マガジンのカバー画像

同時代音楽のための月刊マガジン【無料】

109
同時代に生きる音楽家のインタビュー、エッセイなどを月刊でお届けします。紙媒体のマガジンを目指して、記事ストック中です。 【音ポスト】 【ゆきちか日々の書簡 (不定期)】 【今日の…
運営しているクリエイター

記事一覧

(暑いけどもう秋と呼んでいいのか、そろそろ)の秋のイベント予定!

秋はイベント目白押しです。ちょっと自分がどこにいるかよくわからなくなってきましたが、いつかどこかのタイミングで、みなさんとお会い出来たらと思います! ❖10月17日(木)満月会 ビールを消費+交流会ができればと思っています。どなたでも参加可能です。ぜひ一緒に月を見つつ、創作やこれからの活動について一緒にシェアしましょう! https://forms.gle/kWMjdBSP4WM89NDE9 ❖10月18日(金)[Ensemble Horizonte@桐朋特別講座] 

次回満月会 in 東京(こっそり)

前回松本の薄川で開催した満月会ですが、次回10月17日にこっそりと東京でやってみようと思います。今回は訳あってキャビキュリとの共催です。 前回の満月会と同様に、わたしの試作曲作品も月を見つつ演奏してもらおうかなと思ってます。ぜひおつまみと携帯電話を持ってぶらりとお立ち寄りください。

一音のためのコンポジション

地球の自転を感じ取れるか 今年に入って小田原のはじめ塾の子どもたちと「一音」を作るということをチャレンジしたり、先日の満月会でも月が昇る一筋を見届けるということをしていたりして、帰国後のわたしはゆっくりとした時の経過を感じるような時間感覚に惹かれつつある。 音楽はその時代の文明とも結びついていると感じる。特に乗り物のスピード感は音楽のドライブ感と直結している。自分自身の足で動いていた時代から馬、車、電車、飛行機、新幹線、そして今やわたしたちはインターネットで瞬時ともいわれ

満月会終わりました

満月会終了しました 昨晩の満月会、人が人を呼び、たくさんの方にお越しいただきまして、感謝申し上げます。気にかけて頂いたみなさまもありがとうございます! 満月が出た時に思わず歓声がわいて(月に拍手した!)、それが少しずつ雲の合間から見えるのに鮭の滝登りに似たような感覚があり、思わず、「がんばれー」と声をかけたくなりました。回っているのはこちら側も(地球)なわけで、こういったイメージも人間本位なのかもしれませんが、月を何かに見立てて愛でるというのは古来から行われているもので、

8/20に満月会 in 松本やります!

こんな世の中で、音を書く行為が何か意味のあることにつながるのか。あまりに現実と創作がかけ離れ過ぎてしまって、一音書くにもひどく考えすぎてしまう。これまであった日常の隙間も、資本主義の中では「あらゆる意味」にからめとられて、いまや意味のない時間もない。少しでも時間があれば、耳から情報を聞き、同時に目から違う成分を摂取している。 生の音楽は、音楽を聞くという目的のために集められた人たちと、そのためにあつらえられた空間で、音を聞く行為だ。そして、それも最近少ししんどい。一方向に発

音ポスト再開します。

音で対話が可能か 先日お友達で、演出家の藤原佳奈さんと話していて、「わたなべさん、何かやりたいことありますか」と聞かれて考えていたけど、作曲もキュレーションも場づくりや音楽の創造教育も最終的には『対話がしたい』ということなのかもしれない。音楽はもはや私の中ではプロダクトではないし(否、商品だったことなんてこれまでもなかった)、とすると音楽が何であるか。ここのところ、日々と音楽を地続きにしようとしている根底には、音楽、すなわち私にとっての対話のツールであるものが、その役割を果

作曲は教えられるのか。

新学期。何かを教わり始めたり、教え始めたりしている人もいると思う。作曲を教えることについて、noteでもいくつか記事を書いていたけど、具体的にやり方を書いてみようかと思う。旧ツイッターでも少しぼやいてみたけど、自分としては思うところがある。 作曲は教えられるのか 作曲は教えられないとよく言われるけど、それでもお金をもらってみんなレッスンをしている。それで実際どういう作曲のレッスンがあり得るのか、わたしなりに考えてみた。和声や対位法、アナリーゼやスタイルなどの技術面は教本が

暗闇の音楽

この夏にやりたいと準備していたことがある。大人の事情で予定していた枠じゃできないけど、そうじゃない方法でできないかと思っている。やまびこラボのシリーズだけど、この際枠はどちらでもいい。とにかくやれるといい。 もともとやまびこラボのために今夏40分くらいの長い時間感覚のための音楽を作るつもりでいた。それは日の入りのときに、だんだんと空の色が変わる変化を音と一緒に感じるための音楽だった。そして、最後は闇になる。一つの細い糸が長い時間でゆっくりと伸びていくような変化軸を感じたいと

ゼロの音楽の実践ーはじめ塾での活動備忘録を兼ねて

春休み中に家村佳代子さんと永岡大輔さんに教えて頂いた、小田原のはじめ塾に招いた頂いた。作曲のワークショップをやらせてもらえるということで、二泊三日みっちり子どもたちと接した。 子どもたちが作ったアニメーションの音楽を子どもたちと共に考えてほしいということだったけど、最終的に作品になるかどうかは置いておいて、音を一から考えることをやってほしいということだったので、「ゼロの音楽」をテーマにすることにした。 音楽の歴史は前の時代で行われていたことに対するカウンターカルチャーとし

想像力の鍛え方

音楽と見えない世界 見えないものについて考えている。音楽は時間芸術で、鳴っている音は聞いた瞬間になくなってしまうし、録音でもしない限りは音がその空間にあった保障すらない(録音したとしても、その空間にあったものとは別のものだし、それがそれであった証拠はない)。それらの音の粒を頭の中で組みたてていくわけで、特に演奏前のアイディアや音を妄想するときは何も手掛かりがない。音が細分化されデータ化されてからは音は音でなくデータになり、それらを組み立てることは出来るようになるが、音が見え

見えないものと見えるもの

プロジェクトが混線してるのと頭を整理するために書いてみようと思う。作曲について。 「作曲をしています」というといつも似たような質問をいただく。例えば「作曲のレッスンってどういうことをするんですか」。専門的な立場の人からは「これまで受けて一番良かったのは、誰のどういうレッスンですか?」。 今でこそ「教える」ことのほうが増えてきたが、10~35歳くらいまでは「教わる」ほうだった。25年くらい「教わる」をやってきたので、自称プロ学生だ。大学で年単位で教わってきた師匠以外にも、ワ

体験することでようやく音になる。

わたしはアルバイトといえば家庭教師か短期の派遣か数えるほどで、後悔しているのだが、唯一大学卒業の頃に長くアルバイトをさせてもらったのがトーキョーワンダーサイト、いまのTOKASだった。音楽系のスタッフがいなかったというのと、当時から音楽家を招いたワークショップを学校外でオーガナイズしていた経験もあり、恩師のつてでアルバイトとしてワンダーサイトに入ることになった。そこで知り合った先輩アーティストのみなさんとは長く交流があり、今でもわたしの創作の源になっている。 音楽家の間でも

Yukiko Watanabe: Die Fehlende Melodie (2021/2024)の解説

解説(日本語) この作品は、二つの異なる時間軸が存在するよう作曲されています。一つは鼻歌のようなもの、そしてもう一つはゲーム性のある和音です。チェロによって演奏される鼻歌のようなものがメロディー、和音は伴奏であるとするならば、所謂「歌と伴奏」という古典的な手法で書かれていますが、その組み合わせは作曲家側からは指定されず、偶然出会ったメロディー(のようなもの)と和音(のようなもの)が重なって、結果的にその和声上で鳴っている歌のように聞こえてくる、という仕組みを利用しています。

わかってもらわなくて本当にいいのかどうか

現代音楽といわれる分野は難解である。一般的な感性から遠い。 日本における現代音楽の文脈での「わかりやすい」が時に批評的に響くのは、この音楽ジャンルが持つ元来のキャラクター特性なのか。「わかりやすい」「キャッチー」であることが現代音楽上一体どういうニュアンスを感じさせるものなのか。 音楽が言葉をのせるものだった時は、「わかる」ということが必須だった。音楽が言葉から離れて器楽曲として演奏される際も、言葉の意味ではない音楽のわかる化は作曲家による様々な工夫によってなされてきた。