逃げて、食べて、寝そべって、ドラえもんに助けられた話
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すっかり食欲に支配されてしまった私は、4泊5日予定だったアシュラム生活を、3泊4日に短縮することにした。
根性なしな選択。
でも今の私は、生態系や環境問題の観点から菜食主義に共感しつつも、地域独自に発展した食文化の魅力を味わいたい気持ちがある。
それに、基本的に野菜と米粉由来のものが多く、肉や魚の臓物や手足の先までしっかり食べるベトナム料理なら、サステナビリティだって……
と自分で自分に、こねこねと長い説明をしながら、帰りの航空券の日程を変更した。
実際はシンプルに、醤油味の野菜と豆腐はしばらく食べたくないなと思ったからだ。
大人になってから自由に衣食住を選んできたぶん、それに制約がある、しかもまわりの人と同じである状態も、苦しかった(その制約こそが修行所であるアシュラムの特性なのだから、制約の意図への理解や納得度が浅かったということだろう)。
***
そういうわけで、予定より1日早い最後の瞑想の朝。その日も5時半に、大部屋に集合する。
まだ暗いなかで、講師養成講座の人たちにまじって、合図とともに目を閉じた。
30分間の瞑想の折り返しあたりだろうか、閉じた視界がほわんと明るくなる。思考が薄れ、静かに波に揺られる感覚になった。
終わりのティンシャの合図とともに目を開けると、すっかり日が昇っていて、あの明るくなったのは日の光だったのかと気づく。
心地よかったな。これならもう1日くらい、いけたかな。そう思った矢先に、無性にチーズトーストが食べたくなって、思い直す。今日帰りでよかった。
そのあとは講話の時間だ。このアシュラムの長をしている、剃髪したベトナムの女性が話す。基本的には講師をめざす人たちを教えているので、バケーションで来た私は、この講話の時間くらいしかこの方を目にすることはない。
それでも、佇まい、声の出し方から、経験に根差した威厳のようなものをを感じた。
その彼女が、この日は自らのヨガとの出会いを語っていた。人道支援の仕事を必死にしていて、身も心も壊れそうになったとき、ヨガに出会い、自分の内を整えることの重要性を知ったのだという。
要約するとありがちに見えるが、辛い雨風や少しずつ回復していくさまなど、風景が浮かぶ語りに、またもう1日くらいここで過ごしてもよかったかなと思う。
講話の最後、一段声を明るくして、彼女が言った。
「さぁ、今日の講師養成クラスはお休みです。とはいえ試験前なので、自習をしてもいいでしょう。この部屋は開放しますね。〇〇さんが、wonderful pizzaを用意しているから、お楽しみに」
Wonderful Pizza……? チーズトーストを食べたいあまり、Pizzaに似た英単語を聞き間違えたのだろうか。
***
期待とともに行った食堂では、いつもと同じおかゆが用意されていた。なにと聞き間違えたのだろう。今晩はなんでも食べられる身だしまぁいいかと、食べずに食堂をあとにした。
ビーガン食には音をあげたけれど、この施設の敷地は気に入っていた。広々とした森に、点々と建物が配置されている。
ヨガも、イルカのポーズは相変わらず苦手だが、できる範囲で気持ちよく身体が伸びるようになった。
なにより森に囲まれたガラス張りの部屋で、伸びをするのは、贅沢だ。
2日目に受けた座学の講座では、「プラーナ」という概念の説明があった。
アーユルヴェーダやヨガの中心となる考え方で、いろいろな意味を内包する言葉のようだが、その日は、目に見えないエネルギー、気の流れというようなニュアンスで説明された。
私たちは、食べ物はもちろん、呼吸をすること、自然を目にすること、美しい音を聴くこと、土を踏みしめることで、エネルギー、即ちプラーナを得る。
食べ物は火で調理したベジタリアンフードがいいし、呼吸する空気はきれいなほうがいい。緑を目にしたり、森の中を歩いて、鳥の声を聞くと、元気になる。
プラーナとは呼んでいなかったものの、たしかにそういう面はありそうだと話を聞いた。
元々ホーチミンに住んでいたという講師は、あそこはプラーナ不足になると言っていた。排気ガスとバイクのクラクション、ビルだらけだから、なんとか部屋に植物を置き、呼吸瞑想をしていたのだと。
私も帰ったら、バイクの音を聞きながら、火ではなくIHで日々肉料理をするホーチミン生活だ。
残りの時間は、森にあるハンモックでプラーナというものを補給してみようと思った。
敷地内には、ところどころにヨガ的な言葉が飾ってある。
ハンモックからは「Allow nature to heal you」と書いた看板が見えた。
「自然があなたを癒すのを許しましょう」
ハンモックに寝そべり上を見上げると、針葉樹の葉が揺れ、隙間から水色の空が見える。少し日が眩しい。時折、リスが駆けていく。
たしかに、こういう時間が日常に長らくなかったのは、不自然なことだったのかもしれない。
1時間ほどたっぷり寝そべって針葉樹が揺れるのを見てから、散歩をした。
昨日誰かが漕いでいるのを見て、大人が漕いでもいいのかと思ったブランコに立ち寄る。漕ぎながら、また空と森を眺める。
ぼんやりこいでいると、同室のブンボーフエの女性が通りかかり、手を振りあう。
***
朝5時半からはじまった長い午前が過ぎるた頃、また食堂に向かう。この期に及んで一応、ピザについて確認したかった。
いつものように黄色いTシャツの人たちが、配膳している。
そして列をなす黄色い人たちの先にあったのは、ピザとパスタ、クリームスープだった!
お昼は街で食べようと思っていたけれど、嬉しくて列に並ぶ。
チーズ(豆乳から作ったものかもしれない)とパンやパスタの塩辛さに、喜びをかみしめる。
弟の奥さんは、乳製品とサーモンだけはokのベジタリアンなのだけれど、それなら私もできるかもしれないと思う。
乳製品とパスタとパンさえあれば! 昨日のベトナム麺から一転、チーズや小麦粉への愛でいっぱいになった。
Wonderful pizzaは聞き間違えではなく、週に1回は、食事も少し緩めるということだったらしい。
これなら明日までいられたかなと、思いながら荷物をまとめた。
***
タクシーで街まで出ると、空気がくもり、バイクのクラクションが久しぶりに聞こえる。路上のごみが目に入る。
ホーチミンから到着したときは静かできれいだと思ったけれど、4日間いた森のなかに比べると、だいぶざわざわしている。
念願の街の店では、エッグコーヒーという甘い卵黄のはいったコーヒーを飲んだ。おいしい一方で、カフェインと卵、砂糖が、以前よりこってりと迫ってくる。
空港へは配車アプリgrabで車を呼んだ。普通のタクシー会社のような規定はないから、grabタクシーは車種も服装も自由だ。
この日は特に自由な人にあたり、腕には刺青、耳にはたくさんのピアスをつけた、水色の髪の若いお兄さんだった。車内の音楽も、ヒップホップだ。
ダラットの街は軽井沢のようにすっきりと爽やかな雰囲気だから、コントラストが際立った。
空港は山を越えた先にある。山道からホーチミンのように排気ガスでぼやけていない夕日(きっとプラーナをたくさん発している)を写真に撮っていたら、車が減速する。渋滞だ。
しばらく経っても動く気配がない。あとどれくらいかかるかわかりそうか聞いてみる。ラッキーにも水色髪のお兄さんは英語を話す人で、かつ親切にスマホで情報をチェックしてくれた。
「少し先で事故があって、長い時間とまっているらしい。いつ動くかわからない。飛行機は何時?」
「それがあと1時間半後で」
「なるほどね……」
あと30分後には着きたいところだ。動くことを祈って、様子を見る。
***
10分後、まったく動かない。お兄さんは窓をあけてタバコをふかしている。
アシュラムに戻って当初の予定どおり4泊5日するか……やきもきしながら窓の外を見ると、止まった車の横を、バイクが通り抜けていく。
「あの、この車を一旦キャンセルしてもらって、grabでバイクを探していいですか?」
「いいけど、システム的に、お金は空港分まで全額請求になるけど……」
「もちろんそれは大丈夫です」
「じゃあ、キャンセルするよ。はい、できた。バイク探してみて」
「ありがとう!」
***
grabアプリでバイクを呼び出しはじめて5分。
街からはずれた山道は、なかなかバイクは通らないらしい。
「つかまらない?」と言って、水色髪のお兄さんも自分のgrabアプリを立ち上げてくれる。2人がかりでも、バイクはつかまらない。
「grab探しながら、いったん街に戻るか……」
車がUターンをする。お兄さんにお礼を言いながら、バイクが見つからず何度もタイムアウトになるgrabにリクエストを送る。
来た道を戻り、車はどんどん空港から離れていく。すっかり街中に戻ったころで、お兄さんのgrabがバイクをキャッチした。
「あ、つかまった」
「つかまったの!? 本当に本当にありがとう」
***
車を路肩にとめて間も無く、バイクが到着した。ばたばたとバックパックを背負って車を降りると、お兄さんも車を降りてきてくれる。
バイクのドライバーさんに、ベトナム語で状況を伝えてくれているらしい。
自分のアプリでとった予約だが、このベトナム語を話せない外国人女性が乗ること。
だから、アプリ決済ではなく、この人からの現金払いにしてほしい。金額の確認。
飛行機の時間があり、急いでいること。
山道は事故があり、渋滞していること。
そんな説明しているようだった。私にも、払うべき金額を紙幣で見せて説明してくれる。
バイクにまたがりながら、何度もお礼を言う。「OK OK、間に合うといいね。じゃあ」と、なんてことないという様子で、クールに車に戻っていた。
その後ろ姿を見ると、背中にかけた鞄に、大きなドラえもんのキーホルダーがついていた。
水色髪は、ドラえもんの影響もあるののだろうか。あるいは、水色が好きだから、ドラえもんを持っているのかもしれない。
いかついファッションの親切な人が、自国の国民的スターを身につけていてくれたことに、嬉しくなる。
***
バイクのドライバーさんは、急いで渋滞を抜けていった。
こんなに大きなバックパックを背負って、こんなに信号がない道を長時間バイクに乗るのは、はじめてだった。
道を囲む山は、どんどん暗くなっていく。山を抜け、少し栄えた地域を通り過ぎ、ぱらぱらと小さな商店がつづく道をひたすらまっすぐ進む。
とばされてしまいそうでスマホはだせないけれど、ここまでしてもらっても、もう間に合わないかもしれない。バイクに乗った時点で、飛行機出発まで1時間をきっていた。
中途半端に早く帰ろうとするから、アシュラムに呼び戻されようとしているのか。バイクがきる風は、どんどん冷たくなっていく。
すっかり真っ暗になった道の先に、空港の明かりが見えた頃には、戻ることになったらそれを受け入れようと思った。
ただこのドライバーさんと、ドラえもんのお兄さんに協力してもらったぶん、ひとまず諦めずにできるかぎり急ぐ。
バイクを降り、ぺこぺことお礼をして、航空会社のカウンターに駆け込んだ。
「この時間の飛行機なんです! 間に合いますか?」
スマホを見ると、出発時間まであと10分だった。不機嫌なカウンターの女性が、「はいはい」というかんじで、たるそうにチケットを渡す。
小さな空港でよかった。荷物検査を一瞬で通り抜け、ゲートに向かう。
そこには、たくさんの人が座っていた。
掲示板を見ると、「25分遅延」。まだ搭乗も開始していなかったらしい。カウンターの女性に、どこか余裕があったわけだ。
空港の固い椅子に座って、朝5時半からはじまった今日を思い出す。
ドラえもんのお兄さんが繋いでくれた夜のバイクの道は、なんだか異世界から帰るトンネルだったように感じられて、妙なわくわくの混ざった安心感をおぼえた。
アシュラムについての話は、これで終わりです。
自分の食文化への愛と執着に気づくという、行く前に想像していたのとは、少し違う結果となりました。
ただあんなにいろいろと思いを馳せたわりには、最後のピザ効果もあってか、帰ってから何日かはあまり肉や魚を食べたい気持ちになりませんでした。1ヶ月経った今は、すっかりいろいろと食べつつも、これから食とどう関わっていこうかなと、ぼんやり考えています。
そして、ホーチミンでこの文章を書いている現在。夫が仕事で歌うからと、ドラえもんのテーマのベトナム語版を、家でエンドレスで練習していて、ドラえもんはもう勘弁してくれという気持ちです。笑
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