短歌の子供たち
短歌をさまざまに捲っているうちに、子供らを扱った印象的なものにいくつか出会った。それらはいずれも命の象徴として現れていた。
鳴く蝉を手握りもちてその頭をりをり見つつ童走せ来る
---窪田空穂
眩しい夏のことだろう、戦利品さながら蝉を生け捕った子供が嬉々として走ってくる。しかし手に握った蝉をときどき見ながらとあるのは、あるいは蝉を握り潰してはいけないと、生きているかどうか確認しているに違いない。もし死なせてしまったら、大人に自慢できないとは私は解釈できない。命を手中にしながら、その命を大切にしようとする子供のいけとなき本能があるのではないか。蝉が呼吸ができるよう握ったその小さな手は、守るように折られていたのではあるまいか。そして、それを微笑ましくも鋭く観察する歌人である。現実の小さな出来事を詠んだに過ぎないが、しかしここには大人から子供へ、子供から生物への命の照応がみられる。なぜか私はホッとしてしまう。
暫くを三間うち抜きて夜ごと夜ごと児等が遊ぶに家湧きかへる
---伊藤左千夫
一方では太く豪胆で直情的な歌で知られる左千夫のひとつ、7人もの子供に恵まれ子煩悩でもあったというが、その姿がとても面白くうたわれている。「暫く」とは夕食後のひとときのこと、小さな子供らが3つの部屋を宇宙とばかりに駆け巡っている。「うち抜きて」という句に、その腕白騒乱ぶりがよく見える。どこの家庭でもみられる光景だが、しかし左千夫は叱るかわりにこれを衒いなく詠んだ。歌人である前に、家庭人であり父である左千夫が、目を細めつつ見守っている。これもまた日常の一場景だが、父としての優しさとおおらかさ、そして爆発する生命そのものである子供の騒ぎがよく伝わっている。
田舎の帽子かぶりて来し汝れをあはれに思ひおもかげに消えず
---島木赤彦
故郷諏訪から上京し、「アララギ」の編集に奔走していた赤彦をその長男(ここでは「汝れ」)が訪れたときのもの。しかし長男は赤彦を訪ねたこの翌月、早世してしまう。その死を嘆く歌だが、感傷的な悲嘆はギリギリまで抑制されていて、歌からは決して感じ取れない。病弱だったために諏訪に祖父と残った長男は、父に会うために、また都会を見物できる喜びを抱いて顔を輝かせてきただろうと思う。だからこそ赤彦はその姿が「あはれ」で、そのおもかげがいつまでも消えないと詠む。この「あはれ」は、悲しみや不憫さよりも、むしろ無邪気さやいとけなさだったのではと(私は読みたい)。父に会いたい一心で、流行や見かけなど気にせず「田舎の帽子」を被ってきている。もう見ることのないその姿を赤彦は忘れられないというのだ。主観的な悲傷を極力排しているだけに、この「田舎の帽子」が一層際立つ。それはおそらく歌人にとって、失われてしまった小さき命の象徴だったのであろう。
命が命とも思われず、その一回性の貴さが顧みられず、厳粛さを装った定量的で「数」を問題とする、理科の実験の天秤で分銅のごとく裁判所で量られているきらいのある昨今、私はこれら歌人の歌とともにいたいと思うのだ。