オープンDの音色を追って 52 ~村井邦彦の証言~
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選抜高校野球は今日で終わりです。入れ替わるようにプロ野球が始まりました。
明日からは新年度です。
春ですね。
まずは、前回に引き続き『永遠のロッカーたち』#11 GAROより、村井邦彦がGAROについて語ったことです。
村井邦彦はグループサウンズに多くのヒット曲を提供した作曲家で、アルファミュージックの創設者です。GAROが所属したマッシュルームレコードのプロデューサーでもありました。
この番組でのインタビューは以上です。
これではあまりにも短いので、他の番組も追ってみました。
2015年9月に行われた『ALFA MUSIC LIVE』。
村井邦彦が70歳になったのを記念し、アルファゆかりのミュージシャンが大集結したライヴがブルーレイになっています。
もちろんボーカルも出演していますが、歌ったのはすぎやまこういち作曲の『学生街の喫茶店』。村井作品でなくていいの? とちょっと思いました。
そのライヴでは、村井邦彦から故人にひとこと伝えるコーナーがありました。
トミーへは
マークへは
なんですかこれは。めちゃめちゃ寂しいじゃありませんか。
しかもこのライヴに出ていた小坂忠、高橋幸宏も今はもういません。
そして、これだけではまだ寂しいので、もう一つDVDから。
『HIT SONG MAKERS 栄光のJ-POP伝説』村井邦彦編。
村井「ミッキー・カーティスと内田裕也。
マッシュルームレコードっていうのを作って、日比谷の野音に出てるよ
うな連中のレーベルを立ち上げたんですね」
ミッキー・カーティス「その当時はもうね、いいアーティストを捜して歩い
てるっていうとこから始まって、たまたまGAROが日比谷の野音かな。
CSN&Yのコピーを。
面白い。これをちょっと日本語でオリジナルやってみようか」
村井「GARO、そこそこアルバムは売れたんですけど、大きなシングルヒッ
トがなかったんで、それこそグループサウンズ時代のことを思い出し
て、これはちょっと、僕とかすぎやまこういちさんでGAROの曲を書い
たら起死回生のヒットが出来るんじゃないか」
これではまるでGAROが死に体みたいじゃないですか。
「起死回生」というのはマッシュルームレーベル全体の売り上げに対してですよね?
こうして、GAROの曲は、村井邦彦が書くと同時に、GSブーム時の戦友・すぎやまこういちに発注されたのです。
村井「一応『美しすぎて』ってのをA面にして出したんですよ。
そしたらなんかそれがひっくり返って『学生街の喫茶店』というのが一
位になって。
そのあとGAROがすごく売れて、マッシュルームレコードは息を吹
き返した。
それがアルファレコードの母体になるわけですね。
先ほど書きました『ALFA MUSIC LIVE』関連のインタビューでは、アルファについてこう言っています。
村井「利権商売じゃなくて本当にいい曲を作ってそれをプロモートして売る
っていう欧米の出版社みたいなことをやりたい」
「大手のレコード会社は、売れたものをたくさん売るのは上手いけど、
ゼロから何かを作っていくというのは下手。我慢をしないし」
「たとえばユーミンは売れるまで三年はかかった。本当に売れ出したの
は四年目くらい。
普通のレコード会社であれば我慢していない」
「YMOみたいなものをやろうなんてハナから思わない、大手レコード会
社は」
……。
GAROについては我慢してくれなかったんですね。
ファーストアルバムの高評価と、シングル『地球はメリー・ゴーランド』のヒットでは満足できなかったんですね。
チャートの一位を獲らなければだめだったんですね。
メンバーのオリジナル曲で活動するという約束を早々に反故にしておいて、あとから「利権商売じゃない」とか。
GAROが稼いでアルファの母体を作ったからこそ言えるんだろうなぁ。
ユーミンやYMOが世に出られたのは、間接的にはGAROのおかげではありませんか。
……なんだかなぁ。
GAROの存在は早過ぎたのでしょうね。
あの時代にあのレベルは、オーパーツと言っていいかも。
(つづく)
(文中敬称略)
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