なぜわたしたちは利他的な行動をするのか

実験経済学では、ゲーム理論を使って様々な実験が行われている。経済学では、人は自らの利益を最大化するべく合理的に行動するとされているが、しかしときに自分が損をしてまで、他者が得するように行動することがある(利他主義)。この動機とはいったいどんなものなのか。わたしたちはなぜ、そのような振る舞いをするのだろうか。参考文献は、James Andreoni William T. Harbaugh and Lise Vesterlund "Altruism in experiments"

アメリカの哲学者、トマス・ネーゲルの定義によれば、「利他主義とは卑屈な自己犠牲などではなく、他者の利益を考慮して行動することであり、しかもそれは隠された動機というわけではない」となっている。この定義には2つのことが見て取れる。まずひとつは、その行動は他者を考慮すること。実際に自らを犠牲にするかどうかはともかく、いずれにせよ何らかの選択が迫れている。もうひとつは、隠された動機である必要はないこと。確かに、利他主義は心の奥に根差した隠された動機であることもあるが、でも必ずしも唯一の動機ではない。

さてここで、信頼ゲーム(Trust game)をみてみよう。

信頼ゲームでは、2人のプレイヤー A, B がいて、それぞれ総額 M をもっている。そこでまず A が x を B に渡すとする。これに定数 k をかけた額を B は受け取る (k > 1)。次に、B は y を A に返す。ここでのそれぞれの手持ちは、

A = M-x+y,
B = M+kx-y.

このとき、B は y = 0 にすれば最も得し(支配戦略)、一方 A は、x = 0 にするのが最も得である(部分ゲーム完全均衡)。つまり、一切の交換をしないことが最善だというわけである。これは極端にも思えるが予測可能である。しかしながら、多くの実験では、なんと x と y がたびたび正であることが分かった。とりわけ y は x が増えれば、それに応じて増える傾向があり、y の平均値は x のそれよりもわずかに下回ることも分かった(ref. 1)

※このゲームでは x を信頼(trust)と呼び、y は x に対する信頼性(trustwothiness)と呼んでいるが、信頼とは主に信頼する側の属性であり、一方信頼性とは信頼される側のそれである。


先の定義に戻れば、利他主義は必ずも隠された動機のひとつではないということだが、ではそれは一体どこからやっていくるのか。そこにはこの他に一体どのような動機があるのか。これは社会学や心理学などの分野でも様々に研究されているが、はっきりとした結論は出ていない。可能性のひとつとされているのが、文化や社会環境に人間は規定されていること、また、人間は互いに思いやるように内的に結ばれていること、が議論されている。


思うに、(いま見た信頼ゲームに関していえば)わたしたちは相互の関わりのなかで信頼という文化を築き、この結び目によってつながったり離れたりする。自分より他者を優先することのうちには、この信頼を得る喜びがともない、一方で信頼される側もまたそのような喜びをもって、他者を配慮する。利他主義の動機そのものは目にはみえないかもしれないが、しかし信頼というこれよりも目にみえる形となって、さらに利他主義を動機づけるのではないだろうか。


ref. 1 Berg, J., Dickhaut, J, and McCabe, K. 1995. Trust, reciprocity, and social history.


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