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生きているだけで、幸せなんだった。
人は、誰かに憧れたり、自分以外のものになろうとすることがある。
苦しいのはいつもその時だ。
自分の価値を認められず、成功している(認められている)自分以外のものに価値があると感じてしまう。
私は欠けている、十分ではない。その思いは劣等感や嫉妬になり、心を苦しめる。
公園を歩いていた。7月16日。
湿気を含んだ空気が立ち込める、今にも雨が降りそうな昼過ぎだった。公園を横断するフラワーロードを歩いた。色とりどりの植物が、大通りの両脇を彩っていた。赤い花、黄色い小さい花、紫色の花、葉や茎の緑色も、実に様々な色がある。植物ではあるが、みんな違う。一つとして同じ形はない。
もし植物が人のように意識があるならば、隣の赤い花をつける枝に憧れ、そのようになろうとするのだろうか。
植物は自分の持って生まれたエネルギーの分を使って、成長する。どこまでも自分らしく。そして時期が来れば枯れる。生命として、自分自身を生きることに集中している。
それに比べて人は、他人のことばかり気にして、自分を十分に生きることに集中していない。隣で赤い花が咲いても、自分が黄色なら、黄色い花を咲かせる人生を全うすることに集中できたら、その命は正しいのかもしれない。
そんなことを考えながら歩いていたら、蓮池に着いた。小雨が降る中、濃緑の池をじっと眺めていたら、水の中に繊細な葉を持つ水草が揺れていた。
意識を集中すると、その水草は突然云った。
「太陽が出るだけで、とても嬉しいんだ」
そうだった…生きているだけで幸せなんだった。
シンプルな感覚から幸せを感じることからどんどん離れている自分に気が付いた。
何を幸せに感じるかって、命を持つ生物ならば、本質は変わらないだろう。
それなのに私たちは、愛や成功、豊かさを求めるほどに、誰かを羨み、自分を傷つける。
植物たちは何ものにもなろうとせず、静かに、ゆっくりと、自分を成長させている。
苦しかった時間が、柔らかくほぐれていくのを感じた。
辛い気持ちに囚われている自分も、すべて受け入れて、ゆっくり成長していけばいい。
自分の人生を生きることを、植物の育つ姿から教えられた気がした。
自分を育てる人生に集中していけば
この世界が私を苦しめ続けることはないだろう。