音ポスト再開します。

音で対話が可能か

先日お友達で、演出家の藤原佳奈さんと話していて、「わたなべさん、何かやりたいことありますか」と聞かれて考えていたけど、作曲もキュレーションも場づくりや音楽の創造教育も最終的には『対話がしたい』ということなのかもしれない。音楽はもはや私の中ではプロダクトではないし(否、商品だったことなんてこれまでもなかった)、とすると音楽が何であるか。ここのところ、日々と音楽を地続きにしようとしている根底には、音楽、すなわち私にとっての対話のツールであるものが、その役割を果たしていないことにをある気がしている。

音楽と批評が対になっているような西洋アカデミズムとも異なる場で、批評以前に何かしらの『反応』さえも聞かれなくなって久しい。音楽を個人で消費するような形ではなくて、コミュニケーションの一部として考える自分にとって、音楽を聞いた人がどう感じたのか、良し悪し以外の反応が欲しい。

そのためになるべく平易な物言いで、自分の言語化されない何かを伝えていきたいし(そもそもそんな難しいことをやろうとしていなくて至って事はシンプルであるし)、他人のもやもやした何かもなるべく言語化を助けてあげて、何か伝わる形にしたいと思う。そして伝わった形がどこかで何かしらの反応を引き起こしてほしいと思う。

楽譜を見ているとそこに注ぎ込む思いが大きいほど、楽譜自体としての性能は落ち、読みとりにくかったり、理想的な実現像からは遠くなるけど、読む側としてはそういう気負いも愛すべきで、なんとか少しでも作曲家が思い描いた未来を実現したいと思う。キュレーションではそういう観点から単に楽譜が読みやすくクリアで、成功が約束されているような楽曲だけじゃなくて、多少リスクがあってもやろうとしていることがある作品に惹かれたりする。

音ポスト再開することにした

さて先日またお友達で、劇団野らぼうの成田明加さんと話をしていて、彼女が手紙を書いているというのを聞いて、それは良いと思った。対話の種類が携帯やメール、sns上のやり取りに限定されず、手紙というゆっくりとした速さのコミュニケーションを取り戻したいと思った。

という前置きが長くなりましたが、音ポストを再開させようと思います。これは4年前に始めた自主企画で、多分そのときも音楽を発表した時に反応がなかったり、不完全燃焼だったりすることがあって、対話がしたいと思って始めた一人プロジェクトで、わたしがコミュニケーションの頼りにしている楽譜を送ってもらって、それに対してわたしがお手紙を書くというもの。以前送っていただいた方もいらっしゃるのですが、今回仕切り直しで、もう一度音ポスト募集します。さっきょく塾は自分のリソース不足でまだ再開できないけど、40を超え、躊躇している暇はない、本当にやりたいことを少しずつお尻を叩きながら実行していかねばと思っている今日この頃です。

過去の音ポストのnote貼っておきます。どなたでもご参加いただけますので、ぜひ音ポストに楽譜を送ってください。


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