見出し画像

オープンDの音色を追って 85 ~想定外の曲の方がヒットするのかもしれない~

(約4分で読めます)

 ろくろく秋を味わう間もなく冬になってしまいました。
 GAROの資料を見ていると、やはり『学生街の喫茶店』が大ヒットした1973年の写真が多いです。
「月刊明星」の企画でアラスカ旅行をした写真。
 暮れに歌謡大賞レコード大賞紅白歌合戦……と大活躍している写真。
 冬の場面が多いです。
 アラスカはマークの一存で決まった旅行先。
 ロンドンブーツで氷河を歩いたり、ホテルにパスポートを忘れて空港から取りに戻ったりしたことが、マークのblog(2012.08.10)に書かれています。

 11月20日、テレビ東京で『テレ東60年分の名曲を大放出!歌の衝撃映像ベスト100』という番組がありました。
「開局60周年特別企画!テレ東音楽祭スペシャル1964→2024」という概要でしたので、GAROの映像が出る可能性があると思い、録画しておきました。

 結果、GAROは出ませんでした。

 いいんですよ。ダメでもともとでしたし。
『学生街の喫茶店』が1973年の年間ベスト3に入ったことだけは表示されました。

第3位『学生街の喫茶店』
第1位は『女のみち』

 宮史郎……近所の神社の夏祭りに来たとき、仕事で見に行けませんでした。それからほどなく宮史郎は亡くなってしまいました。
 そのときの経験をもとに、別の年、同じ神社で宮路オサムを見たのは良い思い出です。
 昭和のコミックバンドの人って歌が上手かったんですね。今ではコミックバンドという存在自体がほとんどなくなってしまったようです。

 さて、前回、小田和正の『風のようにうたが流れていた』を見たことを書きました。
 この番組の5回目のゲストは、かまやつひろしでした。
 そのとき『学生街の喫茶店』に触れられた部分がありましたので、記録します。

かまやつ「スパイダースでは自分が曲を書いていたんだけど、売れなかった。そこへレコード会社やプロダクションがいろいろ曲を持って来た。その中に浜口庫之助くらのすけの作品があった。それが売れて『夕陽が泣いている』がスパイダースの代表曲になって。けっこうイヤよねそれは」

小田「あれ、ちょっと違うな、って感じはありましたよね。スパイダースどうしちゃったんだろうって」

かまやつ「この業界は矛盾している。自分があまり好きじゃないものが売れちゃったりとか、あるでしょ?」

小田「『学生街の喫茶店』。人のこと言って……。『さよなら』にもいろんな事情がありましてですね」(これ以上は語られず)

 吉田拓郎から『我が良き友よ』をもらったときのこと。

小田「あれもやっぱり流れとしては異色?」

かまやつ「その頃自分はロッド・スチュワートとかミック・ジャガーのつもりだったんで『え~!?』みたいな感じだった。でも、当時のドーナツ盤にはA面B面があったから、B面にちゃんと自分のやりたい曲(『ゴロワーズを吸ったことがあるかい』)を入れた」

『我が良き友よ / ゴロワーズを吸ったことがあるかい』

 以上の話を聞いて、アーティストにとっては「本来は、こう」という自認よりも「お客さんにウケた面」の方が商売になるんだな、と思いました。
 でも、自分の心を守るためにも「B面にはちゃんと本来の持ち味の作品が入れてありますよ」としておくのがいいですね。
 そういう割り切りができるのも仕事の技術のひとつかと思います。

 ですからGAROも「こっちでは稼ぐ」「こっちでは本来やりたいことをする」と割り切れば良かったのかもしれません。それで長くやっていればネットやデジタルの時代が来ます。
 在庫の管理や作品の尺を気にしなくてもいいネットでは、GAROのやりたいことがたくさんできたのではないでしょうか。
 どれくらい売れるかわからないマニアックな曲や、テレビやラジオではフルに流すのがむずかしい『暗い部屋』『吟遊詩人』のような長い曲も発表し放題です。
 つくづく惜しいです。

産經新聞 特集「昭和100年」
産經新聞 特集 読者2000人が選んだ昭和の名曲(2024/10/27)

(つづく)
(本文敬称略)

いいなと思ったら応援しよう!