、しばしば現在までの軌跡を顧みるきっかけとなる。平田篤胤はまさに、その渦中にいたのであった。「日本」について学問することは外的要因から、学者としての使命を全うしたということである。神話や、人間の霊魂について解釈することは、人間の「生き方」を考えることであった。文政の世、それ以前より、現代まで悪とは善とは何であるかは問われ続けている。
平田篤胤の『仙境異聞』においては、天狗と共に異界の山々で過ごした少年・寅吉との問答の記録がなされている。篤胤と寅吉が邂逅した際、次のようなやり取りがなされた。
神道を学ぶ篤胤を「神様」と呼んだ寅吉であるが、この言葉は正しかった。平田篤胤は、現在東京都と出身地の秋田県にて神社の御祭神となられている。そうした千里眼が寅吉にあったかは定かではないが、実際神様として現代に平田篤胤の存在は続いている。
この寅吉の経験した天狗との山での暮らしの日々について、真偽を語るのは今回の本筋から外れる。この本をどのように読むかは、目的によるが、今回私は「見えざるもの」との「距離」に着眼している。
篤胤の解釈する死後の世界観は当時主流とされていた本居宣長による「古事記」解釈の「黄泉の国」とは異なる。曰く、「幽冥界」という世界が篤胤より提唱された。平田篤胤の執筆した『霊能真柱』(たまのみはしら)によれば、人間は死後、この国土にとどまり、現世と隣り合う見えない世界にて暮らすとされる。吉田麻子著『平田篤胤 交響する死者・生者・神々』(平成二十八年、(株)平凡社)によると、死後に特別離れた世界へ行くことなく、同じ土地で生者の傍で生活をするということは、穢れの世界へ行くというこれまでの死生観とは異なった、当時としては衝撃的な解釈であったとのことである。
篤胤のバックボーンについて、前掲より引用する。
前掲によると、江戸時代に写本の流布していた『稲生物怪録』を熱心に読んでいたという例が上げられている。この本の内容について引用する。
人間は、文明により早々に暗闇を消してきたように思う。現代は、真夜中でも街灯、車のライト、建物の灯りに夜道は照らされ、家の中でも電気を付ければいつでも暗闇を消せるようになった。しかし、少し昔に遡ってみれば、夜をここまで明るくすることは出来なかった。何も見えないということは恐怖である。今日の夜の明るさは、人間の恐怖の裏返しにも思える。隣り合わせの恐怖から、怪異というものも、今よりも近い存在だったのではないか。
詩人の石川善助は随筆『寂寞記』にて、幼年実家にて二人の童女の怪異を見たことを書いている。後年その怪異を「座敷童」と呼ぶことを宮沢賢治より教えられ、いたく興奮したというエピソードもある。
石川善助は宮城県の人間であり、宮沢賢治は岩手県の人間である。柳田国男の『遠野物語』も、岩手県であり、ここに様々な「見えざるもの」の話が集められている。そして『稲生物怪録』は、現在の広島県においての怪異の記録である。どこの地域にも、こうした人間の常識では説明のつかない出来事というものは存在している。
こうした話を信じる人間は、前述した異界との概念的距離感から、今よりも多かったと思われる。だからこそ、篤胤の「幽冥界」という死生観、『仙境異聞』に見る天狗の存在、こうした「見えざるもの」は、見えないだけで存在することは前提として受け入れられ易かったと考える。だが、こうした話が文政から令和へと時間を経ても消えることが無かったということも事実である。距離は遠くなっただけであり、見えない世界が人の意識から完全に消えたというわけではないだろう。
明るい真夜中を歩く時代を生きていて、死生観は各々に委ねられ、自分は自分の生き方を考える他ない。死を思うことは、生を思うことではないか。平田篤胤は、善く生きることを考え抜き、学問をしていた。
生きている間、報われることの多いことを望む。しかし、自分にとって「報われる」とは、何であろうか。いつも、自分がどうしたいのかが分からなくなる。だから、他人から褒められる生き方さえしていれば良いと、消極的に他者の目を利用して生きて来た。しかし、こういうことも、そもそも考える必要のあることかどうかも分かっていない。
一寸先は、どれだけ真夜中が明るくなろうと闇である。
この宇宙が、偶然でも必然でも、あらゆる分野のあらゆる解釈を見ていても、結局は自分という「個」へと収束する。
もうサンタクロースは来てくれない、大晦日に煩悩は消せない、神様に頼るように手を合わせて新年を生き始めるだろう。
善いことしようと思う心は、献身と自己犠牲の違いが分からない。人を愛そうという心は、憎しみを消せない。型にはまって生きることの苦しみと楽しさは、型を破って生きる苦しみと楽しさと変わらないだろう。
苦しくない生き方はない。
比べる苦しみと楽しさを選び、発展した明るい真夜中に、様々な考え方に触れる。そうして、自分の心の反応に、僅かながらの自分を見つけるのである。
◯参考文献
・平田篤胤『仙境異聞・勝五郎再生記聞』平成十二年、(株)岩波書店)
・吉田麻子『平田篤胤 交響する死者・生者・神々』(平成二十八年、(株)平凡社)