骨が折れる#98
骨が折れる、とは「苦労する」という意味をもつ。
私の両親が使っているのはよく聞くが、若い人ではあまり聞かない言葉かなと思う。
まあそれはおいといて。
先週、私の母が本当に骨を折ってしまった。初骨折。母は宮崎からわたしの自宅の熊本に数ヶ月遊びに来ていた。
そろそろ宮崎に帰ろうかな、という時に左手首を骨折してしまった。今日も病院に連れて行ってわたしはクタクタである。
階段で足を滑らせる
その日、私は長男の幼稚園行事の手伝いに行っていた。
火を使う作業があったので、次男を連れて行かず母に預けることにした。
母は子供の面倒見が良い。大の子供好きでもある。
喜んでお留守番をしたのだが、わたしが自宅へ帰ろうかなって頃に電話がかかってきた。
どうやら次男と階段を降りている時に、あと三段残したところで足を滑らせてしまったらしい。
三段というとそれほど高くないが、次男がいたこともあって体勢を崩したのだろう。
次男を庇うような形で転倒し、左手首、左肩や太ももを強く打ってしまったらしい。
次男も顔面を打ってすぐに号泣、そして鼻血。
母は痛みでしばらく動けなかったという話を、帰宅して聞くわたし。すぐに病院に向かった。
不幸中の幸い
実はわたしは1歳くらいの時に、走行中の車から落ちたことがある。
自分で鍵を開けてしまって転げ落ち、隣には姉が乗っていた。運転手は今は亡き私の祖父である。
姉が「落ちたよ」と声をかけて、祖父は慌てて引き返したらしい。
幸運にも田舎道で、対向車もおらずそこには泣け叫ぶ私がいただけだった。
が、顔面血だらけで「一生顔に傷が残るだろう」と祖父は思ったらしい。
そりゃそんなアクロバティックなことをすれば、傷もできるだろうに。わたしは何を思ったのか。
しかし、子供の再生力というのはすごいもので、傷跡ひとつなく大人になったのもラッキーだった。
今回の次男は外傷はなく、レントゲンも撮ったが特に異常はないとのことだった。
申し訳ないことに子守りをしていたことで母は骨折してしまったが、持病を持つ股関節を痛めなかったのは不幸中の幸いだった。
遠くない未来、母もこうしてできないことが増えていくんだろうな、というちょっと寂しい気持ちになりながらも、できないことに手を貸しお世話している。
小さい頃にお世話してもらったように、これから先はお世話することが多くなるのだろうと思いながら過ごしている。