深き淵より de Profundis (1978) ---現代の祈りの風景
作曲家ソフィア・グバイドゥーリナ(b.1931-)、旧ソ連に生まれ、モスクワを中心に活動していたが、その名が知られたのはペレストロイカになってからのこと。冷戦下、同時代にはシュニトケやペルトなどもいたが、西側に活動の場を求めた彼らに対し、グバイドゥリーナは一貫してモスクワで音楽を作り続けた。廃れてしまった当地の民族楽器を再発見し、きわめて音色豊かな作品をつくっている。「地に足を着けた」音楽とは彼女のことであろう。
その作品のひとつ「深き淵より(1978)」。バヤーンというロシアの民族楽器の独奏曲だが、バヤーンとはロシアで独自の発達を遂げたアコーディオンの一種。かつてアコーディオンの生演奏をたびたび聴いたことがあったが、その風圧は想像以上の迫力だった。バヤーンはそれ以上である。
風圧とともに出される音の塊は、生き生きとして動きがあるように感じる。たったひとつの楽器の音なのに、こうも表情が豊かだとは。そしてその動きのぶんだけ、そこには色彩が広がっていく。しかし曲の進行はどこか悲しげで、またときに激しく暴力的でもあり、そのジャバラの風圧にわれわれは吹き飛ばされてしまいそうになる。息を飲むような優れて緊迫した曲だ。
それもそのはず。この「深き淵より」とは、旧約の詩篇「主よ、わたしは深き淵よりあなたに呼ばわる」からとられている。深き闇に落ち込んだ人間が絶対者の声を求める叫びの歌だ。その姿は、切迫した激しい祈りにも似ている。バヤーンの響きは、この心の叫びを激しい風圧とその豊かな音色でもって実に見事に表現している。それはともすれば、現代に生きるわれわれ一人ひとりの内面の叫びなのかもしれない。わたしたちは深き淵に落ちたとき、暗闇のなかで何者かを求める。それはたったひとつのもの、すなわち「自由」である。
グバイドゥーリナという人は、音楽を個人的な表現ではなく、捧げものとして、あるいは祈りとして考えているという。それまで無視されてきた楽器を取り上げることで、彼女はそこにいながらも、見えない何かに向けて、そこにはないものを見つめていたのかもしれない。その音楽は、まさに人間の眼には閉ざされている、他ならぬわれわれ人間の内面の自由を、ときに静かに、またときに激しく歌いあげる。