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二つの瞳
丸山薫の「カロッサとリルケ」という一篇の冒頭はこう始まる。
カロッサは「ルーマニア日記」の中で
戦いの荒廃から立ちあらわれた
或る肺を病む少女について
斯う書いている
「その大きく睜いた二つの瞳にだけ
全身の乏しい酸素が集まっているようだった」と
それで私は、いつか見たモノクロの写真を思い出した。異国での戦争で傷を負った幼い女の子を撮ったものだ。プロの戦場カメラマンでもなく、軍に帯同した記者によるものでもなく、身近にいた一般の人が捉えたものだった。
その二つの瞳は、何か訴えるようで何も語らず、何かを見ているようで何も認識していないような目だった。痛手を負い、ただこちらに目を向けている、そんな目だった(と記憶している)。普段の生活でも、美術や写真などでも、それまで見たことのない目だった。
丸山が記したカロッサの少女の瞳を知り、あるいはその二つの瞳には、カラダすべての血と神経と、そして言葉とが集中していたのではないか。ただそうなると、モノを捉えない目になってしまうのではないか。その目を思い出しながら、そう想像した。
丸山は次の行でこう続ける。
もしも そのとき
不用意に彼が愛の灯を近づけたなら
瞳は一瞬に燃えて失くなり
彼女は昇天したことだろう
ゆくりなく、私がみた写真の少女もそうだったのかもしれない。