心の底から誰かに感謝を感じたとき、自分が変わるんだなぁ。
「覚悟はあるのか」 そう言われた。 覚悟とは、なんだろう。 いつも、何かを決めるときには、 ある程度の覚悟、というものを持ってるつもりだったけど でも覚悟って、なんだろう。 結果をすべてこの身で請け負うということなのか、 途中でやめるなんてしませんということなのか、 逃げません、投げ出しません、ということなのか。 わからないけど、きっと、 100人100通りの、「覚悟」のかたちがあって、 その覚悟を持って、何かを決めていて。 私の思う覚悟と、隣の人が思
10月に、相方と離れることを決意して 11月に、ずっと続けてきたものを手放す決意をして 12月になった。 この2か月はいろいろなことがあった。 新しい、心の底から湧き上がるような暖かい気持ちに出会ったり、 とても、悲しくなるような、すべてを否定されたような言葉を頂いたり、 先の見えない、すがる場所もないもやもやがつづいたり、 そして気づいたら、ウイルスに感染して家にいるしかなくなったりした。 思えば、先に進むことばかり考えて、 今よりもっと心地よい場所を、という気持ち
今日も自分のためのnote。 「根拠のない自信」とか、よく言う。 なんとなく、あんまりいい言葉じゃないと思ってた。自分を卑下したり、ちょっと「てへぺろ」みたいなニュアンスを感じていた。 「根拠のない自信だけあるんですよね〜笑(てへぺろ)」 みたいな。 そんなニュアンスで私も使ってた。 でも最近わかったのは、これは、私の中ではそう、という話だけど、 根拠のない自信や不安は大体当たる。 根拠を綺麗に説明できる人ってすごくスマートでかっこいい。 頭いいなぁと思うし
今日も自分のためのnote。 とある小さな研究会での発表だった。 2年間の活動報告、私たちが見ている今後の可能性。 期待されるって、嬉しいもんだ。 すごいですね、って言われるのって、気持ちいいもんだ。 単純にそこに応えたくなるし、頑張りたくなる。 でも見失ってはいけないのは、 「私は何がしたいのか」ってこと。 「私はどんな未来をみたいのか」ってこと。 なんでもやればいいってもんでもないし、 いくつもできるわけじゃない。 限られたリソースの中で、 自分の思
今日も自分のためのnote。 どうしようもなく不安になって苦しくなったときに、連絡したい人がいた。 そしてどうしようもない自分について、聞いてもらう時間があった。 まずは本当に、ありがとうございます。 話してみてわかったこと ・私の中で「問題のすり替え」が起きてた ・根本はずっと同じ問題を抱えてるってこと ・「今は時期じゃない」もありかもということ ・今できることもあるということ ・選択と集中をしたいと思ってること ・いらんプライドがあること ・ガーゼの下で化膿
今日も自分のためのnote。 自己満足の記事を書くな、みたいな、「ブログの書き方」みたいなのを読んでしまう。 そしてモヤっとしている自分がいる。 でも気にせずに行こう、今日も私のためのnoteです。 なぜ、私が今の活動を始めたのか、を、再確認中。 そう、前半の続きからだけど、 本当に単純に疑問だったし、ちょっと驚いたし、今まで知らずにいたことがショックだった。 私は小さい時からアトピーで、でもずっと、ただ塗り薬で対処する方法しか知らなかった。漢方を出してもらってた
自分のためのnote。 書くのは上手くないし、 上手くまとめようとしてない。 から、どんどん書こう。 団体を立ち上げて2年経って、今ぶち当たってるものは、つらいけど、すごくいいことだし必要なことだ、という実感がある。 ので、これからもやっていくしとことん向き合っていくつもりだけど、自分の確認のために、「なぜ始めたんだっけ」というところを言語化していきたいなと思う。 少し遡ったところからはじめよう。 大学で心理学を勉強したくて、でも勉強は頑張れなかったのでギリギリ入
自分のためのnote。 朝、起きるのが本当に苦手で、 ほぼ毎朝、ほんとに眠い。 起きたくない、あと10分、仕事ギリギリまで… と思いながらぼっとしてると、 気付いた時にはギリギリの時間でドタバタ。 でも本当は、自分のために起きたい。 仕事のためじゃなくて、迫られるんじゃなくて、 積極的に「今日」をまた1日楽しむために、起きたい。 朝、自分のために起きてやりたいこと ・読書 ・ゆっくり朝シャン ・お弁当作り ・自分のためのnoteの時間 これくらい。 いいな、想像し
今日も自分のためのnote。 すごく、発見なのは、 「何か誰かのためになる情報探し」 みたいなこととか、 「読んで意味のあるものを」 みたいに考えてると、 「書かなきゃ〜、ううー、でもなんだろうー、私空っぽだわー」ってなってたのが、 「自分のためでいいのだ!」になったら、 「今日は自分のなにを言語化しようか!」 というすごく楽しい気持ちでいられてるなーってこと。 まず、もう気持ちが違って、とても心地よい。 ほんのちょっとしたことがこんなにも違うなんてー。
やっぱり、どうしても見ることを意識して書いている自分がいて、「ブログ向いてないわ…」のループに陥っていたのだけど、 昨日、いろんな人たちと話していて、「自分のために書きたい」という気持ちがムクムクでて来た。 自分が考えてること、思ってること、目指してる世界、理想、知ってる現実、受け止め方、エネルギーへの転換、とか。 言語化できたらいいな、と思うし、そこで初めて、話す言葉として人に伝えられる。 それがあって、「言語化しなきゃ…」みたいなものになってたんだけど。 もう一
ただひたすら、ドロドロした気持ちが湧き出てきて、苦しい。 その気持ちも嫌だし、自分自身も嫌になる。涙が出てくる。 つらい。 そんな日がある。 応援されたかったら、応援しなきゃだめだ。 好きになってもらいたかったら、まずは好きにならなきゃだめだ。 自分が他人を扱うように、他人も自分を扱うんだよ。 誰かが言ってた。何かの本に書いてあった。 良い気持ちでいなきゃ、良い人でいなきゃ。いなきゃいなきゃいなきゃ。 そんなふうに、自分を縛り付けているのも知らずに、 これがある「
知らない人と、3ヶ月、6回会って、 「この場所で『本当の笑顔』と出会った」 と、彼女は言った。 マイ・プロジェクトというプログラムを、鍼灸師向けに開催している。 3期目が終わって、開始からちょうど1年が経った。 鍼灸師に向けて行われるセミナーやプログラムは、技術・知識を身につけられるものが圧倒的に多い中で、このプログラムはおそらくちょっぴり異色だ。 慶應義塾大学の井上英之先生がつくられたマイ・プロジェクト(以下:マイプロ)は、大学ではもちろん、高校生向けであったり、
無意識に閉じられていた扉が、開いて 欲、と呼ばれるものたちが、顔を出した。 幾度となく、ノックされていた。 それはなんとなく、わかっていた。 聞こえていたんだ。 そこに扉があることも、どこかでわかっていた。 欲たちは、思ったよりたくさんいて、 私は、たじろいだ。 見たくないものを見てしまったような気がして。 綺麗なものかといえば、そうではないような気がして。 他人には決して、見せてはいけないもののような気がして。 でも 彼らは、とても素直に
鍼灸に恋をしてしまった。 はりが好きだし、灸が好きだし、 一人一人と真摯に向き合う、鍼灸師が好きだ。 はり灸を生活に取り入れることは、今の日本では、メジャーなことではない。 でも私は知ってしまった。 会社で毎日PCと向き合い続けて疲れきっているあの子。 残業が当たり前でいつも帰りが遅いと呟いていたあの人。 まだ若いのにひどい腰痛持ちの友達。 慢性的な肩こりを諦めている先輩。 年を重ねれば、身体からのメッセージは増えていく。 かわいがってくれるじーちゃんばーちゃん。