吉増剛造の「銀河」に打たれる
詩人、吉増剛造さんの1973年刊行の詩集「王國」より「銀河」と題された一篇。
男がシャツを洗濯している。彼は宇宙について考えながら、金属光沢のある細かく美しい織物を洗っている。音楽が流れている。藻草が水槽の底にゆらめき、指が水中に曲線を描いて木目をつくる。ああ、大昔宇宙の熱気が人体に作用して指は凍傷にかかってしまった。もはや船のように曲線をえがき髪なびかせて宇宙を駆けめぐることはない。月曜日にも水曜日にも沐浴する。月曜日にも水曜日にも沐浴する。晩秋、家の前に南天の赤い実がなる。どこかの溜り場で、男がシャツを洗濯している。例によって、だれかがそこにいるかのようにぺちゃくちゃしゃべっている。彼は歌ってはいない。ただ、金属光沢のある細かく美しい織物を洗っている。やがて恒星も巨樹も麗しい女性の想い出も細雪ふる銀河の底に泡沫となって沈んでゆくのであろう。水中に燃える指が突き刺さる!空を打撃する短歌の一、二首。もう数千年も経過したのであろうか、依然として、男は一枚のシャツを洗っている。白っぽく、真紅にそまりはじめる死装束であった。やがて男はゆっくりと二の腕をまくりあげはじめた。
男がもくもくと洗う金属光沢のある細かく美しい織物とはシルクであろうか。それは宇宙銀河の象徴にも見え、またそのエーテルとの接線にもみえる。静かに宇宙と対話する孤独な男のいわば狂気が鋭い。その指が燃えながら水中に刺さったとき、それは宇宙を打撃する詩となった。ここには悠久の時間、いや、永遠にとまった時間が支配的で、男の狂気を際立たせる。金属光沢の美しい一枚のシャツは死装束とあるが、しかしそれは他ならぬ男が刻む詩であり、洗濯という日常の行為は、詩を生むことにも思えてくる。ミクロ(人間)とマクロ(大宇宙)との照応はノヴァーリスの魔術的観念論を思い出させる。
水中に燃える指が突き刺さる!空を打撃する短歌の一、二首。
宇宙を刺し、貫こうとするこの銀河的一文に雷に打たれたように私はしびれた。