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明治に沈んだある小説家

半井桃水なからいとうすいは、東京朝日新聞の記者としてその紙面に通俗小説を連載したいわゆる新聞小説家だったことは、一葉を勉強して初めて知った。桃水は一時人気を博すも文壇の寵児となることはなく、生涯で300篇もの小説を書いたが、現代ではまず読まれていない。むしろ、一葉の文学の師として、また想われ人として後世に名を残した(確かにハンサムだ)。作家としてはさぞ不服だったろうが、しかしこうした残り方もあるわけだ。

一葉は生前多くの日記をしたためているが、これは作品としての日記文学でもなく、ましてや現代の人たちのSNSやブログのように読まれることを前提に書かれたものでもなく、単に作家の個人的な備忘録である(結果として日記文学として大きな価値があったが)。創作の苦しみ、日々の生活や雑感などが綴られているが、しかし当時を知る史料として大変貴重で、内容も作品に劣らず面白いものである。そしてこの日記には、桃水とのことに多くの言葉が費やされている。初めて会ったときのこと、優しく丁寧に接してくれたこと、想いを抱くも醜聞スキャンダルになり絶交を覚悟したこと、それでもふりきれず、死のそのときまで想っていたことなどが例の美しい文語で書かれている。当時の家父長的超男権社会では「男女七歳にして席を同じくせず」といわれたように、高家顕門の令嬢であってさえ、縁結びの政争の駒に過ぎなかった。女性は自由恋愛ができず、結婚相手は親が決めていた。しかしそうであっても、なにせ二十歳前後の女性である、こうした恋心はあって然るべきであろう。

日記集は一葉の死後に編纂/出版され、一葉の胸のうちが知られることになった。これを受けて、のちに桃水は一葉の回想を書いている。各方面からかつての恋愛スキャンダルについての尋問とばかりの問い合わせが殺到したが、すべて事実無根であることを馴れ初めのころから回想することで退けている。とくに感情的になることもなく、実に淡々と書いており、それは専ら亡き一葉のためだとしている(「女史は恋を歌う人で、実行し得る人ではない、同時に理想の恋は歌ふべくして実現せぬといふ事を知りぬいている人」との件はきわめて印象的)。むろん、こうしたことは当事者しか分からないことだが、しかし繰り返し読んでみて、この桃水という人はすぐれて誠実で真摯な人だと思われた。決して言い訳することなく、抵抗するでも悪びれるでもなく(また必要ないのに謝ることもなく)自分が置かれた境遇と胸中を過不足なく語っているのである。

小説家として名を残せなかったのが残念である。


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