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成長はいくつになっても

昨日、友人と話していてあることを思い出した。
その友人は年次が上がり、最近は部下や後輩の育成を任されることが多いらしい。
自分が「そっち側」にまわった事について思うことがあるようだった。

組織において、20代、30代前半というのはまだまだ伸びしろがあると認識されている世代。企業は彼らの育成に熱心だ。仕事はもちろんだが勉強や研修のチャンスをできる限り与え、将来組織に貢献する人材を育てようとする。

それに対してなんの文句もない。
実際に自分が20代、30代の頃にはその恩恵を受けてきた。
でも、その育成される側のターゲットから外れた時のなんとも言えない寂しさ、それを思い出した。

そして管理職になってからは部下育成は年度の目標に組み込まれるようになった。
下の世代を育てるのは大切の仕事の一つであることは間違いない。

それに対してもなんの文句もない。
実際に部下が成長すれば嬉しいし、達成感もある。
でも、自分の中にあるエネルギーを吸い取られ続けるような感覚、それを思い出した。

要するに、私は誰かの成長のために自分の時間を使い果たすことを楽しめなかった。まだまだ自分が成長したいし、40歳を過ぎようがそれ以上になろうが違う景色が見たいのだ。

誰かの成長を助けることで見える景色もあるのかもしれない。けれどそれが自分の見たい景色なのかと言えばそうでもなく。
一方で、そういう景色を見ることに喜びを感じる人もたくさんいるのだろうし、それはそれで全く否定すべきことではない。
でも、私はそうではなかった。

それに伸びしろがあるのは若き世代だけだとは思わない。新しいことにチャレンジできる人には年齢に関係なく常に伸びしろがあるのだ。
ただ、ある一定の年齢を過ぎれば世間一般にはそう思われにくい。20代、30代の頃のように誰かがチャンスをくれる訳でもない。
だから自分で動くしかない。まずはやってみる。
誰かの成長を助けることに時間を費やすのも悪くないけど、生きている限りは自分の成長が第一なのではないかと思う。

「誰かのために」
美しいけど、なんか違う。
少なくとも私にとっては。
人生は自分のために。

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